この表題からどのようなことを思い浮かべられるでしょうか?
 実は、これは巨大株式会社を巡って使われた表現なんです。今をさかのぼること約80年前、アメリカ連邦最高裁判所(the U.S. Supreme Court)の陪席判事であったブランダイス(Brandeis,L.)が、ある事件(※1)における自己の法廷意見として用いています。アメリカ各州の会社法によって作られた巨大株式会社が社会的に大きな影響力を有するに至ったのは、その規模(size)のためであり、制御不能の状態となり様々な弊害が社会で生じている。それを「フランケンシュタインの怪物」(Frankenstein monster)、と称した訳です。
 会社という制度は、現代の経済社会においては欠くべからざるものとなっており、排除することは事実上不可能です(実は、18世紀前半から19世紀初頭にかけて、イギリスでは準則主義<要件を満たせば当然に設立が認められる方式>に基づく株式会社の設立が禁止されましたが、実際には会社もどきが大量に作られたため、禁止は撤回されています)。そのため制御不能とならないように、様々な法規制を組み込もうとしています。
 とはいえ、株式会社には様々な利害関係者(Stakeholder)が存在します。会社に出資する株主、業務執行を行う取締役をはじめとする役員などの会社法に定めのある者から、消費者等の会社法に定めはないものの会社と関係を有することになる者など、多岐にわたります。
 会社が規模を大きくするためには資本を増大させる必要がありますが、そのために株式というものを、取引所を利用して発行することで、資金があればほぼ誰でも(※2)株式を購入することが出来ます。これによって飛躍的に集金する力は高まるのと同時に、全く顔見知りでない人からも資金調達することができるようになります。
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 良いことづくめにも見えますが、知らない株主同士が少数の株式を保有することによって、「自分一人が何かを言っても」という諦めの気持ちになり、株式会社の運営に関心を寄せなくなることがあります(合理的無関心)。さほど株式を保有していない役員たちによる経営者支配が進むこともあり、それが株式会社を株主が支配できない状況=制御不能の状態をもたらすことになります。「フランケンシュタインの怪物」(Frankenstein monster)と株式会社が称される瞬間がまさにそれです。
 こうした事態を防ぐために、さまざまな法令上の規制を導入して、株式会社の暴走を防ごうとする営みは、長く続いております。最高規範である日本国憲法は改憲ということの是非が論争となっているくらいですが、株式会社を規制する会社法(旧商法会社編を含む)は、幾度となく改正されてきました。現在の会社法(平成17年法86号)は平成17年に制定されましたが、すでに数回にわたって改正がなされています。学部の会社法の講義の際に、六法全書や会社法のテキストは最新のものを使わないといけない、と何度となく言います。学生さんにとっては不満が募るでしょうが、数年前のテキストであっても会社法の内容が変更されてしまっているために、訳が分からなくなります。
 会社法が年中改正されていると学修しにくい部分もありますが、これは経済社会の状況を法律に反映させようとする流れとも言えます。わが国には、1,800本程度の法律が存在し、少なくない法律が日々作られ、また消え去って言っています。ただ、法学部や本学部のビジネス法パッケージで法律学を学ぶ際には、いわゆる六法(憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法)プラス行政法を中心に学んでいくため、消え去ってしまうということはないです。しかし、会社法のように頻繁に改正のある法律はこの中にはなく、戸惑いも覚えてしまうかも知れません。
 ただ、会社法は生き馬の目を抜くような経済社会の縮図とも言えます。事実は小説よりも奇なり、を地で行くような事件も多くあります。その意味では、想像力を豊かに膨らませて無味乾燥にみえる条文を読んでみることで、経済社会の本当の姿を垣間見ることができる分野であると思います。
 理想を追求しつつも机上の空論にならないような議論を考えていけるのが会社法を学ぶ面白さと言えます。フランケンシュタインの怪物となってしまった巨大株式会社を前に、諦めることなく、手立てを考えていこうと模索するのが時代を超えた会社法学の姿であると思います。

(※1)Louis K. Liggett Co. et al. vs. Lee, Comptroller et al., 288 US 517(1933).
(※2)一部の業種の会社の場合、外国人による株式の保有に関して制限がある場合もあります。