【松ゼミWalker vol.132】 観光実習導入での鶴橋・空堀・淀屋橋のまち歩き

日本にいながら異文化体験できるまち・鶴橋(レポーター:新城朱里 1回生)

 2014年1月26日(日)に,松村先生担当の観光実習導入で,大阪のまち歩きを行いました。案内人は松村先生,それにスチューデントアシスタントで3回生の松川和矢さんと橋田翔子さんがサポートで加わり,1回生8名(新城朱里・田中龍之介・西澤明広・佐藤伶・林莉緒・松永未来・峯松健・山内慎介)が参加しました。私は今まで近鉄鶴橋駅で下車した経験が無かったので,今回のまち歩きをとても楽しみしていました。

 集合は10時半に近鉄鶴橋駅の改札口を出たところ。そこでまず,松村先生から鶴橋の歴史について学びました。鶴橋駅周辺は,JR大阪環状線の外側が生野区と東成区,内側が中央区と天王寺区で,区の境界が集まっています。特に,環状線の外側の東成区から生野区にかけて,在日韓国朝鮮人の方々が多くお住まいで,なかでも韓国南部,済州島出身の方が多いとのこと。他にもなぜ鶴橋界隈に在日韓国朝鮮人が多いのかなど,済州島の歴史とも絡めて,具体的にご説明いただきました。私は在日韓国朝鮮人の歴史を初めて知ったので,その濃い歴史に衝撃を受けました。
 その後,まちなかを実際に歩いて案内してくださいました。現在,鶴橋には多くの焼肉屋がありますが,そのなかでも古くからある何軒かの老舗を教えていただきました。松村先生が大学生だった1980年代,鶴橋に焼肉屋はそう多くなく,普通の洋服屋とか靴屋とかレストランも多かったそうです。

 次に,「私を見失わないように」とおっしゃってから,鶴橋国際市場へと向かいました。近鉄電車の高架下やアーケードで覆われた商店街は道が狭く,どこを歩いているのか分からなくなりました。近鉄鶴橋駅の改札口の前で,「近鉄沿線魚類仕入組合」のことや,伊勢志摩から鮮魚を運ぶ専用の「魚類指定列車」の存在を詳しく教わりました。
 鶴橋が終戦直後から闇市として大きく成長した理由は,交通の便がとてもよく,奈良から野菜や米などの農作物,伊勢志摩から新鮮な魚介類が集まり,「戦争時の爆撃による延焼を防ぐための建物疎開によって,広い空き地があったから」だそうです。
 松村先生によると,鶴橋は日本でも数少ない終戦直後の闇市の雰囲気が残るところなので,とても貴重な場所とのこと。しかしながら,狭い通路に木造の店舗が密集していて,焼肉屋など火を使う商売も多いので,もし火事でも発生したら大変である,ともおっしゃっていました。かといって安易に再開発して新しくなってしまうと,闇市の名残を色濃くとどめた鶴橋の魅力はなくなってしまうだろう,ともおっしゃっていました。
 その後,鶴橋の木造長屋の密集住宅街を歩きながら,在日韓国朝鮮人の歴史や日常生活などについて,さらに学びを深めました。実力社会で生き抜く道を選ばざるを得なかった在日のなかには,格闘技界,スポーツ界,芸能界などで活躍する者も多く,日本社会のなかでしっかりと根付いていることを学びました。

空堀から淀屋橋へ(レポーター:山内慎介 3回生)

 私たちは千日前線鶴橋駅から谷町九丁目駅に出て,谷町線へ乗り換え,谷町六丁目駅へ向かいました。移動時間は10分弱,谷町六丁目駅で降りると,鶴橋とは全く異なるまちでした。坂や谷が多いところで,鶴橋のような木造の長屋ではなく,老朽化はしているけれども,比較的大きくしっかりとした古い町家が立ち並んでいました。

 谷町六丁目駅から松村先生の案内で,からほり倶楽部の「練」を目指しました。少し迷いながら向かったのですが,その途中で古い町家をうまく再生したお洒落なお店をいくつか発見しました。松屋町筋のすぐ東側にある「練」は,大きなお屋敷を活かして再生した商業施設でした。そのなかに六波羅真建築研究室が空堀のまちづくりを仕掛けた震源のひとつで,松村先生の古くからの友人が数多くこのまちに関わっているそうです。その後,「惣」という長屋を活用した施設を回り,松屋町筋へ出ました。
 空堀の印象は,リノベーションやコンバージョンという手法で,お洒落な家やお店に変わっているところも目立ちましたが,全体としては,やはり老朽化した地域が何とか頑張っているという感じがしました。表通りから少し路地を入ると,まだまだたくさん古い倉庫や家が残っていて,新しく生まれ変わったところと対照的で,それがこのまちの魅力になっている,という印象を受けました。まち歩きの途中で,松村先生は知り合い橋爪節也教授(大阪大学)と空堀でばったりと出会い,しばらく立ち話されていました。橋爪節也先生は,近代大阪の芸術や建築にとても詳しい方だそうです。

 次に,私たちは地下鉄堺筋線北浜駅へ行き,まず商都大阪の心臓部である大阪証券取引所へ向かいました。日曜日ということもあってか,証券取引所のなかは静かだったのですが,その外の堀通りに人が立ち並びとても賑やかでした。何かと思い見に行くと,この日は第33回大阪国際女子マラソンが行われていて,土佐堀通りがそのコースになっていて,応援する人たちがマラソン選手に声援を送っていました。私たちもしばらく,マラソン選手が通り過ぎるのを見て,応援の列に加わりました。
 大阪国際女子マラソンは大阪を代表するイベントのひとつになっていて,出場する選手も多いのですが,沿道から声援を送る人はもっと多く,主要な幹線道路を通行止めにしても,それ以上の色々な効果のあるイベントであることを実感しました。
 その後,証券取引所の五代友厚像の前で記念撮影をしてから,中之島中央公会堂を横切り適塾向かいましたが,適塾は耐震改修工事中。適塾のなかには入らず,隣の愛珠幼稚園を回って御堂筋へ向かいました。途中,芝川ビルという近代建築のなかにも入りました。松村先生は堺筋や御堂筋に残る近代建築の歴史や保全活動を詳しく説明してくださいました。御堂筋の景観がどのように作られてきて,今後どのように変わるのか,実際にその景観を見ながら説明を聞いたので,よく理解できました。

【松村先生からのひと言】

 鶴橋,空堀,淀屋橋と,1日のまち歩きとしては,かなり欲張り過ぎたかもしれません。最近,私は西成や新今宮での活動を中心に動いているので,久しぶりに鶴橋や空堀を歩き,新たな発見がいくつもありました。鶴橋の近鉄高架下では耐震補強工事が進みつつあり,空堀には新しいリノベーションの店舗が増えていました。やはりまちは生き物,歩いてみると色々と新しい発見があります。