スウィングとデファクト・スタンダード

デファクト・スタンダード(De Facto Standard)とは、「事実上の標準」を意味します。マイクロソフト社のウィンドウズがパソコンO/S市場を席捲したことや、VHS方式がVTR市場を掌握したことからわかるように、ある標準を創出し、市場を先制すると、技術的に優位であっても、すでに形成された事実上の標準を変えることができなくなるので、企業活動においては非常に重要なコンセプトです。

ジャズのデファクト・スタンダード、スウィング(Swing)

では、ジャズ音楽においてデファクト・スタンダードとして機能するものがあるとしたら何なのでしょうか。やはり、インプロビゼーションやスウィングのことが浮かびますが、事実上、インプロビゼーションはジャズの世界だけに存在するものではないので、スウィングの方がジャズの本質により近いと考えられます。デューク・エリントンの「スウィングがなければ意味がない(It don’t mean a thing, if it ain’t got that swing, 1931)」という有名な作品が語ってくれるように、スウィングこそジャズをジャズたるものにしてくれる一番重要な要素だと言えるでしょう。実際にジャズ愛好家や評論家たちは、ジャズ・ミュージシャンの演奏を自分なりに評価しながら、「スウィング感があって良い」、「スウィングしていないのでジャズとは言えない」など、一般の人にはわけわからない話をよくしています。その面では、「インプロビゼーション=ジャズ」とは言えないが、「スウィング=ジャズ」とは言えるかもしれません。だとすると、やはりジャズ音楽のデファクト・スタンダードは、スウィングになります。もちろん、デファクト・スタンダードが必ずその業界を規定するコアの要素である必要はありませんので、以上のような筆者の主張には異論の余地があります。いずれにせよ、スウィングという言葉は、その定義が非常に難しいです。ある雑誌社が有名ジャズ・ミュージシャンたちに聞いたことがありましたが、その答えがそれぞれ全部違ったと言われているほど、専門家のなかでも人によってスウィングに対する理解が違うようです。今までの研究成果をまとめてみると、スウィングには概ね次のような3つの意味が込められているのではないかと考えられます。

➀ リズミック・フィーリング

べレント(1989)の定義ですが、スウィングは、アフロ・アメリカンの時間感覚とヨーロピアンの時間感覚の出会いから生まれたと言います。また、スウィングとはリズム感のことで、アフリカ黒人のリズム感覚と、西洋音楽の拍子の組み合わせで生まれたとも言っています。実際に多くの専門家たちは、スウィングをリズム、ビット、タイミングの問題として捉えているようです。要するに、音楽を聴いているうちに体が自然に左右に揺れるようなジャズ特有のリズム感がスウィングであるということです。一般的に西洋音楽では1番目の拍子と3番目の拍子にアクセントが入りますが、4ビットジャズでは弱拍であるはずの2番目と4番目の拍子が強調され、独特のリズムが形成されます。このときに発生するリズム感がスウィングであるという説明もあります。しかし、このような話は、あくまでもジャズのスウィング感に対する説明であり、スウィングそのものに対する説明ではありません。スウィングについて体が自然に揺れるようなリズミック・フィーリングであるという言い方が当てはまったのは、1930年代のいわゆる「スウィング・ミュージック時代」までだと考えられます。演奏者の個人的な好みが強調される1940年代以降のビバップ時代には、ジャズ音楽を聴きながら体が自動的に揺れる感覚を感じることが難しくなります。スウィングするが、スウィング感は感じ難くなる時代が始まったわけです。

➁ 無限快感の追求

一般の人はいくら頑張っても1960年代以降のマイルズ・デイビスやジョン・コルトレーンのモダル・ジャズを聴きながら、それが楽しくて自然に体が左右に揺れることはまずないだろうと考えられます。しかしながら、ジャズ愛好家や評論家たちはマイルズ・デイビスやジョン・コルトレーンがスウィングをしていないとは言わないのです。誰かがそういったジャズ・ジャイアンツの音楽を聴いてスウィングしてないと言ったら、多分ジャズ知らずの素人扱いになるでしょう。それでは、我々はスウィングのことをどのように理解すべきなのでしょうか。1つの手がかりは、スラングではありますが、1950年代末からスウィングという言葉が、「to have a ball (to have a good time, to enjoy oneself)」の意味合いで使われるようになったことです。スラングで「ball」というのは、ダンス・パーティーを指したり、マリファナを意味したりすると言われています。要するに、何の躊躇いも、自分の欲求を抑制することもなく、徹底的に楽しむことがスウィングであるということになります。これは、ジャズという言葉自体がエクスタシーを意味する俗語から来たという話と同じ脈絡にある説明です。

➂ スウィング・ミュージック

スウィングのもう1つの意味は、ベニー・グッドマンやデューク・エリントン、グレン・ミラーなどに代表される1930年代の大衆音楽の演奏スタイルのことで、「スウィング・ジャズ」、或いは「スウィング・ミュージック」という用語でも知られています。スウィング・ミュージックは、概ね明るい雰囲気の音楽で、軽快なダンス音楽です。大恐慌という時代的背景のもと、多くの困難を克服してきた人たちがそのような音楽を望んだから生まれたものだという説明もあります。実際に、1930年代アメリカの多くの人々は、踊るために大規模の舞踏会場(ball-room)を訪れました。広いダンス・ホールに集まった数百から数千名の踊る人たちに効果的に演奏音楽を提供するためには、小規模のバンドでは無理だったので、ビック・バンドの時代になったとも言われています。面白いことに、この時代には、ジャズ音楽の特徴であるインプロビゼーションや演奏者個人のソロ演奏よりは、緻密な編曲とバンド全体のアンサンブルが重視されました。スウィング・ミュージック時代は、ソロや即興演奏ではなく、事前に定められた約束通りに演奏をコントロールすることが求められたし、過去のジャズ・バンドよりはるかに大規模の編成で多くの楽器が使用されるようになったため、編曲者と演奏者の間に分業化が確立されたことも知られています。

デファクト・スタンダードの条件

➀クリエーティビティー、または、ファースト・ムーバー(first mover)

十数年前にiPodが登場した時の筆者のショックは今も忘れられません。機器操作のためにスウィッチやボタンを押すという行為の替わりに、「タッチする」、「撫でる」という当時としては非常に斬新な感覚を味わえたからです。まるで、流れている音楽を撫でているような楽しさを感じました。このように、ビジネスにおいても、ジャズにおけるスウィング感と同じく、一種のエクスタシーを感じるほど、人々を魅了する創造的なモノやサービスを生み出すことがデファクト・スタンダードに繋がります。問題は、そういう感覚には個人差があるということです。ジャズマニアと一般の人が楽しむ音楽が違うように、企業活動の結果物である創造的なアウトプットに対しても、一般の人が好きになるものと、一部のマニア層が熱狂するものがあります。量的成長を重視するのであれば前者が大事であり、質を重視するのであれば後者が大事でしょう。スウィング・ミュージック時代に形成されたジャズ・スタンダードによってビバップ、ハードバップ時代が開かれたように、企業の中でも量からはじめて質を目指すケースもあります。人間の感性は、持続的な刺激を求めているので、節目のときにそれぞれの分野のデファクト・スタンダードに対する再解析や進化も必要になります。もちろん、クリエーティビティー溢れるモノやサービスだけがデファクト・スタンダードになるとは限られません。ちょっとした不便を解決したものや人間の潜在的なニーズを先取りしたものであれば何でも資格はありますが、その場合、重要なのは、誰よりも早く市場に出すことです。いわゆる「ファースト・ムーバー・アドバンテージ」です。ファースト・ムーバー・アドバンテージを享受しているモノに代わってデファクト・スタンダードになるためにはiPodやiPhoneのようなクリエーティビティーが必要になります。

➁分業と調整による絶対的マスの確保

どんなに優れたものでも大衆がわかってくれないと痕跡も残さず消えてしまいます。企業が並みならぬ努力で生み出した財貨やサービスも超高価のブランド品として扱われたり、一定規模以上の消費が行われたりしない場合、同じ運命になります。スウィング・ミュージック時代は、一部地域の黒人たちが楽しんでいた音楽が全米規模に広がって大衆化されたという意味で、「規模の経済」が実現できた時代です。その過程で、現在も繰り返し演奏される、1千曲を超える、いわゆる「ジャズ・スタンダード」が確立されました。この時代の編曲中心のスタンダード演奏は、大衆にジャズ音楽のテーマを認識させる大きな役割を果たし、後ほどビバップを受け入れる土台になります。
ジャズ・スタンダードの確立は、組織における標準化・専門化と関連付けられます。アダム・スミス(1776)以来、標準化・専門化をベースにした分業システムは組織運営の基本となってきました。正確には、組織編成の基本原理として知られているのは、「分業と調整」で、標準化は「事前の調整」に当たります。標準化とは、原材料や部品を統一すること、作業工程や仕事のプロセスを明確にして品質を均一にすること、最終製品のスペックを決めておくことなどに分けて考えられますが、結局のところ、計画とおりになるよう、あらかじめ調整することを意味します。もちろん、「事後の調整」も必要ですが、それは、位階制(Hierarchy)などによる意思決定の仕組みに左右されるし、組織文化やリーダーシップの問題とも関係のある話です。
市場の先制を通じたデファクト・スタンダードを目指す場合、分業と調整は、社内だけに限定されません。テレビ市場で競争していたソニーとサムスンがLCD合弁会社を作って一緒に液晶テレビ市場を拡大させたこと、アップルが製品の生産を中国会社に任せたことなど、合従連衡の戦略も大事です。
➂媒体、インフラの活用

デファクト・スタンダードを作るためには、魅力的な製品と量産体制だけでは足りないです。市場に知らせて買ってもらうこと、つまり、マーケティング戦略が必要になります。これに関連してスウィング・ミュージック時代は、当時普及し始めたラジオやレコード、ジュークボックスという媒体の恩恵を受けました。ラジオは、1930年代のアメリカ人にたいして、コミュニティ感覚を生み出したものだと言われています(ストウ、1994)。レコードは、ジャズ・ミュージシャンたちに、演奏技法やスタイルの研究、模倣、批判を可能にしてくれた都合のいい媒体でした。禁酒法の廃止の後、バー、カフェ、簡易食堂、道路脇のダンス施設などに置かれたジュークボックスは、低所得層の人たちにとって、公共娯楽としては映画に匹敵し、当時生産されたレコード総数のほぼ半分を消費したと知られています。もちろん、こういった物理的な媒体だけがマーケッティングの有効な手段ではありませんが、既存のインフラや技術革新の成果を上手く活用することは大事です。