構成する各個人が非合理的であっても、市場は(なぜかor当然にも)合理的です。よってあたかも合理的な個人が集まって市場を構成しているかのようにモデル化しても実用上支障ない。変数の因果関係の証明は最新の統計・データ分析手法でもいまだに困難であり、理論研究と実証研究は相互依存関係にあります。
キーワード:モデル、合理性、市場、理論、実証、相関関係、因果関係、AI

1.そもそもモデルとは

私の専門は国際貿易論ですが、経済学において経済理論が果たす役割についてわかってない人がたいへん多いような気がするので、そのことについて最近の話題を盛り込んで書いてみます。

鳥の群れの動きには急な向きの転換など、不思議なことが多いです。1987年に個々の鳥にわずか3つほどの行動ルールを課すことで群れ全体の動きをリアルに再現できることがわかりました。その3つのルールとは、衝突しないように飛ぶ、近くにいる他の鳥と速さと方向を合わせて飛ぶ、群れからはぐれないように飛ぶ、というものです。情報科学の分野ではボイドモデルと呼ばれます。ボイドモデルでは個々の鳥にこの3つのルールを理解して守る程度の合理性があると仮定していることになります。その仮定は正しいでしょうか?詳しくは鳥に聞いてみないとわかりませんが、少なくとも結果は現実をうまく説明できています。だからこそCG技術として映画などでよく使用されるのです。少なくとも使える仮定だ、ということは言えます。これが道具としてのモデルです。

2.経済モデル

さて、個人の合理性を仮定する経済モデルは市場の現実をうまく描写(実用に耐えうるように描写)できているでしょうか?米シカゴ大学のユージン・ファーマ教授なら、できていると答えるでしょう。ファーマ教授は株式など資産価格についての実証研究で2013年のノーベル経済学賞を受賞しました。彼はインデックス投資という投資手法を発展させ、自らビジネスも成功させています。インタビューでファーマ教授は答えています。
(引用)
「少なくとも投資に際しては、市場が合理的だとの前提に立って行動すべきだ」
「伝統的な経済学は合理的な行動を前提とするが、個人が非合理的な行動をとることは分かっている。問題は、それがどう価格に影響するか。個人が非合理的な行動をするからといって、価格にも大きな影響が出ていると主張するのは飛躍だ。きちんと分析して証明しないと。私の研究では証拠はない。個人の行動と、市場の動きの間には大きなギャップがある」
最近は行動経済学に注目が集まっていますが、今までの経済学を根本から転換するようなものではなく、補完的なものと捉えています。知る限りの話ですが、行動経済学と言われる研究の対象の多くは個人やせいぜい数十人の小集団を扱っているものが多いと思います。産業・市場という大きな組織・集団の分析ではやはり合理性を想定する経済学がいまだかなり有効です。

3.理論研究と実証研究

経済学では理論モデルの妥当性を実証研究によってテストします。実証研究をする際にデータの相関関係と因果関係を区別することが重要です。少し脱線しますが、現在ビッグデータ解析と言われているものは単に関連性の高い関係を取りだしているだけ、と聞きます。つまり、因果関係や論理構造を理解しようとしているのではなくて相関関係を発見するためにビッグデータと強力な演算処理能力、さらにAIを用いている、ということです。むしろそれで良いのだと積極的に推奨するビジネス論者さえいます。しかしもしも相関関係だけでなく因果関係まで説明できたら、仕組みを完璧にわかったということになりますから応用の幅も広がり、得られる利益はもっと大きくなるでしょう。実際にグーグルやマイクロソフトは理論ミクロ経済学者を多数雇用するようになっています。

米イェール大学の伊神准教授は実証的産業組織論を専門とする若手の俊英ですが、彼が相関関係と因果関係についてどう考えているかを紹介します(珍しい意見ではないですが)。
(引用)
「どのようなデータ環境や対照実験であっても、探せば何かしら論理上の弱点を孕んでいるものだ。」
「因果関係を証明する完全無欠で絶対確実な統計手法などというものは存在しない、と、そういうふうに一旦割り切っておいたほうがいい。」
「『データの中には必ず因果関係があるはずだ、そして統計学を使えば、それは必ず発見できるはずだ』というナイーブな発想をしないように。」
「『データ』は現実世界の断片(サンプル)なわけだが、それを因果関係として解釈するためには我々の頭の中にある(我々の頭の中にしかない)論理的な空想、すなわち『理論』が必要だ。」
「『相関関係と因果関係にまつわる諸注意』は、経済学に限らず、医学や工学、統計学などのいかなる学問分野や分析技術についても、等しく適用される。」
ある理論をテストするために実証研究をしたとします。その分析で得られた結果・相関関係を解釈するためには、実は別の新たな理論(伊神准教授はこれを「ストーリー」とか「世界観」と言います)が必要となります。実証研究者は自分のデータ分析結果を発表したあとでその結果を説明する因果関係に関する解釈・ストーリーをさらっと説明しているはずですが、本当はモデルできちんと定式化する必要があります。そうでないと専門的な議論に耐えられないからです。このように経済学では理論と実証は鎖のようにつながっており、補完関係です。
AIや機械学習は本質的に回帰分析で、理論的説明抜きの相関関係の報告が今後ますます世の中に大量に氾濫するでしょう。AIの説明責任というキーワードで調べればわかりますが、結局人間は相関関係を因果関係というストーリーの形でしか消化できません。特に政策に関することや法的責任を伴うことに関しては判断経緯がブラックボックスでは困ると思います。経済学だけでなくあらゆる学問分野において、相関関係を説明する因果関係の理論研究が今後重要になるでしょう。

参考文献

(1)「群れながら飛ぶ鳥」、構造計画研究所、https://mas。kke。co。jp/fukuzatsu/fly-bird/
(2)「ノーベル経済学賞2氏が語る『バブル』と『政策』」、2013年12月6日、ユージン・ファーマのインタビュー、日本経済新聞。
(3)「経営者よ『因果関係』は追うな!『相関関係』を見よ」、2014年3月20日、ケネス・クキエのインタビュー、ダイヤモンドオンライン、https://diamond。jp/articles/-/50242?
(4)伊神満、2018年、「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明、日経BP社。