太子町(大阪府南河内郡)は、万葉集にも読まれ、石器材であるサヌカイト産出地としても周知される二上山、中国の敦煌などを連想させる石窟寺院である国史跡鹿谷寺跡や国史跡岩屋、聖徳太子墓とその守護のために建立された叡福寺、「日出処天子」の国書を携え遣隋使として海を渡った小野妹子の墓、推古天皇・敏達天皇・用明天皇・孝徳天皇など教科書にも登場する誰もが知る著名な天皇の御陵、双方墳という極めて珍しい形状を呈する国史跡二子塚古墳、日本最古の国道である日本遺産「竹内街道」、その街道沿いに建てられた国登録有形文化財の大道旧山本家住宅など、その歴史資源の豊さは全国屈指のレベルです。
このような歴史資源のポテンシャルを文化財保護の展開とともに観光振興の展開にも活かしていきたいと考える太子町役場からの依頼に基づき、「地域・観光の創造(地域資源や人的ネットワークなどを活用しながら、地域づくりや観光振興のための新たなデザインプランを思考・提案し、地域の方々と共創的に実践する)」をテーマとする国際学部国際観光学科和泉研究室は、2023年度から3年間の予定で、太子町役場との共創的な取り組みを進めています。具体的には、町内の歴史資源をつなぎ、自然や人のあたたかさなども感じながら歴史を楽しむことができる観光振興の展開の創造、所謂、「ヘリテージ・ツーリズム」の成立を目指すものです。
なお、この取り組みは、一過的に終焉するものではなく、その持続性、ひいては、文化財の地域マネジメントの可能性などにもつなげていきたいと考えています。このことから、地域住民のみなさんの参画も視野に入れたいと考えています。
2024年6月23日(日)、今年度、第1回目となるフィールドワークを行いました。
当日は、太子町観光協会の奥埜事務局長に太子町のフルーツ事情などについてご教示いただきました。続けて、西方院の蘇我院主には、多くのブースが出店し、賑わいをみせる「結縁祭」(11月開催)への出店をお勧めいただき、出店させていただくこととなりました。また、蘇我院主は、「寺院が、人を、地域をつなぐ拠点に」というお考えのもと、イベント企画・カフェ運営にもご尽力されており、私たちの研究活動を応援・ご協力いただけることとなり、現在、研究室で進めている太子町産フルーツを使った「パフェづくり」の場所となるキッチン、カフェ・スペースも提供していただけることとなりました。現在、太子町の豊かな歴史資源を知ってもらうきっかけ、太子町に足を運んでいただくきっかけの1つとして、歴史資源の展開とともに食の展開も進めていこうと考えている私たちには、時宜にかなったお話でした。これは仏縁でしょうか?
聖徳太子御廟をおまもりする叡福寺の南側に位置する西方院は、太子の死後、その乳母であった月益姫・日益姫・玉照姫(それぞれ蘇我馬子・小野妹子・物部守屋の娘とされる)の3人が、剃髪して仏門に入り、墓前にお堂を建立して、太子の冥福を祈ったことにはじまると伝えられています。このような古刹で学ばせていただける機会をいただけたことに感謝しながら、研究活動を展開したいと考えています。
なお、当日は、太子町役場から磯さん・富士野さんにも合流していただき、様々なご教示をいただきました。みなさん、ありがとうございました。
このような歴史資源のポテンシャルを文化財保護の展開とともに観光振興の展開にも活かしていきたいと考える太子町役場からの依頼に基づき、「地域・観光の創造(地域資源や人的ネットワークなどを活用しながら、地域づくりや観光振興のための新たなデザインプランを思考・提案し、地域の方々と共創的に実践する)」をテーマとする国際学部国際観光学科和泉研究室は、2023年度から3年間の予定で、太子町役場との共創的な取り組みを進めています。具体的には、町内の歴史資源をつなぎ、自然や人のあたたかさなども感じながら歴史を楽しむことができる観光振興の展開の創造、所謂、「ヘリテージ・ツーリズム」の成立を目指すものです。
なお、この取り組みは、一過的に終焉するものではなく、その持続性、ひいては、文化財の地域マネジメントの可能性などにもつなげていきたいと考えています。このことから、地域住民のみなさんの参画も視野に入れたいと考えています。
2024年6月23日(日)、今年度、第1回目となるフィールドワークを行いました。
当日は、太子町観光協会の奥埜事務局長に太子町のフルーツ事情などについてご教示いただきました。続けて、西方院の蘇我院主には、多くのブースが出店し、賑わいをみせる「結縁祭」(11月開催)への出店をお勧めいただき、出店させていただくこととなりました。また、蘇我院主は、「寺院が、人を、地域をつなぐ拠点に」というお考えのもと、イベント企画・カフェ運営にもご尽力されており、私たちの研究活動を応援・ご協力いただけることとなり、現在、研究室で進めている太子町産フルーツを使った「パフェづくり」の場所となるキッチン、カフェ・スペースも提供していただけることとなりました。現在、太子町の豊かな歴史資源を知ってもらうきっかけ、太子町に足を運んでいただくきっかけの1つとして、歴史資源の展開とともに食の展開も進めていこうと考えている私たちには、時宜にかなったお話でした。これは仏縁でしょうか?
聖徳太子御廟をおまもりする叡福寺の南側に位置する西方院は、太子の死後、その乳母であった月益姫・日益姫・玉照姫(それぞれ蘇我馬子・小野妹子・物部守屋の娘とされる)の3人が、剃髪して仏門に入り、墓前にお堂を建立して、太子の冥福を祈ったことにはじまると伝えられています。このような古刹で学ばせていただける機会をいただけたことに感謝しながら、研究活動を展開したいと考えています。
なお、当日は、太子町役場から磯さん・富士野さんにも合流していただき、様々なご教示をいただきました。みなさん、ありがとうございました。
太子町観光協会の奥埜事務局長に太子町のフルーツ事情などについてご教示いただきました。
「道の駅 近つ飛鳥の里 太子」では、パフェに使用できそうな地元産品を調査しました。
西方院の蘇我院主のお話から、多くを学ばせていただきました。特に「寺院が、人を、地域をつなぐ拠点に」というお言葉が印象的でした。
みなさん、学生の発言にも熱心に耳を傾けてくださいました。ありがとうございました。
素敵なキッチン、カフェ・スペースをお借りできることになりました。