2018年4月18日(水)昼,大阪市役所5階の市長公室において,西成特区構想にかかる有識者の提言として,吉村洋文大阪市長へ『西成特区構想,5年間の成果と次期特区構想についての有識者提言』が手渡され,吉村市長と意見交換が行われました。2013年から始まった西成特区構想において,松村嘉久も有識者として,観光振興専門部会や駅前活性化検討会議などに関わっているため,この日の意見交換にも加えていただきました。詳しくは,西成区役所のウェブサイトをご参照ください。
思い起こせば,私が西成区あいりん地域と関わるきっかけとなったのは,1998年実施の大阪市立大学『大阪市における野宿者概数・概況調査』でした。当時まだ大阪市立大学大学院に在籍していた私は,水内俊雄先生(大阪市立大学都市研究プラザ教授),福原宏幸先生(大阪市立大学大学院経済学研究科教授)らの指導のもと,後輩の大学院生や学生を率いて,この調査に深く参与し貴重な経験を積みました。この日はその時の両先生と並んで,私よりも若い寺川政司先生(近畿大学建築学部准教授)が,さらに若い吉村洋文市長へ提言を手渡す現場に立ち会えました。
1998年の野宿調査からもう20年が経ち,大阪市の野宿問題も,西成区あいりん地域もずいぶんと状況が変わりました。まちも,ひとも,時代とともに,必ず変わります。変わらざるを得ないからこそ,より良い方向へ変える努力を続けなければなりません。
思い起こせば,私が西成区あいりん地域と関わるきっかけとなったのは,1998年実施の大阪市立大学『大阪市における野宿者概数・概況調査』でした。当時まだ大阪市立大学大学院に在籍していた私は,水内俊雄先生(大阪市立大学都市研究プラザ教授),福原宏幸先生(大阪市立大学大学院経済学研究科教授)らの指導のもと,後輩の大学院生や学生を率いて,この調査に深く参与し貴重な経験を積みました。この日はその時の両先生と並んで,私よりも若い寺川政司先生(近畿大学建築学部准教授)が,さらに若い吉村洋文市長へ提言を手渡す現場に立ち会えました。
1998年の野宿調査からもう20年が経ち,大阪市の野宿問題も,西成区あいりん地域もずいぶんと状況が変わりました。まちも,ひとも,時代とともに,必ず変わります。変わらざるを得ないからこそ,より良い方向へ変える努力を続けなければなりません。
大阪ではインバウンド旋風が吹くなか,これからG20サミット,ラグビーワールドカップ,東京オリンピックと,大きなイベントが続きます。今年11月には,2025年の万博開催地が決定する予定で,大阪はその最有力候補。私の友人や先輩らが,万博誘致で奔走されています。私もぜひ,大阪万博を実現させたい。というのも,前回の大阪万博は1970年,私も行ったはずで写真は残っているのですが全く記憶になく,1964年東京オリンピックは生まれる前の話。オリンピックから万博へという熱狂を経験していません。
私たちがどのような将来や夢を描き,次の世代へどう引き継いでいけばいいのか。私はいつもそう考えてきましたが,それよりもむしろ最近は,次の世代が私たちよりも,もっと大きな将来や夢を描ける社会を引き継ぎたい,と思っています。
孔子は『論語』で,「(前略)吾十有五にして学に志す,三十にして立つ,四十にして惑わず,五十にして天命を知る(後略)」と語ります。1966年生まれ丙午の52歳,ぼちぼち私も天命,天から与えられた使命を意識しなければなりません。
私たちがどのような将来や夢を描き,次の世代へどう引き継いでいけばいいのか。私はいつもそう考えてきましたが,それよりもむしろ最近は,次の世代が私たちよりも,もっと大きな将来や夢を描ける社会を引き継ぎたい,と思っています。
孔子は『論語』で,「(前略)吾十有五にして学に志す,三十にして立つ,四十にして惑わず,五十にして天命を知る(後略)」と語ります。1966年生まれ丙午の52歳,ぼちぼち私も天命,天から与えられた使命を意識しなければなりません。