【阪南経済Now4・5月合併号】経済理論は時代の雰囲気がお好き?

——新しい経済理論は現実の変化に対応して生まれる

 阪南大学経済学部のホームページをご覧の皆様、こんにちは。経済学部「社会経済学」担当の中原です。
 さて、早いもので、この阪南経済NOWへの投稿も3回目を迎えました。これまでは、社会経済学の重要な概念である「制度」とは何かについてお話ししてきましたが、今回は少し趣向を変えて、経済理論の歴史的変容についてお話ししましょう。なお、以下で展開する議論は、極めて単純化・簡略化されたものであり、経済理論の正確な説明にはなっていないかもしれません。あくまで一般の方にご理解いただくための記述ですので、細かい点に目くじらは立てないでくださいね(笑)。
 よく知られているように、アダム・スミスは、経済学の父と呼ばれるほどに、現代の経済理論に様々な形で大きな影響を与えています。ですが、このスミスの「経済理論」が当時の支配的な経済理論に対抗して産み出されたものであることは、以外と知られていません(もちろん、経済学者たちの間では常識ですが・・・)。
 スミスが『国富論』を執筆するきっかけの一つになったのは、18世紀のイギリスにおいて支配的であった「重商主義」という経済理論に対する不満でした。この「重商主義」とは、簡単に言えば、諸外国と貿易を行ってその対価としての金・銀(財宝)を、とにかく自国イギリスにため込むことこそが、国を豊かにする、というものでした。そうした考え方にしたがって、当時の政府は、自国への輸入を制限するような法律を出したり、輸出を行う企業に対して様々な優遇措置を講じたりして、金・銀・財宝を自国内にため込もうとしました。

 こうした状況に対して、スミスは、「商業の自然な流れが政府によってゆがめられている」、「真の国富は(金・銀・財宝ではなく)年々の労働生産物である」と主張して、国富論の中で、これらの主張を基礎付ける「経済理論」の構築に努めました。
 このスミスの主張は、現代の日本でも、繰り返し取り上げられています。「商業の自然な流れ」については、「政府の規制が市場の発展を妨げている」、「真の国富」については、「国内総生産(生産物の付加価値総額)の増大こそが国を豊かにする」という形で、これらは、現代日本でも多くの経済学者たちが支持している考え方です。
とはいえ、わたしは、この様に言うからといって、ここでそれらの理論の現代的有効性を再確認したいわけではありません。そうしたこととは別に、ここで取り上げたいのは、スミスの理論が当時のイギリスにおける社会的・政治的状況から完全に独立して生み出されたか否か、という点です。もっといえば、固有の歴史的文脈を離れて、一人の経済学者の理論を、抽象的に取り出して、簡単に現代に当てはめても良いのか、と言う問題が、ここから生じるのです。
 残念ながら、大天才スミスであっても、こうしたことから逃れることは出来ていない、というのが、多くの経済学者たちの考えです。たとえば、本稿でも、何度も取り上げている、米国制度学派のジョン・ロジャーズ・コモンズは、その主著『制度経済学』第1章『方法』の最終節で、コモンズ以前の経済学者たちの理論を次のように分類しています。つまり彼によれば、時々の経済学者たちの理論は、「その時代に支配的な社会集団が作り上げようとしている(あるいは作り上げた)経済システムの形に強く左右されている」というのです。

 重要なのは、コモンズはこのような理解を単に歴史的事実からのみ考察したのではないことにあります。かれは、自身の独自な制度経済学理論に依拠しつつ、「諸集団の利害対立が、社会経済の進化における原動力であり、その対立が相互依存の関係にありつつも、一定の秩序に至ること」を理論的に証明した上で、その理論を証拠付けるために、こうした歴史的事実の説明を行っているのです。
 たとえば、スミスが生きた時代は、旧世代の地主・貴族による支配が歴史の舞台から姿を消しつつある時代であり、彼らが唯一保有する政治力を利用すべく、彼らと結びついた商人が勢力を得ていた時代でした。しかしながら、産業革命後のイギリスにおいては、新興勢力としての産業資本家(現代的な用語で言えば起業家)が、商人の力を上回るほど大いに台頭し始めていました。そして商人の時代もそろそろ終わりを告げ始めており、それに代わって産業資本家が政治の世界においても重要な地位を占めだしていたのです。
 こうした「社会的勢力」における力関係の変容は、当然、経済システムそのものの変容を要請します。それはまず、経済的力をもつ新しい集団の台頭にはじまり、ついでそれらの集団が政治システムの中枢を占める、という段階を経ます。そしてそうした集団による新しい社会経済システムの運営が必要とされるとき、新しい経済政策や経済理論が生み出されることになるのです。

 ちなみに、興味深いことに、コモンズと同時代を生きた日本の経済学者高田保馬は、ドイツ歴史学派からそのエッセンスを継承した、『勢力論』という著書を残していますが、コモンズもこの研究について、『制度経済学』のなかで言及しています。
 先のスミスの例で言えば、政府による商業への介入は、自分が生産した商品をどんどん他国へ売り込みたい産業資本家にとっては、障害に他なりませんでしたし、大量の労働力を必要とする商品生産(企業活動)を円滑に進めるためには、真の国富は「金・銀・財宝」ではなく、「労働生産物」である方が、国民を説得するためにも、好都合であったのではないでしょうか?
繰り返しになりますが、純粋経済理論としてのスミス理論を批判することが本稿の目的ではありません。むしろ、わたしが言いたいのは、純粋理論であっても、その理論構築の出発点は現実の社会経済的状況の変化にある、ということなのです。
 私たちの生きる社会は、様々な利害が至るところで、ぶつかり合っています。「あちらを立てればこちらが立たず」という言葉がよく示しているように、世の中は利害対立に満ちあふれていますが、それはどちらかの一方的な勝利に終わることは少ないはずです。そこでは、相手を説得するないし相手に自分の意見を強制することがままみられますが、その時、「理論」は相手を説得する・相手に自分の意見を強制するためには非常に有効な手段でしょう。
 こうした観点から、現代日本で「時代の雰囲気」として当たり前のように語られている、経済理論を、今一度考え直してみませんか?そこからはいろいろなことが見えてくるはずです。