【松ゼミWalker 番外編 】 中国広州と香港での海外フィールドワーク

科学研究費助成を受けての海外フィールドワーク

 2015年8月6日(木)から8月23日(日)までの17泊18日で,中国広州と香港にて,日中合同で海外フィールドワークを行ってきました。このフィールドワークは,科学研究費助成事業の基盤研究(B)(海外学術調査)の研究課題名「中国華南の地域構造の再編に関する地理学的調査研究」(研究代表者 小島泰雄 京都大学大学院人間・環境研究科教授,課題番号15H05169)の助成を受けて実現したものです。
 日本側スタッフは,小島泰雄(前出・敬称略)を代表者として,小野寺淳(横浜市立大学教授)・高橋健太郎(駒澤大学教授)・阿部康久(九州大学准教授)・松永光平(立命館大学准教授)と私が研究分担者として加わり,秋山元秀(滋賀大学名誉教授)と二人の大学院生(李小妹・田秋香)が調査協力で参加しました。中国側は中山大学地理科学与規計学院の劉雲剛教授を代表者として,若い先生方や多数の大学院生たちが調査協力してくださいました。
 中国広州での調査は8月6日から19日まで,日本側の調査スタッフは,広大な中山大学の構内にある学人館という宿泊施設で合宿。現地調査自体は,都市班,農村班,文化班,環境班などのチームに分かれていて,日本側スタッフと中国側スタッフが合同でチームを組み,基本的には班ごとに毎日別行動で調査を進めました。各チームは毎朝,個別バラバラで調査へ向かい,毎夕の晩御飯を一緒に食べながら,チーム間の情報共有や意見交換を行う,という感じの日々でした。
グラフィティから都市の空間や文化を考える?!

 文化班に属した私は,調査研究テーマを,グラフィティ(Graffiti)から都市の空間や文化のダイナミズムに迫ることに据えました。西成Wall Art Nippon(WAN)の現場を抱えていることもあり,色々な国や地域のグラフィティ事情から色々なヒントをもらいたい,との想いもありました。
 中国側との事前の交渉では,とにかくグラフィティが描かれている現場へ行き,グラフィティそのものを見て回りたい,さらに可能であれば,グラフィティを描いている地元アーティストから聞き取り調査をしたい,とのリクエストを出していました。ただし,グラフィティの世界はアンダーグラウンドな側面も多々あるので,「おそらく無理だろうな」と思いながらのリクエストでした。ところが,その予想は良い意味で裏切られ,結果として,リクエスト通りの調査ができました。
 広州到着翌日の8月7日(金)の午前,早速,中山大学のスタッフとの打ち合わせ会議が開かれました。私の調査チームには,魏敏瑩(修士課程1年生観光地理学専攻,写真左)が中国側スタッフとして加わり,廖沁凌(都市計画系学部5年生,写真中央)がサポートしてくれることになりました。

 魏さんは広東省東莞市出身の女性でとても聡明。私がアジアやヨーロッパのグラフィティ事情を見せながら,広州でどんな現場を見たいのか話すと,すぐにその意図や想いを理解してくれました。魏さんは当初,「都市のダイナミズムを考えるのに,なぜグラフィティなの?!」と不思議に思っていたそうです。ところが,私の説明でその意義を理解してからは,最善の調査スタッフになってくれました。
 廖君は広州市出身の男性で訪日経験があり,これから日本へ留学するので,日本語や日本のことをよく勉強していました。中国の大学は一般に4年で卒業ですが,都市計画系は測量や製図など特殊な技能を習得するため,5年間学ぶそうです。
 さて,国立中山大学は中国でもトップクラスの重点エリート校で,特に人文地理学では優秀な人材を輩出してきたことで有名です。中国側代表の劉先生は東京大学で博士号を取得された秀才,私と一緒に活動した魏さんも廖君も,とても優秀で適応能力が高い研究者でした。今回の合同フィールドワークで,中国側の若手研究者たちは,日本側の教員らの方法論や考え方を学んでくれたことでしょう。逆に,私たち日本側の教員らは中山大学の若手研究者たちの確かな実力を感じました。
暑い広州市と東莞市で熱いグラフィティ事情を見て回る‼

 8月7日(金)以降,広州市に滞在した18日(火)までの間,魏さんと廖君のおかげで,私は広州市と東莞市のグラフィティ事情のほぼ全てを見て回ることができました。
 特に驚いたのは,魏さんの行動力と交渉力でした。彼女はSNSを駆使して,広州市や東莞市で活躍する現役バリバリのグラフィティアーティストと連絡をとり,グラフィティを描いた当事者たちが,描いた現場を案内してくれる,というまさに理想的な現地調査をセッティングしてくれました。
 魏さんによると,「日本の大学教授が広東のグラフィティ事情に興味を持っている」,と呼びかけると相手は反応してくれ,「日本人アーティストらと組んで,大阪で合法的に描ける壁面を増やそうと活動している教授だ」,と説明すると取材OKになったそうです。
 広州市では,現代中国を代表するグラフィティチームYYYのWHYYYさんから話が聴け,アクティブで才能ある若手のKENY,GRAPE,GOODらに,アンダーグラウンドな場所も含めて,グラフィティの現場を案内してもらいました。東莞市でもグラフィティシーンをリードするSHORとCAMが,自家用車を出して,自らが描いたグラフィティの現場を回ってくれました。当時者であるアーティストたちと交流でき話を聴けたのは,何よりもの収穫でした。

 出会った中国人アーティストたちはみんな,日本のグラフィティシーンやアーティストのことをリスペクトしてくれていて,逆に「日本ではどうなっているの?」と質問されることもよくありました。そんな時は,西成WANの活動を紹介したテレビ大阪の報道などを見てもらい,その背景や将来の夢などを説明すると,みんな賞賛してくれました。
 学術的な観点からの調査研究ではありましたが,お互い生身の人間…。暑い広州市と東莞市で熱いがCoolなアーティストらと出会い,国や環境は異なれども,お互い共感できる共通の夢が見えて来るような,充実した日々を過ごせました。今回出会ったアーティストたちと,いつかまたどこかで再会し,一緒に何かできればいいな,と真剣に思います。
 さて,8月19日以降は香港で資料収集のため,十数年ぶりに4泊する予定でした。「それならば…」とSHORとCAMは,「香港のグラフィティシーンはインターナショナルでクールだから,老師は図書館や美術館などへは行かないで,香港でもグラフィティを見に行くべきだ」と強く勧めて,いつくかの現場や香港人アーティストの4GETを紹介してくれました。

香港でHK Wallsと出会う

 香港のグラフィティ事情については,知り合いの日本人アーティストからも色々と情報をもらっていました。香港島サイドの上環(Sheung Wan)の荷李活道(Hollywood Road)あたりで,HK Wallsというグラフィティのイベントが2014年,2015年と連続で開催されている…,九龍半島サイドの郊外に運河があり,その運河の壁面にグラフィティ作品がずらりと並んでいるところがある…などなど。
 香港へは30年前から何度も訪れていますが,最近は,香港の野宿生活者の実態調査で2003年前後に数日間滞在したくらい。その頃,私はグラフィティなど全く興味ありませんでした。ところが,グラフィティを意識して歩くと,さすがは世界有数の国際都市・香港,新しい発見がいくつもありました。香港のグラフィティについては,改めて,学術的な調査報告の場で述べるとして,以下では,HK Wallsで描かれた作品の写真を2点だけ挙げておきます。

調査期間中の行動日誌

 以下,調査期間中の簡単な行動日誌を記しておきたいと思います。広州市も香港も,とても蒸し暑い高温多湿な気候で,「高温」は我慢できるが,「多湿」が大変でした。なかなか洗濯物が乾かない…。
 野外で3時間ほど活動すれば,大げさではなく,身体中の水分が入れ替わる感じでした。水分をこまめに補給しながら,涼しいところで休みながら,長期間の調査なのでとにかく無理しないように心がけました。
 しかし,ふり返ってみれば,よく歩いた日々が続き,とても充実していました。せっかくフィールドに来ているのだから…と,どうしても欲張ってしまいがち…。つき合わされた魏さんと廖君は,とても大変だったと思います。
 とは言え,日本側スタッフも中国側スタッフも,大きく体調を崩すことなく,何とか乗り切れました。「食在広州(食は広州に在り)」のおかげでしょうか,歩き疲れていても,美味しいものが色々とあったので,食欲はいつも旺盛。歩いて,見て,学び,食べて飲み,語り合い,ぐっすりと寝て,また歩いて,そんな連続でした。
 8月6日(木):移動日。香港到着後,駒沢大学の高橋健太郎教授と空港で合流。二人一緒に空港からバスにて国境を越え広州へ。

 8月7日(金):中山大学の地環大楼にて日中合同の打ち合わせ会議。夕方から,中山大学主催の歓迎会。20時前,松村・魏・廖の3名は歓迎会を抜け出し,LOFT345というバーへ。広州のアンダーグラウンドなシーンとグラフィティとの関係をフィールドワークした後,深夜にホテルへ帰る。LOFT345では,グラフィティアーティストのKENYおよびYYYの一人のWHYYYと会え,聞き取り調査もできた。YYYの記録映画「ON THE ROAD」も鑑賞した。
 8月8日(土):午後から地下鉄員村站へ。そこでグラフィティアーティストのGRAPEとGOODと合流。彼らの案内で,員村站から科韵路站にかけての廃工場跡,河川敷,立体交差点のグラフィティを見て回る。GRAPEとGOODから広州のグラフィティ事情を教えてもらう。インナーシティ再開発地区であるREDTORY紅専廠も見学。
 8月9日(日):午前,江南東界隈を歩き学人館へ帰る。午後,フェリーで芳村へ向い,文化産業企業の集まる1850創意園を見学。次に,太古倉商務港へ。この二ヶ所はいずれも港湾倉庫街の再開発地区である。学人館への帰途,7日夜に訪問したLOFT345を再訪し,夜間では確認できなかった昼間の状況を見て回る。
 8月10日(月):午前,広東省屈指の歴史的集落で城中村でもある小洲村を歩いて回る。高速道路の高架下に立地する小洲芸術区も訪問,外壁に描かれているグラフィティや壁画を見て回る。午後は松村の単独行動,珠江にかかる橋梁にグラフィティが描かれているかいないか,確認して回る。
 8月11日(火):午前,地下鉄で大学城南站へ,広州芸術学院の屋上および校内のグラフィティを見て回る。午後も大学城内を見学。

 8月12日(水):午前はホテルの室内にて,現地調査で得た資料を整理。午後は,現地調査の中間報告会に出席して報告する。
 8月13日(木):午前,天河区東城学校横の立体交差点下通路,荷興路あたりのグラフィティを見て回る。午後,バスとタクシーを乗り継ぎ凌塘村へ行き,嶺南科技中心の屋上のグラフィティを見て回る。
 8月14日(金):午前,伝統的な建造物を保全している沙面を散策。1985年に初めて広州を訪問した際に泊まったYMCAを再訪。午後,越秀公園横の解放北路沿いの先賢清真寺へ行き,世界中から広州市へ移り住む多国籍なモスリムたちの金曜礼拝を見学。
 8月15日(土):午前,中山大学周辺を散策,大学図書館で資料収集。午後,室内で調査資料の整理。
 8月16日(日):午前,バスで東莞市へ行き,グラフィティアーティストのSHORとCAMと合流。彼らが用意してくれた自家用車で,午後から,東莞市内のグラフィティを見て回りながら,東莞市のグラフィティ事情を聞きとる。河川沿いの倉庫街やインナーシティ再開発地区も案内してもらう。

 8月17日(月):午前,小島教授と広州東站へ香港行の鉄道チケットを購入しに行く。偶然にも同站2階広場に多数の野宿生活者が居住しているのを見つけ,状況を見て回る。午後,広州塔へ行き,LRTに乗り猟徳大橋南站へ。猟徳大橋南詰および橋の上のグラフィティを見て回る。
 8月18日(火):午前はホテルの室内にてプレゼンテーションを作り,午後から日中合同の現地調査報告会に出席して報告する。
 8月19日(水):小島教授と一緒に,広州から香港へ直通列車で移動。
 8月20日(木):午前から午後にかけて,HK Walls 2014 & 2015で描かれたグラフィティを見て回る。香港島上環(Sheung Wan)の荷李活道(Hollywood Road)から卜公花園あたり。若い頃よく宿泊していた雑居ビルの重慶大厦の現状も見て回る。
 8月21日(金):午前,地下鉄で郎屏站へ。歩いて南下し,欖喜路(Lam Hi Road)沿いの運河のグラフィティを見て回る。金曜日だったので,午後は彌敦道(Nathan Road)沿いのモスクへ,モスリムの金曜礼拝の様子を見学させてもらう。
 8月22日(土):終日,食事以外はホテルの室内にて,写真資料やフィールドノートの整理やメールのチェックで過ごす。
 8月23日(日):移動日,香港から関西国際空港へ。偶然,小島教授と同じ便だった。