阪南大学国際観光学部和泉研究室は「地域・観光の創造(地域資源や人的ネットワークなどを活用しながら、地域づくりや観光振興のための新たなデザインプランを思考・提案し、地域の方々と共創的に実践する)」を研究テーマとしています。
和泉研究室では、河南町(大阪府南河内郡)において、日本遺産「「葛城修験」-里人とともに守り伝える修験道はじまりの地」の構成文化財である平石峠経塚・高貴寺香華畑経塚をはじめ、町内に点在する歴史資源を活用した観光地域づくりを河南町役場(生涯まなぶ課)、と共創的に展開する取り組みを2021年度から3年間の予定でスタートさせました。
2024年1月23日、日本遺産(Japan Heritage)の構成文化財である平石峠経塚の調査を中心とした歴史資源調査を文化財の担当部署である生涯まなぶ課、観光振興の担当部署である農林商工観光課のみなさんと実施しました。また、教育長もご参加くださいました。
当日は、平石地区集会所をスタート地点に、もみじの滝—巨石群(胎内くぐり—鉾立石—鍋釜石—久米の岩橋)—岩橋山山頂—日本遺産平石峠経塚—高貴寺—磐船神社—平石城跡—近つ飛鳥博物館の行程で、約6時間に及ぶ調査を実施しました。もちろん、所々で休憩をとりましたが、参加した4回生(3名)は、普段、山道などを歩くことがないこともあり、長時間の調査に困憊気味でした。修験道の祖「役行者(えんのぎょうじゃ)」の修行地という伝承を身をもって体感したようです。
しかしながら、途中、小さいけれど雰囲気のある美しい滝有り、眼下に広大なパノラマが展開する場所有り、達成感からでしょうかくぐり終わった後に清々しい気持ちになる胎内くぐり有りと、疲れが吹っ飛ぶようなポイントも体感することができました。
和泉研究室では、河南町(大阪府南河内郡)において、日本遺産「「葛城修験」-里人とともに守り伝える修験道はじまりの地」の構成文化財である平石峠経塚・高貴寺香華畑経塚をはじめ、町内に点在する歴史資源を活用した観光地域づくりを河南町役場(生涯まなぶ課)、と共創的に展開する取り組みを2021年度から3年間の予定でスタートさせました。
2024年1月23日、日本遺産(Japan Heritage)の構成文化財である平石峠経塚の調査を中心とした歴史資源調査を文化財の担当部署である生涯まなぶ課、観光振興の担当部署である農林商工観光課のみなさんと実施しました。また、教育長もご参加くださいました。
当日は、平石地区集会所をスタート地点に、もみじの滝—巨石群(胎内くぐり—鉾立石—鍋釜石—久米の岩橋)—岩橋山山頂—日本遺産平石峠経塚—高貴寺—磐船神社—平石城跡—近つ飛鳥博物館の行程で、約6時間に及ぶ調査を実施しました。もちろん、所々で休憩をとりましたが、参加した4回生(3名)は、普段、山道などを歩くことがないこともあり、長時間の調査に困憊気味でした。修験道の祖「役行者(えんのぎょうじゃ)」の修行地という伝承を身をもって体感したようです。
しかしながら、途中、小さいけれど雰囲気のある美しい滝有り、眼下に広大なパノラマが展開する場所有り、達成感からでしょうかくぐり終わった後に清々しい気持ちになる胎内くぐり有りと、疲れが吹っ飛ぶようなポイントも体感することができました。
こぼれる木漏れ日の中の山歩き、心地良いですね。森林浴ができました。
左:「久米の岩橋」役行者が一言主神に命じて葛城山から吉野の金峰山に橋をかけ渡そうとしたが、夜が明けて未完成に終わったという伝承における橋の一部と伝わる石造物があります。
右:「胎内くぐり」
右:「胎内くぐり」
巨石群の目玉「胎内くぐり」。結構、狭いです。それだけに達成感はひとしお。生まれ変わったかな?
左:日本遺産の構成文化財「平石峠経塚」 右:中世の山城である「平石城跡」
磐船神社。饒速日命(にぎはやのみこと)が高天原から天磐船(あまのいわふね)に乗って降臨したという神話伝承が残る地の1つ。
河南町が所在する南河内地域は、歴史資源に事欠かない地域ですが、数々の伝承が付されている巨石群はここ河南町でしか見ることができません。また、巨石群に関しては、金剛山地の提供する豊かな自然環境のもとでそれらを体感することになるため、登山やハイキング、スポーツを中心にレジャーを考える方々の目にもとまりやすいのではないかと考えられます。
もちろん、伝承の類を直ちに史実と捉えることは難しいと考えられます。このことをきちんと踏まえた上で、地域魅力の1つとして観光に結びつけていくことができればと考えるところです。
巨石群以外にも、今回の調査の中心であった日本遺産「「葛城修験」-里人とともに守り伝える修験道はじまりの地」の構成文化財である経塚、拝観に際して俳句を詠むことをお願いされるユニークな古刹である高貴寺、最近注目されはじめたイチゴなどとともに、創意工夫しながら、河南町の魅力として発信することができればと考えています。
今年度、河南町における日本遺産を中心とした研究活動に関しては、一旦の区切りとなります。河南町のみなさん、ありがとうございました。