【松ゼミWalker vol.154】 ワルシャワとフランクフルトを旅して!! (教員 松村嘉久)

何か新しい発見を求めて

 IGU 2014クラクフに参加した帰り道,50歳代からの研究の糧となりそうなネタを探し求めて,少し寄り道しました。訪問したのは,ポーランドの首都ワルシャワ(左衛星写真・Google earthより)と,ルフトハンザ航空の乗り継ぎの関係から,ドイツの国際金融都市フランクフルト(右下衛星写真・Google earthより)。ワルシャワには5泊,フランクフルトには3泊しました。
 この2枚の衛星写真は同じ縮尺ですが,大阪ならばこのなかに,南端で新世界や阿倍野が,北端でミナミや道頓堀が,東はJR環状線の鶴橋駅の外側まで,西は大阪ドームが入るくらいの範囲です。
 旅行経験は豊富な松村ですが,これまでの訪問先はほとんどがアジア地域,ヨーロッパで行ったことのある国といえば,2年前行ったドイツのケルンとバックパッカー時代のギリシャくらい。観光景観論などでヨーロッパの都市景観も語るのですが,基本的には本や論文を読んで得た知識ばかり。それでは学生になかなか伝わりません。

 若かりしバックパッカー時代から,「欧米はもっと年齢を重ねて,落ち着いてから旅しよう。若くて元気なうちはアジアだ。」と思い続け,気がつけばもうすぐ50歳代,ぼちぼち欧米に行ってもよい年齢に達しました。
 そもそも,大阪からはるばる13時間も,飛行機を乗り継いでクラクフまで来たのだから,寄り道しないであっさりと帰国するのは,あまりにももったいない。がちがちの現地調査でもなく,学会発表のプレッシャーもなく,久しぶりに一人旅を楽しみながら,何か新しい発見でもあればいいなあ,という気持ちでした。
 旅のひとつの目的は,この二つの都市を歩き回って見極め,特に,世界文化遺産のなかで唯一,廃墟からの復興と,それを維持する人々の努力が評価された「ワルシャワ歴史地区(1980年)」を見学することでした。もうひとつの隠れた目的はストリートアート,これに関しては,次回の松ゼミWalkerで語ります。小中学生ならば,夏休みの自由研究,といったところでしょうか。

コンパクトな街は歩き疲れる!!

 まず,ワルシャワとフランクフルトの共通の印象として言えるのは,都市としての歴史的核がとても明確で,街を構成する文法が分かりやすく,街そのものも観光の見どころも,コンパクトにまとまっている点です。
 ワルシャワ市は人口規模が約170万人で日本の神戸市と同じくらい,歴史的な核はビスワ川沿いの旧市街地で,ここが世界文化遺産登録されています。写真は,ワルシャワ歴史地区の王宮広場です。
 一方,フランクフルト市の人口規模は約70万人で日本なら岡山市くらい,歴史的な核は,レーマー広場や聖バルトロメウス大聖堂を中心に広がるマイン川沿いの旧市街地です。
 こうしたコンパクトで長い歴史を持つ都市は,フィールドワーカー泣かせでもあります。ひとつの見どころから,次の見どころが見渡せ確認でき,その途中にも色々と魅力的なものが豊富に存在するため,ついついその間を見ながら歩いて移動してしまうからです。ふと気づけば朝から晩まで歩き続けているような日々が続きます。また,歴史のある旧市街地などは,街路舗装がアスファルトでなく石畳のところが多いため,歩いての移動が続くと,疲労が蓄積して足腰が悲鳴をあげます。
 両都市にもうひとつ共通していたのは,ワルシャワには高さ237メートルの文化科学宮殿,フランクフルトには超高層建造物群,といった街のどこからでも見えるランドマークがあることです。ランドマークの存在は,徒歩での移動を促進します。街を歩いて移動する際,そのランドマークがどの方向にどのくらいの高さで見えるのか,それさえ確認すれば,自分の現在地がわかり,目的地の方角や距離がだいたい割り出せます。街がコンパクトなので,それを「歩けるな」と判断してしまい,気がつけばその連続で,歩き過ぎてしまうことになります。
 旧市街地のなかに,大聖堂があり,歴史的建造物で囲まれた広場がある点も,両都市に共通していました。ワルシャワやフランクフルトの旧市街地は,第二次世界大戦中に爆撃され破壊されたので,旧市街地の歴史的建造物の多くが,戦後に再建あるいは復元されたものである点も同じ。ヨーロッパの歴史都市の構成要素は,川沿い,大聖堂,広場,市場,王宮,城壁,掘割などなど。大学生時代に習った教科書の通りでした。
  • ワルシャワの文化科学宮殿

  • フランクフルトの摩天楼

  • ワルシャワ歴史地区の旧市場広場

  • フランクフルト旧市街地のレーマー広場

  • ワルシャワ歴史地区の街並み

  • マイン川沿いでのイベント

ワルシャワとフランクフルトでの旅の生活について

 両都市を巡った2014年8月末は,急に円安が進んだ時期と重なりました。円安のもと,アジア地域に慣れた私にとって,現地の物価は,特にフランクフルトが高いとの印象を持ちました。
 旅の間の私は,両替手数料も込みで,少し高めにレートを見積もり,ポーランドの1ズロチは40円くらい,ドイツの1ユーロは150円くらいの感覚でいました。
 ワルシャワもフランクフルトも,学会発表で滞在したクラクフも,市内の主な移動手段は路面電車か地下鉄でした。バスは路線網が複雑すぎて,短期滞在者には少し不向き。左の写真はフランクフルト中央駅,他のヨーロッパ諸国へ行く国際列車もここを発着します。
 日本人にはあまり馴染みがないのですが,こうした公共交通の駅には券売機はあるが,チケットを通す改札機のないところがほとんどで,駅や電車内へ自由に出入りできます。いわゆる「信用乗車」と呼ばれる運営方法。自分の責任でチケットを購入して,路面電車や地下鉄に乗り込み,車内に設置されてある機械にチケットを入れると,日付や時間などの情報が印字されます。
 目的地の駅に着いても,何のチェックもなしに列車や駅の外へ出られるため,極論すれば,チケットを買わなくても,路面電車や地下鉄で移動できることになります。ところが,たまに車内や駅で抜き打ち検査があるそうで,その際にチケットを持っていないと,どのような理由があろうとも,懲罰として高額の罰金が科せられると聞きました。つまり,乗客が自主的にチケットを買って乗ってくれると「信用」して,あえて改札機能は設けず,公共交通機関を運営しているわけです。

 今回の旅の期間中,私は一度も抜き打ち検査に遭遇しませんでしたが,当然,チケットは買っていました。おそらくなかには,リスクを覚悟して,あるいは買い方が分からず,無賃乗車していた人もいたことでしょう。
 さて,ワルシャワはほぼ歩いて移動しましたが,20分間有効のチケット3.4ズロチ(136円)を買い,たまに路面電車や地下鉄を利用しました。1日乗車券は買いませんでしたが,利用できるエリアによって,15ズロチ(600円)か26ズロチ(1040円)の二種類がありました。右の写真はワルシャワの地下鉄の駅構内,まだ南北の1路線しかなく,ワルシャワ市民の多くは路面電車やバスを利用しています。
 フランクフルトでは,普通の片道チケットが2.6ユーロ(390円)と少し高めでしたが,私は最後の2日間ほど,6.6ユーロ(990円)の1日乗車券を利用して,路面電車や地下鉄を頻繁に利用しました。
 ワルシャワでもフランクフルトでも,券売機には多言語ボタンがついていて,日本語はないものの英語はありました。公共交通は,両都市とも乗り換えや乗り継ぎも便利かつエコで,料金は日本とそう大きくは変わらない,といったところでした。

ワルシャワとフランクフルトでの食生活

 食事に関して,ワルシャワでは,ポーランド料理ばかり食べていました。ポーランド料理で有名なのは,ピエロギ(pierogi)という餃子のような食べ物です。皮が分厚く茹でるとニョッキのような食感で,具の中身にもよりますが,だいたい10ズロチから20ズロチくらい。これだけで満腹になります。
 私がよく注文したのは,左の写真のような,わかりやすい1プレート定食でした。構成はだいたい変わりなく,ポテト,キャベツの酢漬け,野菜の酢漬け,サラダ,メインの肉料理,パンです。レストランによっては,ポテトかライスか選べます。ライスはいわゆるタイ米,細長いインディカ米でした。
 メインの肉料理も選べて,だいたい羊,牛,豚,ニワトリなどがあり,スパイスを効かせてこんがりと香ばしく焼き上げられています。
 これが飽きの来ない素朴な味で,レストランにもよりますが,15ズロチ(600円)から30ズロチ(1,200円)くらいが相場です。ポーランド産のビールが500mlで8から10ズロチくらいなので,1食ビール付きで1,000円ちょっとくらいの日々でした。1プレートながらとてもボリュームがあるので,ホテルの朝食を食べ,1食だけ外食してホテルへ帰り,寝る前にビールとおつまみ,という日々でした。酒屋やコンビニでビールを買うと,500mlで3ズロチ(120円)くらい。ポーランドの食費に関しては,日本とあまり変わらない感覚でした。
 困ったのは,フランクフルトでの食事でした。ドイツ料理にもポーランド料理と似た1プレート定食があるのですが,これが20ユーロから30ユーロくらい。ざっと3,000円を軽く超える感じで,さすがに割高感があります。かといって,マクドナルドやKFCへ行くのは絶対に嫌なので,困っていました。

 半日ほど街を歩いて気がついたのですが,フランクフルトは,世界中から人が集まり働く国際都市。出稼ぎ労働から定住したトルコ系住民は当然のこと,アジア系の人も,アフリカ系の人も,中近東系の人も,街なかでよく見かけます。
 外からフランクフルトへ働きに来た異国の労働者たちは,一体,何を食べているのか。それを意識しながら,中心街やメインストリートから1ブロックあるいは道を1本外れて歩くと,色々な国や地域の料理店が並んでいました。写真は手前から奥へ,インド料理,日本料理,韓国料理,チュニジア料理のレストランが並ぶ景観。
 このような異国料理のレストランで食事すると,安ければ3ユーロ,高くても20ユーロくらいで食事できることを知り,それ以降はわずか2回の夕食ですが,エチオピア料理とアルジェリア料理に挑戦しました。
国際都市で食べる異国料理は,その国の本場で食べるよりも,その本場の人たち以外の外国人にとっては,洗練されていて美味しいものです。バックパッカー時代,私はインドも旅しましたが,本場インドよりも,香港の安宿街の近くで食べたインド料理の方が,圧倒的に美味しかった。同じ頃,香港で当時流行り始めた回転寿司を食べに行ったのですが,これがサーモンばかりが並んで回る状況で,今に至るまでトラウマを抱えるほど不味かったことを思い出しました。なぜそう感じるのか,世界地誌の講義では「越境する文化」や「旅する文化」という観点から,その理由を語っています。