江崎グリコ株式会社「江崎記念館」を訪問見学しました(経済学部三木ゼミ2年生)

 2015年11月11日(水)、経済学部の三木ゼミ2年生は、大阪市西淀川区にある江崎グリコ株式会社「江崎記念館」を訪問見学しました。
 三木ゼミは、グローバル人材を育成する「グローバルキャリアプロジェクトゼミ」であると同時に、民間企業出身の教員が指導するという特色を活かし、企業/行政/地域との接点をできるだけ多く持つようにしています。今回は昨年度(現3年生)に引き続き三木ゼミとして2回目の訪問となりました。

江崎記念館とは

 江崎記念館は江崎グリコ株式会社創立50周年記念事業の一環として、従業員に創業の志を伝え、社業の発展に寄与することを目的に昭和47年3月に設立されました。館内には創業以来の江崎グリコのあゆみに関する資料、製品をはじめ、創業者江崎利一さんゆかりの品々が展示されています。江崎グリコ本社敷地内(最寄駅:JR神戸線塚本)にありますが、従業員の研修用としてだけでなく広く一般にも公開されており、見学させていただくことが可能です。

 以下に今回の訪問見学で得られた、学生たちの気付き(一部)を紹介します。

経済学部2年生 椎葉 昌也 さん

 11月11日、私達は江崎記念館を訪問見学いたしました。この日は「ポッキー&ブリッツの日」でしたので、そんな日に訪問できてラッキーだったと思います。
 記念館に入ると目の前にとても大きな自販機が置いてありました。90年頃、実際に動いていた巨大ポッキーの自販機で「50年目のポッキー展」にあわせて展示しているそうです。幼いころに見たことのあった大きいポッキーでしたので欲しいなと思い、買えるのだろうかと観察してみたら硬貨の投入口が塞がっていたので残念ながら買えませんでした。階段を上がると大正時代を思わせるような展示品と雰囲気にはじまり、現代までの「江崎グリコ」の歴史がずらりと視界いっぱいに広がっており、さすが国民なら誰でも知っている大企業だと目を丸くしました。この記念館は創立50周年記念事業の一環として昭和47年に(一般の方ではなく)後世の従業員に「江崎グリコ」創業のルーツ、「グリコ」が「グリコ」たる所以を知って受け継いでもらうことを目的に設立されたことを知りました。何時までも「グリコ」であるために社員の教育をキチンとやる姿勢に魅力を感じました。
 創業者・江崎利一さんの生涯を紹介していただいたのですが、江崎さんが「グリコ」創設前に寺子屋で「商売とは自分のためにあるとともに世の中のためにもあるものだ」と真の商道精神を学んで、ワイン事業で成功してもそれに満足することなく、牡蠣から摂れるグリコーゲンが子どものためにつかえないかと思考し1人でキャッチフレーズを考え商品開発までしたことに対して、私は「いろんなことに着目して何かに役に立たせることができないか」と常に観察し思考できることが成功へと至ったのではないか、と思いました。江崎さんがグリコーゲンからできたキャラメルを「グリコ」に命名した理由が、既存のキャラメル類のお菓子としてではなく新しいお菓子として認知してほしいから、子どもが覚えやすい語呂の良い名前だから。元気な子どもが徒競走で元気良くゴールインする姿をみて、健康の象徴ではないか、栄養菓子のパッケージとして相応しいとして「グリコ」のパッケージができたこと。従来の四角い形ではなく舌ざわりの良いハート型キャラメルにするために自ら型版をつくりあげたこと。「食べることと遊ぶことが子どもの二大天職だ」と多くの種類の「グリコのおもちゃ」をつくり始めたこと。私は「グリコ」について知れば知るほど江崎さんは子どものために商売をしているのだ、と強く感じました。
 今回、江崎記念館を訪問して幼いころのように「グリコ」のプッチンプリンを食べたい、自分のためにも世の中のために新しいことへチャレンジすることができる人間になろうと思いました。

経済学部2年生 松井 大輔 さん

 今回私たちは江崎記念館に訪れ、江崎グリコの歴史や、江崎利一さんの生い立ちを通じて、商売を行う上での考え方を学び、また、利一さんの創意工夫に触れ、競争社会で勝ち抜くために何が大切なのか学びました。
 まず、江崎グリコとは、江崎利一さんが立ち上げた企業であり、子供のために、健康に良いお菓子を作るというところから始まりました。因みに「グリコ」とは、栄養素であるグリコーゲンが由来であり、グリコーゲンを含んだキャラメルが最初の商品です。それは、出生地である佐賀県の企業でグリコーゲンが含まれている牡蠣の煮汁が大量に廃棄されている事を知り、何かに生かせないか、と考えた所、子供たちに食べてもらうために、キャラメルとして商品にしたそうです。廃棄されるモノを生かし、且つ、健康に良いキャラメルという世間的にも珍しいお菓子を作り注目を浴びたことに、私は利一さんの創意工夫をとても感じました。また、創意工夫はお菓子単体にとどまらず、名前や形、広告にも及びました。箱に記されているマークやキャラクターにも工夫を凝らし、これまでに何度も変更してきました。今では大阪を象徴とする難波のネオンにおいても、最近になって6代目ネオンが完成した、と言うように現代に渡って江崎グリコの創意工夫が伝わってきます。「変革しないと企業は生き残れない」という言葉を聞きましたが、まさに江崎グリコさんは工夫を凝らし、変革を実行し、現在まで生き残り、国民に愛されてきたのだと強く感じ、とても変革の重要性が理解出来ました。また、私は、創業の精神を重んじることも重要なのだと学びました。変革に対して、残すべき所、基盤となる部分は守ること、企業は何でもかんでも、変えていけば良いという訳ではないのだと知りました。「グリコたるモノ」など、グリコの歴史を知り、企業の特色を持たなければ変革は出来ないのだと知りました。今回訪れた企業記念館も、来客者はもちろんですが後世の従業員のために建てられたと聞き、企業基盤を引き継がせようとする江崎グリコさんの強い信念が伝わってきました。
 今回の訪問で、創意工夫することの大切さ、そして、創業の精神という本質を忘れないことが重要だと強く分かりました。自分自身の学生生活に置き換えても、何かに取り組むにあたって、常に考えることは大切ですが、本質と違うことを行っていては、まさに本末転倒となった結果になると思いました。企業で仕事をする、また大学での学びの中においても、基盤となる部分の視点から多方面に視野を向けていく、このことを今回の江崎グリコ訪問で学びました。

経済学部2年生 山田 恭歌 さん

 今回私たち三木ゼミは、株式会社江崎グリコ本社の敷地内にある江崎記念館を訪問いたしました。この江崎記念館は昭和48年、江崎グリコ創立50周年のために建てられた記念館です。江崎グリコと聞くと、グリコやポッキーなどお菓子のイメージが強いため、子供向けのにぎやかなものを想像してしまいますが、特に娯楽性・エンターテインメント性にあふれたものではありませんでした。というのも、今となっては一般の人も見学できる形になっていますが、もともとは大衆向けではなく、後世の従業員のためにつくられたものだそうです。いつの時代も、その時代に合った企業の変革というものは必要です。しかし、一番初めの創業の精神を知らなければ正しい変革はできない。江崎記念館はそれをいつでも確かめることができるようにと創業者・江崎利一さんのゆかりの品を保存しているそうです。
 家業の薬屋を手伝っていたことから、牡蠣にグリコーゲンという栄養素が含まれていることを知っていた江崎利一さんは、38歳にしてグリコーゲンと出会います。難病に罹った息子にグリコーゲンを与え、回復したことからグリコーゲンを薬にしようとしていた江崎利一さんが、なぜグリコをキャラメルにしたのかという理由を聞いたとき、私はなるほど、と納得しました。薬をいうのは病気になった人が飲むもので、大事なことは病気の体にならないことだということです。江崎利一さんはこう言われ、当時はお菓子の王様であったキャラメルにグリコーゲンを混ぜ込むことを思いついたというのです。
 私たちは江崎利一さんにまつわる展示物を拝見すると同時に様々な説明をしていただきした。お話を聞いていくにつれて、私は江崎利一さんが子供思いで、「人は世のため、人のため」という思いを強く持っている人だと感じました。さらに、差別化にかなり重点を置いている人だとも思いました。当時は何社もキャラメルをつくっていたため、差別化が必要でした。江崎利一さんはグリコの商品名を「グリコキャラメル」にしないとどんなお菓子かわかってもらえない、というもっともな周囲の意見に流されることなく、それではただのキャラメルになってしまうと商品名は「グリコ」に決定しました。さらに、森永をはじめ多くの企業のキャラメルのパッケージは黄色でしたが、グリコのパッケージは赤色です。そんなところにも差別化が表れています。江崎利一さんの考えは正しいと思います。しかしもし、私が江崎利一さんの立場ならリスクを恐れて「グリコキャラメル」にしてしまったかもしれません。
 このようなことは今回江崎記念館に訪問しなければ知り得ないことでした。創業者の考えや思いはすべて現代に受け継がれています。それを理解し、より良い形に変えて次の世代に伝承していくことが創業の精神を大事にしながら変革していくということではないかと私は感じました。

ご参考