大阪の夏はやっぱり祭り!! 鶴橋・コリアタウン街歩きツアーの模様(レポーター:松村嘉久・タン=イーヘン・丸市将平)

準備不足のまま迎えたツアー当日

 2010年第5回目のLet’s enjoy walking tour from Shin-Imamiya!! は「夏祭りの生野を楽しむ」と題して,7 月18日(日)に行いました。そのわずか5日前の13日が第4回目の「夏祭りの平野を楽しむ」だったので,充分な下見や準備をする時間が確保できませんでした。生野区の鶴橋・コリアタウンの夏祭りは,松村ゼミで2006年・2009年と歩いています。現在の4回生は2009年を経験しており,先日の金城学院大学とのフィールドワークで簡単な下見を行ったので,ゼミ生全員を動員しての事前下見は行わず,詳細な事前の打ち合わせと当日朝からの頑張りにかけて,街歩きツアー当日を迎えました。
 18日(日)は新今宮TICの運営日なので,その運営スタッフとして,窪堀愛子・松原歩美・佐藤有(以上4年生)・濱中勝司(OB)が9時前後に集い,松村も9時前に駆け付けました。前日17日(土)までの参加希望者は台湾人2名でしたが,18日朝での参加申し込み状況は15名でした。今回の街歩きツアーには,阪南大学国際観光学部の2年生有志6名もオブザーバー参加することになっていたので,みんなで相談した結果,この時点で新今宮界隈のゲストハウスを巡り,手描きポスターとチラシを回収して,新たな勧誘は行うことなく募集を打ち切りました。

「悪いけどちょっと見に行って来てくれへん」

 10時に当日参加者の勧誘のため,丸市将平・安達七菜・久保田早也佳(以上4年生)・前島佑香(3年生)がやる気満々で新今宮TICに駆けつけました。この18日(日)は梅雨も明けて,驚くほど雲ひとつない晴天・猛暑で,体力・気力の消耗が予想される日でした。街歩きのコース設定は,ある意味でその成否を握る大事な要素でした。しかしながら,勧誘組は集まったものの,その仕事はすでに終わり,やることがない…。
 そこで松村先生から,「どのだんじりがどのコースを通るのか全く情報がないねん。悪いけど君らでちょっと行って見て来てくれへん。」との依頼がありました。生野区のだんじりは少し複雑で,御幸森(みゆきもり)神社発着のだんじり,彌栄(やえい)神社発着のだんじり,2006年夏に遭遇した岡地車會のだんじりが,個々別々に生野区内を走り回っているらしい。前日の17日(土)に7代目ゼミ長の佐藤が御幸森神社に出向き,そこのだんじりの曳行ルートは確認済み。あと二つのだんじりの曳行ルートは,彌栄神社と岡地車會のだんじり倉庫に行かなくてはわからない状況でした。体力の消耗を抑え外国人参加者に満足してもらうコース設定のためには,情報収集が不可欠でした。そこで,金城学院大学との下見に参加した丸市に,2009年度の経験者である安達・久保田がサポートに付き,3名が機動力のある自転車で生野区へ向かいました。

準備不足は打ち合わせで補う…?!

 前島は松村先生と一緒に,コース設定の相談を兼ね,ジャンジャン横丁のお好み焼き屋「狐狐(ここ)」へ11時過ぎに行き早めの昼食。そこに石橋涼子(4年生)と大阪市立咲くやこの花高校の映像表現系列の清水夏蓮さん(高校3年生)が合流しました。松村ゼミでは外国人向けの街歩きツアーを映像で記録したいとの思いがありましたが,そのテクニックのある者がいない…。石橋の妹が同高で修学している縁から,その同級生の清水さんにお願いすることになりました。お好み焼きを食べながら打ち合わせする合間に,生野区を自転車で走り回っていた丸市らから随時報告や写メールが入り,だんじり曳行の状況が判明していきました。
 街歩きツアーの案内スタッフとオブザーバー参加者の集合は新今宮TICに12時。充分な下見が行えなかったため,狭い新今宮TICのなかで12時過ぎから入念な打ち合わせを行いました。個々人の役割分担を確認して,先頭・中盤・最後尾を決め,お互いの連携を確認。オブザーバー参加者にも案内する側の心構えが伝えられました。松村先生からは「炎天下の街歩きなので,参加者とだんじり曳行の状況を見て,臨機応変に予定を変えるので,ちゃんとついて来てください。」とのこと。そうこうするうちに,ツアー参加者たちが三々五々集まり始め,ホテルセレーネのロビーへ順次誘導して受付けを行いました。

参加者も18名集まり,さあ出発!!

 ツアーの外国人参加者は最終的に18名に落ち着きました。シンガポール人5 名,スウェーデン人3名,サウジアラビア人2名,オーストラリア人2名,台湾人2名,フランス・スペイン・イスラエル・マルタ人1名ずつでした。このなかで,スウェーデン人3名は前回の平野郷ツアーの参加者,フランス人1名は何と,2009年第1回目のツアー参加者でした。つまりはリピーターで顔見知り。阪南大学2年生のオブザーバー参加者のうち,3名は中国人留学生でしたが,ツアー参加者に中国語スピーカーが多かったため,当初の期待を大きくうわまわる大活躍をしてくれました。確認しておくと,松村ゼミ4年生9名・3年生7名,松村先生,オブザーバーの2年生6名,高校生1名,外国人参加者18名,総勢42名の街歩きツアーとなりました。
 ホテルセレーネロビーでの最初の挨拶はマウン=キントゥザー(愛称:キキ)が担当し,みなさん真剣に聞き入りました。その後,松村先生の先導でJR新今宮駅へ向かい,片道160円の切符を購入して,13時10分過ぎにJR環状線へ乗り込みました。ゼミ生たちもオブザーバー参加者たちも外国人に積極的に話しかけ,外国人参加者間の会話も弾んだため,車内には和やかでエスニックでグローバルな雰囲気が漂いました。JR鶴橋駅到着は13時半。中央改札口には,先発した王雪が待っていました。王雪と久保田は松村先生の指示を受けて先発し,JR鶴橋駅のすぐ北側で休息しているはずのだんじりを探していました。二人でだんじりを探し当て,久保田はだんじりに付き添って居残り,王雪は私たちの出迎えに。当日の下見と二人の見事な連携プレイのおかげで,JR鶴橋駅に降りた私たちは,全く迷うことなく,わずか数分でだんじりと出会えました。久保田は午前中の下見でも大活躍,今回の街歩きの影の功労者です。

環状線の内と外で違うお祭り行列が…

 JR鶴橋駅の中央改札口を降りて200メートルほど北側,環状線を挟んでその内側は,彌栄神社発着の鶴橋中若会のだんじりが,その外側は東成区比売許曽(ひめこそ)神社の「枕太鼓」や獅子舞行列が,南へとゆっくり移動している途上でした。環状線の内側と外側で,全くタイプの異なるパレードを見学できました。外国人参加者たちも私たちも,このいきなりの遭遇に大興奮。
 まずは,環状線の外側で豪快で元気な「枕太鼓」を見て,獅子舞行列とその後に続く子供たちのパレードに見入りました。小さな子供が浴衣や法被を着ている姿はとても可愛らしく,みんなバチバチと写真を撮っていました。
 ちょうどそのパレードが通り過ぎた頃,環状線の内側で休息していただんじりが再び動き出しました。ワクワクするだんじり囃子が鳴り渡るなか,商店街の店舗前で「大阪締め」を繰り返しつつ,だんじりはゆっくりと進みました。祭りに参加する人たちの気持ちの高ぶりや勢いは,外国人参加者にも確実に伝わり,目の前で展開する迫力あるパフォーマンスに細かい解説など必要ありませんでした。

鶴橋の迷宮を抜ける!!

 次に向かったのは,終戦直後の闇市の雰囲気が今なお残る鶴橋国際市場です。市場へ入る前に,松村先生が日本の戦後の混乱と闇市,生野区と在日韓国朝鮮人などについて解説されました。解説するすぐ横を先ほど見送った獅子舞行列が通り何分か中断,祭り囃子をBGMにした解説は難しそうでした。松村先生から「うす暗く迷宮のような場所なので,ちゃんと私について来てください。」との注意があり,いよいよ行列は市場のなかへ。
 市場のなかでは,チョゴリ,チヂミ,キムチ,トック,アンコウ,蒸しブタ,牛肉とホルモンなど,朝鮮半島に由来するモノも日本のモノも,ごちゃ混ぜで売られています。外国人参加者たちは近くのスタッフに色々と質問していました。案内するスタッフたちは,TICでの打ち合わせ通り,曲がり角などで立ち止まりうまく誘導できました。松村先生によると,「ちゃんと打ち合わせしとくもんやなぁ。去年よりもずっとスムーズやった。」とのことでした。

御幸森神社で休憩

 鶴橋国際市場から鶴橋本通商店街を抜けてからは,疎開道路に出て御幸森神社へ向かいました。とにかく猛暑の日で,アーケード付きの商店街から,太陽を遮るもののない疎開道路へ出ると,汗が一挙に噴き出してきました。コリアタウン入り口の御幸森神社に着くと,夏祭りの屋台が十数軒も出ていました。だんじりがまちなかを走っているためか,神社のなかはのんびりムードで閑散としていました。私たちは本殿をバックにみんなで記念撮影させていただき,ここで休憩することにしました。
 外国人参加者らが休憩している間,松村先生がスタッフ幹部を集め,今後のコース取りを相談。時間は14時15分くらい。午前の下見から得た情報では,この御幸森神社から直線距離で約1キロ離れたところで,15時過ぎにだんじりが集結することになっていました。行った方がいい,行かない方がいい,意見が分かれました。まだまだ元気な参加者もいましたが,明らかに疲れている方もいました。そこで,コリアタウンを少し歩いてから,だんじり集結現場に近い桃谷の商店街へと向かい,そこで参加者の状況を再確認して判断しようということになりました。

やっぱりソフトクリームは外せません!!

 コリアタウンに入ったのは14時20分頃,平野川まで行かずに途中で桃谷方面へ引き返し,生野区のまさに生活空間を歩きました。参加者とスタッフたちが会話を楽しみながらゆっくり歩くと,意外と時間がかかります。桃谷の商店街の入り口に着いたのは14時40分。ツアーの最初でだんじりとも出会えたので,「これ以上無理することはない。」と意見が優勢となり,JR桃谷駅へ向かうことになりました。
 商店街に入ると松村先生が最後尾の石橋を呼び,「またあの1個70円のソフトクリーム食べようや。」と先に走らせました(松ゼミWalker vol.47参照)。行列がお店に着くと,店のおじさんが必死でソフトクリームを作っていました。
 おじさん 「何人いてはんの? この前も来てくれはったね…。何や今度は外人さんかいなあ…。」
 松村先生 「全部で40人くらい。ジャンジャン作ってください。」
 おじさん 「いっぺんにいけるのは10人分くらいまで。機械を少し休ませたらな,固まれへんから,ボチボチいかせて。」
 石橋 「ここで溜まってたら邪魔になるから,もらった人から桃谷駅まで誘導しますね。」
 松村先生 「そやな。ほんなら,桃谷駅でアンケートを書いてもらって,待ってて。誘導たのむわ。」
 石橋 「わかりました。ソフトクリーム代どうします…。」
松村先生 「フリーツアーやから,押し売りはでけへん。ワシが出すわ。」

アンケートに真剣に答えてもらいました!!

 というわけで,またソフトクリームを食べながら歩く長い列ができました。この時,先頭を行く石橋と後続2番手集団・3番手集団の距離が開き分断され,連携をとれない状況になりました。それを見た松村先生がソフトクリームの順番を待つゼミ生たちに,「ちゃんと集団をコントロールせぇ。先頭が困っとるやろう。助けに行ったらんかいなぁ。」と急に怒り出しました。何名かのゼミ生が走って,ソフトクリーム食べながら歩く行列をうまく整えました。おかげで何名かはソフトクリームが食べられなかった…。
 JR桃谷駅前に着くと,石橋がアンケート用紙を配り協力を依頼しました。毎回そうですが,みんな真剣に読んで答えてくれます。アンケート用紙は英語のみしか用意していません。台湾人参加者は中国人留学生たちに質問内容を確認しながら,丁寧に答えてくれていました。最後の締めの挨拶は勝元暁美でした。中国語は得意だが英語はイマイチ苦手な勝元ですが,いつもの度胸と愛きょうで乗り切り,参加者から拍手が起こりました。時計を見ると,ちょうど15時,短いが内容の濃い街歩きとなりました。

松村先生より一言

 今回はリピーターがいたのが嬉しかった。特に,第1回目の街歩きツアーに参加したフランス人のカリムさん。写真左手の3名はスウェーデン人のリピーター,丸市を挟んで,右手がカリムさん。新今宮界隈の夏は外国人個人旅行者が急増する季節です。ツアー当日の10時過ぎ,ゲストハウスを巡り,そのグローバルな雰囲気を写真撮影していたところ,「Hi!! Big Boss!!」と声をかけられた。街歩きの時,私は名札に「Big Boss YOSHI」と書く。私の方は彼の名前こそ思い出せなかったが,顔と存在はしっかりと覚えていた。「確か数学の先生だったよね。」「もう一人のフランス人の友達と一緒に参加したよね。」全てピンポン,正解でした。
 「なぜここにいるの?」「また観光で来た。」「今日の予定は?」「ない。」「ならば,街歩きツアーに参加しない?」「いいねえ。今日はどこに行くの,前と同じ?」「いや,君はラッキー,夏祭りを見に行く」と会話が弾み,また参加してくれました。
 ゼミ4年生の何名かとは昨年会っているので,旧知の間柄。特に丸市と仲良し。新今宮TIC内にはかつての街歩きツアーの記念写真が展示してあります。そのなかから,自分が写っているのを発見して,カリムさんは喜んでいました。
 スウェーデン人3名のグループも,13日の平野郷街歩きに続き,18日も参加。平野での経験がとても楽しかったので,自分たちの旅の予定を調整して,新今宮に滞在し続け待ってくれたそうです。
 こんなことは,新今宮以外の地域では絶対にあり得ない。私たちが主張する新今宮地域とそこに集う外国人個人旅行者の重要性と可能性は,まさにここにあり,それが凝縮された1日でした。
 予定していた街歩きツアー6回のうち,5回が終わり,いずれも大好評でした。ゼミ生のみなさん,お疲れさまでした。あとは,夏休みのTIC毎日運営という高いハードル,秋のミステリーツアーが残っています。夏休みに入っても,いつも通り淡々と前進しましょう。
 あと,ソフトクリームくらい,また何ぼでもおごったる。