※なお、この学生教育研究活動は阪南大学学会より補助を受けています。
たくさんの「ありがとう」をいただきました
国際観光学部4回生 王欣
当日の朝9時、来村ゼミの学生と三好千夏さんの15人が天王寺公園のゲート前に集合しました。ゲート前にはすでに来場者が列を作っていました。来村先生から公園に入る名札が配られ、すぐさま通用門から入園します。ボランティアの仕事はイベントのパンフレットを来場者に配り、何かを尋ねられたときに答えることです。そのためには、まずは私たちが会場を知っていなければなりません。天王寺公園をひと巡りして、会場の場所を確認しました。学生は2人ずつ7つのグループに分かれ、会場の各所に散らばって立つことになりました。ただ、ずっと同じ場所に立っていたら、全体のことがわかりませんし、退屈だろうということで、一定の時間をおいて、順番に次の場所に配置を変えてゆくことになりました。私は同期のラッターナアムポン=ターウィトリさん(通称ユーさん)と組になり、大阪市立美術館前の広場に立ちました。そこはゼロワンが主催するチャンバラ合戦〜戦IKUSAのイベント会場です。彼らは前日にも道明寺合戦まつりで多くの子どもたちを集めてチャンバラ合戦を楽しませたグループです。私たち以外にも近畿大学や大阪観光大学の学生たちも応援に来ています。「君たちもいっしょにやりませんか」と誘われましたが、私たちにはパンフレット配りの任務がありますので、残念ながら参加できませんでした。
公園にいるのは戦国イベントを目当てに来たお客さんだけとは限りません。美術館の特別展覧会を見に来られた人たちもいます。そういう方から「今日は何があるのですか」と何度も聞かれました。パンフレットを見せて説明すると、「それじゃ、先にそちらを見てから美術館に戻ってこようか」と言って下さり、説明のしがいがありました。茶臼山の裏にあるわんぱく広場には自衛隊の隊員が車両を展示し、近くに大阪城甲胄隊のテントが張られています。400年の時を超えて新旧の兵士が集まると、不思議な感じがしますが、なごやかに語る彼らの姿を見ていると、戦いの雰囲気はありません。甲冑隊員と自衛隊員のどちらもが平和の大切さを来場者に伝えていました。自衛隊員が展示した車両は子どもだけではなく、大人にも大人気で、無邪気に記念撮影を楽しんでいたのが印象的です。
楽しい経験の数々
国際観光学部4回生 高飛娜
河内国分駅の西側にある玉手山丘陵は大坂の陣の際には「小松山」と呼ばれていました。ここではたくさんの武将が戦って亡くなったということです。丘の上は見晴らしがよく、歩きながら、景色を楽しめました。丘の上に広がる玉手山公園は小松山合戦まつりのメイン会場で、たくさんの人でにぎわっています。ハイキングの人たちの動きに合わせて、私たちも場所を変え、石川をこえた道明寺駅のほうへ歩きました。石川にかかる長さ151mの吊り橋は100年ばかり前に建設されたもので、文化財に指定されています。揺れる橋を渡れば、石川の河川敷に整備された公園があります。そこには赤い甲冑を着た一団と黒い甲冑を着た一団が分かれて待機しています。中には忍者姿の人もいて、颯爽としています。ここでの私たちの役目は大きな凧を揚げることでした。赤い蛸の形を凧で、長さは10mばかりあります。その準備をしているうちに、模擬合戦が始まりました。合戦の歴史が説明されましたが、言葉がわからずに、あまり理解できませんでした。ところが、合戦が始まると、全員が本気になり、模擬合戦とは思えないほどの迫力を感じました。それが終われば、子供たちも参加できるチャンバラ合戦があり、こちらも遊びとは思えない迫力がありました。
翌日の5月4日(日)は場所が変わり、天王寺駅近くの天王寺公園で行われた戦国イベントを応援しました。こちらは会場でパンフレットを配る仕事です。河底池の近くにはコスプレのブースが設けられ、若い女性がスーツケースを持って集まってきます。彼女たちは「戦国BASARA」というゲームやアニメの登場人物になりきって、公園の中で互いに撮影をして楽しんでいます。日本のアニメは世界的に有名で、コスプレの文化も世界をリードしていると聞いていますが、その実態を見たのです。
コスプレ文化を実感しました
国際観光学部4回生 ラッターナアムポン=ターウィトリー
美術館の北側は谷になり、そこに広がる河底池は新緑の茶臼山を水面に映して、美しい風景を作っています。池の中には魚や亀が多く泳いでいます。水面に顔を出した台にカラスがとまり、格好よくポーズを決めています。西側のほとりに大きなテントが張られ、コスプレイベントのブースが設けられています。ただ、私たちがそこにいるときは、まだ時間が早く、コスプレは始まっていませんでした。池の北に茶臼山があります。次の配置場所は山の裏にあるわんぱく公園です。山を越える散策路を登っていると、近くのお客さんから「山に登ったら何かあるのですか?」と聞かれました。別に何かがあるわけでもありませんが、登りきったらわんぱく広場が見えてきます。冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村が本陣を張ったところです。そこに自衛隊の車両が置いてあります。乗って写真を撮ることもできます。けっこうな人気で、写真を撮りに行こうと思っても、なかなか撮れませんでした。
甲冑姿で被写体になりました
国際観光学部4回生 呂媛媛
活動の最初は「小松山合戦まつり」の応援です。3日の午前8時半に近鉄河内国分駅に集合し、近くの施設で黒い紙製の甲冑を身につけます。以前の活動で先輩たちが製作したものであるようです。普段着の上につけるだけですが、こんな衣装をつけて街を歩いたことがありませんので、とても恥ずかしい気持ちになりました。一人ではとても無理ですが、同期の仲間や後輩たちも同じ格好ですので、勇気づけられました。それをつけてハイキングコースに立ちます。私は高飛娜さんと組になり、玉手山丘陵の住宅地に立ちました。この日、近鉄駅長お薦めフリーハイキングに参加した人は1000人近くにのぼったということです。私たちの前を次々と参加者が横切ります。そのつど挨拶をして道案内をすると、皆さんは口々に「ありがとう」と言ってくれます。そのことが嬉しくて、最初の恥ずかしさは、いつの間にか消えていました。「もっと頑張ろう」。感謝の言葉はそういう気持ちにさせてくれます。ハイキングの距離は10km近くもありますが、驚くことに、大半が年配の方です。その人たちは甲冑姿で街角に立っている若者に興味を引かれるようで、「いっしょに写真を撮ってください」という注文が多くありました。印象に残ったのは、自動車で前を通った婦人がわざわざ車を止めて降りてこられ、いっしょに記念撮影をして行かれたことです。道案内の役目だけではなく、戦国の雰囲気を作ることに役立っていることを実感しました。
その日の午後は場所を石川の河川敷に移して、こんどは藤井寺市の「道明寺合戦まつり」を応援することになりました。河川敷の広場では本格的な甲冑をつけた武者たちが集まり、模擬合戦をします。それに続けて子供と大人が入り混じってのチャンバラ合戦ゲームが行われました。私たちの任務は大きな凧をあげて、イベントの目印にすることでした。凧は動物のタコの形をしています。長さは10mばかりでしょうか。こんなものが揚がるのかと、みんなは半信半疑で凧揚げを始めました。私たちがタコの足を持ち、後輩の男子学生が胴体を引っ張って走ります。何度か失敗しましたが、そのうちタコはみごとに空高く揚がりました。3回生とはこの日初めて活動をしましたので、それまではよそよそしかったのですが、凧揚げを通じて仲良くなれました。
天高く舞い上がったタコの大凧
国際観光学部3回生 解志成
5月3日の午前中に柏原市の「小松山合戦まつり」で道案内の任務を終えたあと、石川の河川敷に移ると、そこに待っていたのは大凧を揚げる任務でした。長さが10mばかりあるタコの形をした大凧を「学生だけで揚げよ」という任務をいただきました。子どものころに凧揚げで遊んだ経験はありますが、こんなにも巨大な凧を揚げたことは、もちろん初めてで、技術もわかりません。大きなバックから出された凧は骨もなく、赤いシートのようで、見た瞬間に「これは無理だ」と諦めました。それでも来村先生は躊躇することなく凧を広げ始めました。何としても揚げなければなない。そういう雰囲気でしたが、大勢の前で失敗したときの恥ずかしさを思うと、「絶対に嫌だ」という気持ちが先に立ちます。
ところが、同期の胡亜鵬君は意外にあっさりと先生の指示に従い、大凧の糸を引っ張る役目を担いました。タコの胴体を4人が持ち、8本の足を4人が持って、胡君といっしょに走ります。胡君は真剣な表情をしています。しかし、タイミングと風向きが悪いのか、大凧は思うように揚がりません。1、2度失敗すると、笑っていたみんなも、深刻な顔つきになりました。「やはり無理だろう」と思い始めたとき、「こんどは解君がやってみて」と、先生が私を指名しました。意地になりかけた私は、ためらうことなく糸を持ちました。ただ、内心では「たぶん無理だろう」という気持ちが勝っていました。風を待って飛ばし、揚がりかけた瞬間、こんどは糸がプツリと切れ、川岸の草むらに落下。落胆の声があがります。それでも先生は諦めません。糸をくくり直して再チャレンジです。そして、ついに揚がりました。河原の風に乗って、大凧はどこまでも高く揚がってゆきました。
充実感を味わえた2日間の活動
国際観光学部3回生 掛尾敦史
文化財に指定されている玉手橋を渡り、石川左岸の河川敷に下りると、昼からのイベントに出場する赤や黒の鎧武者たちがリハーサルをしています。戦国時代の合戦さながらの模擬合戦が開催され、それに続けて子供たちが主役のチャンバラ合戦が行われるそうです。武者たちがもつ槍は私たちが大学で製作したもので、それが使われている様子を見ると、苦労が報われた気持ちになります。ここでの私たちの任務は大阪城甲冑隊の創設者である河井計実さんが持参した大凧を揚げて、イベントがここで開催されていることを遠くまで知らせることでした。凧は赤いタコの形をしており、巨大ですので、こんなものが飛ぶのかと疑いましたが、留学生たちの奮闘もあり、最後はみごとに空高く舞い上がりました。見学に来た子供たちも大喜びです。なにか大きな務めを果たしたようで、充実した1日でした。
日本人の考え方が少し理解できました
国際観光学部4回生 胡亜鵬
ハイキングコースは10キロもあり、途中には迷いやすい所も多くあります。とにかく距離が長いので、目印として用意されたノボリも数が十分でなく、それを補うように私たちが道に立って目印となりました。笑顔でみんなにあいさつをすると、ほぼ全員から返事が来ます。ただ、コース前半の玉手山は急な坂道も多く、「つらいなあ」と音をあげる参加者も少なくありません。何人かに質問されたのはトイレの場所です。位置はマップに記されているのですが、そもそもコースの大半は普通の住宅街ですので、トイレが少なく、駅を出ると、次は玉手山公園までありません。駅で十分に済ませておくように、マップに大きく書いておくべきか、とも思いました。それにしても参加者は大半が中高年で、若者はたまにしか見当たりません。お年寄りはマップをもらってもわかりづらいのか、道に迷っている人が多く、おかげで道案内の仕事が多く、退屈をしませんでした。黒い甲冑は硬い紙でできており、軽くて着やすいのですが、風が通らず、日差しを受けてかなり熱くなります。この日はいい天気でしたので、汗が噴き出して困りました。
翌日の天王寺真田幸村博は天王寺公園の全域を使って開催されました。場所が大阪市内であり、連休中ということもあって、前日の10倍以上の人が来たようです。気温も高く、夏のような暑さとなりました。公園のゲートに学生たちが集まると、来村先生は簡単に1日のスケジュールを説明されました。「会場の地図とスケジュールを頭に入れておけ」という指示です。前日と同じく2人1組で行動することになりましたが、学生の人数が15人でしたので、私1人が先生と組になって動きました。合計8組です。学生たちは公園のあちらこちらに配置されます。ただ、1日中同じ場所にいては、イベント全体を観察することはできません。そこで一定時間をおいて持ち場を順次変えてゆくことにしました。私は見回りの役目を担いましたので、公園内を自由に動き回ることができて幸運でした。音楽ライブ・スペシャルステージ・道頓堀プロレス・コスプレイベントなど、出し物も豊富です。それだけに、来ている人も前日とは違い、圧倒的に若者が多く、活気が満ち溢れています。真田幸村博のPR効果は絶大で、今後は経済的な効果も出てくるでしょう。
天王寺公園で戦国イベントを開催する意義
国際観光学部3回生 全在艶
400年前に今の天王寺区では戦乱の時代から天下泰平の江戸時代に移るきっかけとなった「大坂の陣」の激戦が繰り広げられました。大坂の陣では多くの名高い武将が活躍しましたが、なかでも真田幸村の名はよく知られています。天王寺区の北部には大坂冬の陣で幸村が立て籠もって善戦をした「真田丸」の跡が残っています。また、真田の抜け穴とよばれる石組が三光神社の境内に残されています。大坂冬の陣で徳川家康に埋められた空堀も痕跡を残しています。天王寺公園にある茶臼山は大坂冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村が本陣を置いたところです。また、幸村は茶臼山から出陣して家康を追い詰めましたが、善戦のかいなく、天王寺公園の近くにある安居神社で最期を遂げました。天王寺公園で大坂の陣のイベントを開催する意味は十分にあったのです。
私たちは前日にお手伝いをした道明寺合戦のブースを本部として行動しました。周囲には戦国グッズを販売する店や戦国衣装の試着コーナーもあり、たくさんの人で賑わっていました。天王寺区が製作をしたイベントのパンフレットを配ることが私たちの任務でした。来場者の多くは戦国ファンで、戦国時代の歴史に興味があります。残念ながら私は留学生ですので、日本の歴史はあまり詳しく知りません。歴史のことを聞かれても、答えられないことが何回かありました。ただ、お客さんは優しく、留学生だとわかると、答え間違っても、笑って許してくれました。ありがたいことです。
戦国グッズ販売のテントでは、戦国時代を思わせる記念品、武将のデザインがされたTシャツ、玩具の武器、戦国ゲームなど、ファンが喜ぶ品々を並べています。そこには長蛇の列ができていました。イベントは民間活力が支え、収益は地元に還元されています。これから2015年末までの2年間、天王寺区では真田幸村をテーマに、民間団体や民間事業者のアイデアを盛り込んだ、「歴史系」「エンタメ系」「武者・コスプレ系」「飲食・販売系」「市民参加地域連携」など、さまざまなジャンルのイベントが行われるそうです。
暑さにも負けず頑張りました
国際観光学部3回生 チャン・シャオチ
ハイキングは参加者の固まりが前方へ動きますので、それに合わせて私たちも場所を変えました。ただ、コースは玉手山丘陵という小山を登ってゆきますので、移動するだけで大変です。立ち続けて疲れた足に坂道がこたえます。丘陵を下り、石川の堤防近くまで来たところで、再び道案内の任務につきました。ここでも1時間以上は道行く人に挨拶をし続けました。昼過ぎにようやく道案内からは解放され、続いては石川の河川敷で行われる模擬合戦やチャンバラ合戦の応援です。私たちの任務は大きな凧を揚げることでした。長さ10mばかりの蛸形の凧を揚げて、遠くからでも合戦イベントがここで行われていることを報せる活動です。大きな胴体に8本の長い足がついていますので、8人が凧をもって走りました。努力の甲斐あって、何度かの失敗ののちに、大凧はみごとに空高く舞い上がりました。凧が揚がったころに、模擬合戦が始まりました。50人ばかり甲冑武者が双方に分かれ、槍で突き合います。槍の大半は私たちが製作したものです。模擬合戦とはいえ、戦う人たちは本当の戦いをしているかのように真剣です。日本に来て、こんな迫力のあるシーンが間近に見られるとは思ってもみませんでした。
2日目は天王寺真田幸村博のイベントを応援するため、天王寺公園に行きました。道案内とパンフレット配りが主な仕事です。案内役ですので、公園内の道やイベント会場を把握しておかねばなりません。そこで開場前の時間を使って、全員で公園内を回りました。公園の地形は起伏に富んでいて、道も複雑です。一度では覚えられず、不安をかかえたまま本番に突入しました。最初はただのコスプレイベントかなと思っていましたが、パンフレットを読むと、それは一部で、他にもイベントがたくさんあります。合戦の歴史も記されています。今から400年前にこの周辺で激しい戦いがあったそうです。それは戦国時代から江戸時代への分岐点となった大規模な戦いでした。イベントはその歴史を伝えるために開催されたと書いています。小松山合戦まつりや道明寺合戦まつりと同じく、単なる遊びのイベントではない、ということです。そういう意義を来場者に伝えなければならないのですが、言葉の壁が大きく、思うように伝えられません。それでも心は通じたようで、口々に「ありがとう」と言ってもらえました。
次回の活動は勉強して臨みます
国際観光学部3回生 西原まどか
河内国分駅から近鉄駅長お薦めフリーハイキングが行われ、玉手山公園では戦国イベントが行われます。道に立ってハイキングの参加者を見ていると、小学生の子供から高齢者まで、幅広い年齢層がともに歩いています。どちらかと言えば高齢者が多く、私たちもつらく感じる急な坂道や歩きにくい道も元気に歩かれている姿が印象的でした。お年寄りは元気です。こちらから「おはようございます」と声をかけると、元気に「おはよう」と返して下さり、とても気持ちよく活動ができます。なかには「ご苦労様です、頑張ってね」と声をかけて下さる方もいて、足の疲れも癒されます。ただ、「この道はどこですか」「この建物は誰かに関連のある建物ですか」などと質問されて戸惑いました。事前の勉強不足で、地図の読み方や合戦の歴史に通じていなかったことが悔やまれます。道案内をするからには、史跡の位置や関連する歴史を調べておくべきでした。次回への反省点とします。
昼過ぎに石川の河川敷へ移動すると、道明寺合戦まつりが開催されていました。そこでは赤の鎧と黒の鎧で身を固めた武者が50人ばかり模擬合戦のリハーサルを行っています。彼らが手にしているのは、私たちが製作した槍です。皆さん分厚い甲冑をつけて、動くのも大変そうです。いよいよ本番が始まると、戦闘の迫力が伝わってきます。真剣な顔つきで戦う皆さんの姿は精悍で、見応えがありました。続く子どもたちのチャンバラ合戦も楽しそうで、思わず参加したくなりました。この日はたくさんの見所があって、楽しい活動ですした。
凧揚げは私の合戦でした
国際観光学部3回生 潘媛
私たちは、黒い紙製の甲冑をつけ、小松山合戦のノボリをもって道標の代わりとなりました。最初の持ち場は玉手山丘陵の北端に鎮座する片山神社です。全在艶さんと2人で1組になり、次々に訪れる参加者に向かう先を教えます。留学生なので、日本語もそれほどできず、合戦の歴史も詳しくなく、立っている片山神社についても、由緒がよくわかりません。何とか道案内の役には立っても、説明ができず、情けないことです。そのうち付近にお住いの年配のご夫婦から逆に片山神社の秋祭りのことを教えていただきました。1時間ばかり道案内をしたのち、次の案内地点へ移動しました。途中の古墳の上には後藤又兵衛に挑んで敗れた徳川方武将の奥田三郎右衛門の墓も立ち、登ってお参りする人も少なくありません。柏原市立老人福祉センター「やすらぎの園」のあたりが小松山だろうと言われ、近くには石碑も建てられています。このあたりからは西側の風景が展望できます。石川の向こうに大規模な古墳がならび、小松山の戦いに次ぐ道明寺の戦いや誉田の戦いが繰り広げられた戦場が一望できます。合戦の歴史を現地で感じることができました。
イベントにはハプニングがつきもの
国際観光学部3回生 平池晴菜
午後からは石川の河川敷会場に移動して模擬合戦とチャンバラ合戦の応援に当たりました。私は来村先生に代わって写真撮影を担当しました。模擬合戦は本格的な甲冑を着た大阪城甲冑隊や門同流兵法の道場の方々の戦国時代の合戦を再現しました。ゼミの時間に作った槍が使われていて、努力が報われた気分になりました。竹を芯にしてウレタンを巻きつけ、槍の部分も相当に手をかけましたので、それがどう使われるのかが楽しみであったのです。槍は激しく使われ、模擬合戦の迫力は想像以上でした。
その後、チャンバラ合戦が行われました。参加者には子供も大人もいます。ウレタンの刀で相手の腕につけたボールを叩き落とすゲームです。合戦が始まる直前、子供たちはやる気満々で、今か今かと開始の合図を待っています。大人たちは「子供相手では真剣になれない」といった顔つきで、余裕を見せていました。ところが、試合が始まると、子供も大人もありません。大人たちもいつボールを狙われるかと戦々恐々のありさまです。みんな真剣な目つきに変わり、追ったり、逃げたりと、必死に走り回っていました。終了の合図が鳴らされた時には、全員が汗だくでしたが、楽しそうな表情をしていたのが印象的でした。
多種多様の演出がなされたイベント
国際観光学部3回生 牧野千佳
イベントは朝から夕方にかけて、大阪芸術大学忍術研究会による「約束の地」再現パフォーマンス、国際武術文化連盟と大阪城甲冑隊による模擬合戦、大阪スポーツチャンバラ協会による競技大会、ゼロワンによるチャンバラ合戦〜戦IKUSAなど、当時の合戦を思わせる演目が続きます。私たちが河川敷に到着したときには、スポーツチャンバラ大会が終わり、模擬合戦のリハーサルが行われていました。模擬合戦は道明寺合戦で真田幸村と伊達政宗の軍勢が激突した「誉田の戦い」を想定したもので、黒い甲冑をつけた武者が伊達方、赤い甲冑をつけた武者が真田方です。演者の中にはリハーサル中に槍が顔に当たり、怪我をされた方もいて、本番でも真剣な戦いが繰り広げられました。大迫力です。チャンバラ合戦は大人と子供が混ざって楽しめるイベントです。肩に付けたボールを命に見立て、自分のボールを守りながら相手のボールを狙う競技です。4、5回にわたり合戦ゲームが行われ、そのつど参加者は必死になってウレタン製の刀を振るいます。子供はすばしっこく、大人に負けていません。むしろ子供のほうが強いように見えました。
事前の勉強と打ち合わせが必要です
国際観光学部3回生 三谷岳史
石川の河川敷で行われた模擬合戦では私たちが製作した槍が使われ、実戦さながらの演武が披露されました。槍を激しく突いたり振ったりしている様子は真に迫るものがありました。私たちは演武の後方で巨大な凧を揚げて、会場に彩を添えました。初めはうまく飛ばせず、凧糸も2度切れて諦めかけましたが、くじけずに挑戦しているうちに、空高く舞い上がりました。やみくもに飛ばそうとしても駄目で、風向きを読むことがコツであることに気づいたのです。真っ赤なタコの形をした大凧は遠方からでも人目を引いたに違いありません。大きな達成感を味わいました。
イベントには熱中症対策が必要です
国際観光学部3回生 三好千夏
私たちはかつて先輩たちが製作した黒い紙製の甲冑をつけて公園内の各所に立ち、会場の案内に努めました。事前に公園を歩いて各ブースの位置を確かめ、渡されたスケジュール表を見て、イベントの流れを把握していたのですが、手持ちの資料に記載されていない事柄もよく聞かれ、戸惑いました。わかる限りで案内はしましたが、事前にもっと不明な点を確認しておけばよかったと、反省しています。天王寺公園の付近にあるお寺への行き方を聞かれた際、その方が持っていた地図と会場内の地図を照らし合わせてなんとか説明することはできましたが、その方が何も持っていなければ、絶対にわからなかったことでしょう。イベントマップだけでなく、周辺の地図も必要です。色々なことを想定して、事前に必要な資料を準備しておく。そういう配慮をこれから心がけます。