ゼミ2年生が但東町高橋地区でフットパス活動

 9月24日(月)から27日(木)の3泊4日で、国際観光学部 塩路研究室 2年生15名が、兵庫県豊岡市但東町高橋地区で「フットパスとまちづくり」活動の合宿を行いました。ゼミ2年生にとっては、ゼミ決定後のはじめての合宿で、新しいメンバーと、しかも地域に直接入るという体験でした。2日目には、学生は2チームに分かれて高橋地区で住民の方々とまち歩きを行った後、ワークショップをして、歩いてみて良かった点、改善点や発見などを話し合いました。3日目には、フットパスとしてのルートの提案や歩いてわかったことやビューポイントをまとめて、住民の方々に向けて発表を行いました。
 まち歩きでは、地区のさまざまな歴史や風景についてガイド役をしてくださった住民の方々から丁寧な説明があり、学生たちは大阪では見ることのできない風景がどのようにしてできたのか、その背景にある歴史と現在の人々の暮らしなどを歩いて人々や風景と出会う中で学んだようです。ワークショップでは、但馬シルクロード観光協会をはじめ、高橋地区の方々が参加してくださり、学生たちにさらに教えてくださったり、意見交換をしたりと一緒に考えてくださいました。最後に行った学生たちのパワーポイント発表では、まちづくりや活性化に携わる住民の方々から活発なコメントや突っ込んだ質問をいただきました。2年生は、それらの地元の人々の真剣な熱い質問に驚きながらも、日本の地方で起こっている現状を人々からじかに感じ、解決策の道筋を考えるきっかけとなったことと思います。今回は、2年生が、はじめての、そして濃密な「フットパスとまちづくり」活動についての感想と現地への提案を含めた報告をします。

自然と歴史の町「但東町」を訪れて
2年生 山本 名桜

 9月24日から27日まで兵庫県豊岡市但東町にてフットパスによるフィールドワークと地元の方たちへの調査結果の発表を行いました。
 25日に行われたフットパス調査では、地元の方々にその地の歴史などの説明をしてもらいながら高橋地区を練り歩きました。実際に歩き、地元の方のお話を聞くことで、まちの特徴を発見することができました。広大な田んぼと山々に囲まれる高橋地区には所々に獣害対策が施されていました。地元の方によると、かつて山に人工的にスギやヒノキを植えたことで動物たちの食料がなくなり、村に降りてくるようになったとのことでした。実際に新しい熊のフンが落ちていたりシカ除けの高い柵を見たりして身近に動物たちの存在を感じたことで、高橋地区は獣害に悩まされているという印象を強く持ちました。
 また、私は、住民の兼井さんのお話を聞きながら京街道を歩いたことが特に印象に残っています。一軒家や空き家が立ち並ぶ現在の京街道は、江戸から明治にかけては活気あふれる宿場町であり地元の人が集まり、旅人は疲れを癒しに立ち寄っていたそうです。兼井さんのお話に基づいて街道を歩くと賑わっていた当時の京街道の姿が目に浮かぶようで魅力的な道でした。
 そこでフットパスにおける観光資源として京街道を利用する方法をいくつか考えました。1つ目は、京街道にかつて存在した若い世代にとっては珍しい「万屋」や「たばこや餅を売っていた店」などを年配の方々に聞いた情報をもとに、若者も入りやすいような現代版に少しリニューアルして、当時あった場所に再現することです。そこがフットパスにおいて京街道を訪れた時の立ち寄る場所として機能し、また京街道の歴史を考えるきっかけとなると考えました。2つ目はさるすべりの花のビューポイントとして京街道を挙げることです。さるすべりを但東町の売りにしたいという意見があった中、さるすべり街道だけでなく高橋地区の至る所でさるすべりの花が見られました。これをもっと活用し、「さるすべりビューポイントマップ」を作るとよいと考えました。そしてそのポイントの一つとして京街道を抜けてすぐのところの大きなさるすべりを加えることにより、但東町における花のPRと京街道に立ち寄るきっかけに繋がると思います。このようにさるすべりのビューポイントと並行して歴史的遺産などを積極的にアピールすることで、自然と歴史にあふれる但東町の魅力を伝えることができます。
 地元の方々は地域の歴史を私たちに伝えてくれ、また地域を挙げてさるすべりを手入れしていることなど、但東町の人々が自然を大切にしている様子がうかがえました。また、歩いている私たちを見て挨拶をしてくださる方、雨の中傘を貸してくださった方、初対面にもかかわらず町の歴史についてお話してくれた方など住民の方々の親切さが印象的でした。私はこのフィールドワークを通して、自然の豊かさ、歴史が色濃く残っている様、人々の温かさが但東町の魅力であることを発見することができました。

但東町のまち並み
2年生 山崎 拓実

 今回のゼミ合宿では、兵庫県豊岡市の但東町でフットパスを行いました。そのフットパスを行った中で印象に残ったことを報告したいと思います。
 まず、1つ目は京街道です。京街道は昔旅館や醤油屋などが並んでおり宿場町になっていて建物も昔のまま残してあり昔の風情が感じられました。そして火事の時に隣の家に火がうつらないよう「うだつ」がある建物が残っていたりして色々な昔の工夫も見ることができました。
 2つ目はさるすべり花街道です。そこには、500本ほどの花が植えてあり農道の横に植えてあるので見やすいし歩くだけで楽しめると思います、私たちが歩いた時は天候があまり良くなかったので、それが少し残念でした。さるすべり花街道だけでなく、蕎麦の花畑があり都会では見られない景色が広がっていて但東町には初めて行きましたが、なぜか懐かしい気がしました。
 3つ目はまちの歴史ある建物です。明治時代からある建物や戦争の時の建物など昔の背景がわかる建物が多かったです。樹齢約700~800歳の欅の木があり、いつも木を見ても別に何も思わないのですがこの木を見たときに僕より何百年も前にいた人もこの木を見たと思うとなぜか感動しました。

 フットパスを行って印象に残ったところで僕たちが考えた改善点なども考えました。京街道は昔の風情が残り良いところなのですが、8割が空き家になっているのでそれを活用し現代の「京街道」を創造すれば昔のような賑わいを取り戻すと思います。この考えは、台湾の台中にある宮原眼科というところから考えたものです。私が先日台湾に行った時、その宮原眼科は元眼科でしたがその建物を生かして今ではスイーツショップになっていてとても観光客で賑わっていました。そのため、そのような工夫をそれを京街道にも生かせるのではないかと考えました。
 次に、さるすべり花街道です。さるすべり花街道の花は8月のお盆から10月ぐらいにかけて3ヶ月しか花が見ることができません。さらに、季節の花を植えて年中咲くようにしても楽しいのではないかと考えました。
 私は、いつも観光するときは先に自分たちで観光地を調べそして、その場所だけ行くことしかしてなかった。しかし、フットパスはそれとは逆に、いつもならしてきませんでした。見ていなかった場所や車などでは発見できなかったその地域の町並みや風情を、歩くこと再発見することができました。

自然豊かな但東町
2年生 横道 聖香

 9月24日から27日の3泊4日の日程で兵庫県豊岡市にある但東町でフィールドワークを行いました。1日目は、主に移動が中心となりました。自分たちが泊まるログハウスの棟を決め、近くにあるスーパーで買い物をしました。夕食は鍋料理を作りました。普段、自炊をすることがないので、いつも以上に美味しく感じました。その日は翌日のまち歩きに備え、早めに就寝しました。
 2日目は、地元の方々と顔合わせをした後、2班に分かれてまち歩きをしました。私たちの班は、午前に久畑~後~東中~久畑、午後に東中~小坂~東中を歩くという内容でした。久畑~後~東中~久畑ルートは、寺社仏閣や京街道、石碑などが多く歴史を感じました。特に、地元の方の説明を聞きながら京街道を歩くと当時の景色がありありと目に浮かび人々の暮らしに思いを馳せることができました。道中では、大阪ではほとんど見たことがない蕎麦の花や消火栓、初めて見る鹿の通り道や熊の糞なども見ることができました。昼食は久畑いこいの杜でお弁当をいただきました。午後は車で少し移動し、東中~小坂~東中ルートを歩きました。東中~小坂~東中ルートは、サルスベリ街道や「おかえり」と書かれた草のアート、古民家の街並みがそのまま残っており、どこか懐かしい気持ちになりました。その後、スタート地点である高橋地区コミュニティセンターに戻り、班ごとにルートや歩いてみて気づいた点や感じたことを簡単に発表しました。

 3日目は、夜のパワーポイントによる発表会にむけて、京街道の昔の街並みの地図を作成する班、久畑~後~東中~久畑、東中~小坂~東中それぞれの見どころとルート名を考える班、昨日の発表を踏まえて改善点などをまとめる班に分かれて作業をしました。私は昔の街並みの地図を作成する班でした。新たに写真を撮りに行ったり、再度地元の方々にお話を伺ったり、何度も地図を修正しました。
 発表会には、たくさんの方々が見に来てくださいました。発表は落ち着いて説明できましたが、「若者の柔軟な発想力で観光客がたくさん訪れるような新しいことは思いつかないか」と聞かれた際に「サルスベリ街道をもっとPRすれば良いと思います」と緊張のあまり質問の答えに沿わない返答をしてしまいました。何事も経験が大事と言っていただいたので、これから上手くなっていきたいです。
 4日目は、コウノトリの郷公園や玄武洞、豊岡市駅周辺を観光し、ゼミ合宿を終えました。今回のフィールドワークを通して、物や場所だけでなく、地元住民の方々との交流もフットパスの魅力だということに気づきました。また、鳥の囀りや川のせせらぎ、森を吹きぬける風の音を聴きながら、緑豊かな場所を歩くのはとても良い気分転換になりました。いつもなら、イヤホンをしていて聞こえなかっただろう音や気にも留めなかったこと、通り過ぎてしまう場所に気づけるのはフットパスの良いところだと改めて感じました。

但東町でフットパスをして
2年生 中島 和香

 私たちは、9月24日から27日に兵庫県の但東町高橋地区に行きました。但東町でフットパスをするためです。私のゼミは「フットパスとまちづくり」について調査研究するゼミです。フットパスは、簡単にいうとまち歩きのようなことです。私は但東町に初めて行きました。兵庫県の中でも田舎の方にあり、私たちの宿泊したログハウスから最も近いコンビニでも30分ほどかかる距離にあるほどでした。近くにショッピングセンターやコンビニはないけれど、車が少ない分、静かで空気がおいしいなというのが最初の印象でした。 
 到着1日目は曇りで翌日のフットパスをする日もあいにくの雨予報でした。そのため正直なところ、ログハウスでの宿泊と近くの温泉に入ることを楽しみにしていました。2日目フットパスをしようと外に出ると予報通り雨が降り始めてきてフットパスをするには残念な天気となってしまいました。しかし、実際に歩き始めてみると雨が降っていたせいか自然が青々ときれいに見えて雨が草や木の匂いを引き立てているように感じました。
 神社をいくつかめぐった中でも、神社に同じ神様がいることはなく1つ1つに違う願いや思いが込められた神様が祀られており、名前が刻まれた石碑がおかれているところもありました。中でも印象に残っているのが天神です。天神までの道はコンクリートなどの整備はされておらず、足首より少し上くらいまである草をかき分けて歩く道のりでした。雨のせいもあり歩きにくい道のりでしたが、天神について上から眺めた景色はとてもきれいで自分たちが歩いてきた道が見えて達成感を感じました。天神は地元の方の話では、願いがかなうということだったので順番にお参りをして次の場所へ向かいました。
 但東町では京街道をはじめ全体的に空き家が多くありました。午前に行った京街道で昔旅館だったところを見ると今は違う建物になっていても今の見た目から昔の面影を感じました。午後には、「なかや」という家を見せてもらいました。そこはいまでは地元の人達が集まる場所になっているそうで年末にはお年寄りから子供までみんなで集まり餅をついたり、そばを打ったりして過ごす場所になっているそうです。
 道を歩いているときには時代背景を知ること以外にも発見がありました。まず自然が豊かで道に花や木がたくさんあります。空き家の庭に果物がなっているところもあり、拾って食べられるほど新鮮でした。落ちているものをそのまま食べることができるなんて自分の地域では絶対にできないことなので驚きが大きかったです。町の人たちはとても親切で暖かく、初めて会った私たちにも挨拶してくださり遠くに行くまで見送ってくれた方までおられました。説明して下さった地元の人たちは道で人に会ったら必ず挨拶し、みんながお互いの存在を把握していて人々同士の関わりがとても深い町なのだと感じました。
 私の住む京都は、たとえコンビニやショッピングモールが近くにある便利なところだとしても会う人に気軽に挨拶できるような雰囲気はありません。但東町で感じたのは、そういう人の暖かさや本来なら普通にしなければならない事を当たり前にできるということです。物が多く町が発展していても人々の関わりが薄くなり挨拶の言葉さえも聞きなれないものになっているのは少し寂しいなと思いました。
 今回のゼミ合宿でコウノトリのいる公園や玄武洞を観光したり、但東町でフットパスしたり普段できない経験をしました。その中で、やはり私はフットパスをした1日が最も心に残っています。さまざまな場所や京街道の跡地などを歩きながら自分の何十倍も生きてきた地元の人の話を聞くという大きな経験ができたからです。「初めて訪れた場所も昔から知っているような懐かしさを感じる」これは但東町の方が目指す地域像でもあり、それを今回のフットパスを通じて身をもって感じました。歩くことでその町の地形や暮らしを知るだけでなく、時代を超えてその場所について知ることができるのだと感じ、もっとフットパスを経験したいと思いました。

但東町の優しさに触れて
2年生 長峯 由季

 9月24日から27日までの間、兵庫県の北東部にある豊岡市但東町でフットパスを行いました。この4日間、どうすれば但東町に人が移住し、町が再興するのかを地元の方々と共に検討を重ねました。但東町は山に囲まれており自然豊かで歴史にまつわる石碑や跡地が多くあり、話を聞きながら歩くことで昔の但東町がどのような場所だったのかを知ることができました。住民の方が管理している「さるすべり街道」には青々とした山に映える色鮮やかな赤のさるすべりが咲いていました。さるすべりは夏の終わりに咲く花と初めて知り、夏の終わりとともに秋の訪れを感じました。
 調査していると住民の方々の優しさと温和な心に触れることができました。私達が歩いていると雨が降っているにも関わらず、家から出てきて挨拶していただいたことが印象に残っています。そして空き家を住民の方々の憩いの場として利用し、住民の方々のコミュニケーションの場となっていて、人と人との関わりが都市部よりも濃密であることがわかりました。
 一方、課題として挙げられるのは、交通の便の悪さやスーパーなどの小売店が少ないことなど生活に関して不便に感じることが多々ありました。人口減少が生活基盤の減衰を招いているとも言えます。私はその土地での暮らしをイメージしやすくなれば、人も移住して来るのではないかと考えます。
 3日目の学生の発表の際、高橋地区の住民の方、観光協会の方、豊岡市の方など但東町に関わる方々が私たち学生に質疑応答で目にし、感銘を受けました。地域再興のために懸命に方策を思案されていて、少しでも力になれたらと思いました。
 4日目の豊岡市内を観光し、知らなかった豊岡市のことを知ることができました。コウノトリの郷公園では空高く飛ぶコウノトリや、間近にいるコウノトリを見られました。豊岡市駅より北にある玄武洞は、自然の力で生み出された洞窟でありながら人間が彫刻したかのような岩肌で、その美しさと迫力に圧倒されました。昼食は豊岡市役所の近くにある紀ノ川という割烹料理屋さんで取り、たくさん出てくるおいしい料理に舌鼓を打ちました。そして私が観光していた中で一番印象に残っているのは、カバンストリートという豊岡市が売りにしているカバン屋さんが立ち並ぶ道です。そこにはカバンの自動販売機、カバンのベンチなどが置かれていたり、全但バスという市民の足となるバスにはカバンの模様がラッピングされていたりと、町興しとして、たくさんの工夫が見られました。
 今回のフットパスで、地域住民の方々と一緒に歩いたり話し合うことで過疎化している地域の人々の思いを知ることができました。新たな視点から地域の魅力や改善点を発見していくことが地域再興に繋がるということも学ぶことができ、実りのある時間を過ごしました。

但東町へようきんさった
2年生 日根 美咲

 塩路ゼミでは、9月24日から27日の4日間、フィールドワークで兵庫県富岡市但東町を訪れました。但東町は、ひまわり畑があるということで名前を知っていましたが、今回はその中でも高橋地区を訪れました。
 最初に住民の方々から説明を受けながら京街道を歩きました。京街道は江戸時代、宿場として栄えていました。今も旅館の趣が残っているところがありました。造り酒屋にあった「うだつ」は、隣家との境につけてあり、火がうつらないようにするための防火の役目があると教えていただきました。昔の暮らしの工夫を聞いたことにより、江戸時代の人々の暮らしを想像することができました。
 獣害対策をしているところへも入っていきました。獣害対策のフェンスを初めて見て、開け方が難しそうだと感じ、対策を厳重にしないとシカやイノシシが入ってきて畑の作物を荒らしてしまうということがわかりました。畑には、そばが育てられていました。そばの花の雌しべは、二つ種類があり、花の中にあるピンク色の部分が長いものと短いものがありました。長いものと短いものの二つの花粉が受粉することで花が咲くということを教えていただきました。育てているからこそ分かることを知ることができました。

 川の橋を渡ったところに看板があり、そこには平成16年10月20日の台風の被害によりいなくなってしまった昆虫や蟹の絵が描かれていました。人々の自然を大切にする思いが伝わってきました。
 乗専寺を訪れた際には、鐘が戦争で武器として徴収され、今は石をつるしてあると教えていただきました。日本はお寺の鐘まで徴収するぐらい不足していたことがわかりました。そうしてまで、戦い続けていたことに戦争の恐ろしさを感じ、戦争は決して繰り返してはいけないと考えました。
 フットパスをしていると人の暖かさを感じる場面がたくさんありました。「おかえり」と草で大きく記されている場所があったり、「ようきんさった」という但馬の方言で「ようこそいらっしゃいました」という意味の言葉も聞きました。そして、住民同士が名前を覚えていて挨拶だけではなく必ず会話もしていました。私たちにも温かく接してくださったおかげで地域の方と自然と話すことができ、たくさんの知識を得ることができました。
 この4日間但東町に滞在して、貴重な時間を過ごすことができました。但東町のみなさん、お忙しい中、ありがとうございました。

自然と人情味溢れる但東町
2年生 米田 数馬

 9月24日から27日までの4日間、兵庫県豊岡市但東町で、フィールドワークを行いました。ここでは、活動内容について説明します。まず、高橋地区のコミュニティセンターに行き、但東シルクロード観光協会の家城さんに挨拶しました。そこで、但東町のフットパスの取り組みについて説明していただきました。その後、フットパスルートを見つけるために、午前に、小坂地区を午後に久畑地区を歩く班に分かれました。私は、午前に小坂、午後に久畑を歩く班になりました。散策を始める前に家城さんが、「但東町のviewポイントを見つけてください」と宿題を出されたので、viewポイントに留意しながら、但東町の散策を開始しました。
 小坂地区を散策するために東中公民館まで車で移動しました。公民館に着くと、地元の方々と一緒に小坂地区を散策しました。午前の小坂地区では、地元の方々と会う機会が少なかったのですが、豊かな自然に囲まれていました。散策中、特に印象的だったのが、蕎麦の花を見たことと「なかや」の暮らしを見たことです。私の暮らしている町では、稲の農業しか見たことがなく、蕎麦の花を実際に見たのは初めてでした。蕎麦の花は白く一面に咲いていたので、とても綺麗でした。ここは、一緒に歩いた学生みんなの目に留まった場所だったので、viewポイントにしました。次に「なかや」の暮らしを見て印象的だったのが、囲炉裏があったことです。囲炉裏は、現代の暮らしの中で見ることがないので、昔の暮らしの一部を見たことは貴重な経験でした。なかやを出て公民館に戻り、車で昼食の場所まで移動しました。担当町で採れた野菜を使った料理を昼食にいただきました。特にさつま芋が甘くて美味しかったです。
 午後からは久畑区を散策しました。まず、散策を始める前に、案内人の兼井さんから久畑区の歴史について伺いました。聞き終えた後、久畑地区を散策しました。散策して印象的だったのが、京街道といわれる道です。ここは、今は空き地となっているところもありましたが、昔は商店街のような街並みであったそうです。案内人の兼井さんは、昔あった建物を一つ一つ丁寧に説明して下さいました。そのおかげで、昔の趣を感じながら楽しく歩くことができました。2つのルートを歩き終えて、翌日の発表に向けて、体験した出来事を白地図と模造紙にまとめて書き、一緒に歩き案内してくれた地元の方々に説明しました。
 次の日は、グループに分かれて、朝から発表のための資料を作り、夜に発表しました。私のグループでは、歩いた2つのルートを地図上にマークしコース名を命名しました。久畑地区を歩いて神社が多く歴史を感じたことと熊の糞が道端にあったことから、「KHB (Kubata History Beast) 」(久畑・歴史・獣) ルートと提案しました。また、小坂地区は、歩いていると、地元の住民の方々が雨の中でも挨拶してくれたので、地域のやさしさから「心のふるさとルート」と提案しました。前日の発表であげた改善点を見直して、発表の練習をしたり、準備を整えました。緊張しながらも最後まで発表しました。私にとっては初めての大勢の方々の前での発表でしたが、所々戸惑ったもののうまく説明できたと思います。とはいえ、まだまだ発表が上手ではないので、これから発表を堂々とできるようにゼミで練習を積んでいきたいと思います。
 今回の活動で、但東町をフットパス活動として散策してみて、地域の方々から但東町について親切に教えてもらったり、散策中に地域の方同士が出会うと挨拶をしっかりしている光景を目にして、但東町の地域の方々は、人情に溢れた温かい人が多い印象を受けました。また、但東町の方々は、美しい自然の町の歴史を守るために日々活動していることを聞いて、但東町に住む人々は地元に誇りを持っていることを強く感じました。但東町の方々、3日間地域の魅力を教えていただきまして、ありがとうございました。

フットパスが盛んな但東町を目指して
2年生 本城 優喜

 塩路ゼミ2回生は9月24日から27日の間、兵庫県豊岡市但東町の高橋地区でフィールドワークを行いました。久畑・東中・小坂の地域を2つのチームに分かれて、各チームで午前と午後で両方の地域を調査しました。4日間の滞在期間中は天気が悪く、霧を多く目にしました。兵庫県立コウノトリの郷公園の展示によると、豊岡市では1年の3分の1が霧に包まれることを後で知りました。

①久畑地区(KHBルート)
 高橋地区の公民館を出発し、弌宮神社へ向かいました。そこでは日清戦争・日露戦争・満州事変・太平洋戦争の戦没者の慰霊碑が祀られています。また、この地域の人々は満州へ開拓団として赴いた歴史があります。その際にソビエト連邦の侵攻を受け、終戦後に集団自決してしまいました。その345名の名前が刻まれた慰霊碑も祀られています。
 次に京街道を通りました。福知山と豊岡を結ぶ最短のルートであり、昔は宿屋・煙草屋・鍛冶屋・材木屋・万事屋・食品を扱った店舗などが立ち並んでいました。明治維新で有名な桂小五郎(木戸孝允)が1864年の蛤御門の変で敗れ、京都から逃げる際に通ったと言われている関所が京街道を通った先にあります。
 田畑の方へ向かう道には野生動物が田畑を荒らさないように柵が張り巡らされています。但東町は蕎麦で有名な出石に近く、蕎麦の花が咲いている箇所がいくつかありました。また、昔は桑の木が様々なところに生えており、養蚕業も盛んだったそうです。坂を登ると神社があり、天満大自在天神(菅原道真)を祀っています。学業に御利益があるそうです。

②東中・小坂地区(心の故郷ルート)
 最初に新宮神社へ向かいました。そこは熊野那智大社の系列の神社であり、祠には那智の滝の絵が描かれています。また、この地域の各神社には農村歌舞伎の舞台が残っており、昔は娯楽として楽しまれたそうです。
 次に東中さるすべり花街道に向かい、そこでは約70本のさるすべりの花を500㎡にわたって植樹しており、維持や管理は集落の人々が行っています。道の途中でクマが田畑を荒らすことを未然に防ぐためにスイカを餌にした罠が設置されていました。クマの糞が道に落ちている場所があり、人里に降りてきていることを意味しています。
 途中でなかやという空き家にお邪魔し、地域の人々から但東町について話を聞きました。地域住民が集まる場所として活用されているそうです。小さな丘に「おかえり」の文字を芝生で作ったアートがあり、遠くから眺めると綺麗に見えるようになっています。

 その後、両グループで意見交換を行い、発表することで情報を共有しました。翌日には最終プレゼンに向けてその結果をPowerPointや白地図にまとめました。久畑地区は歴史背景や獣害問題があることから、KHB(久畑ヒストリー&ビースト)ルートと名付けました。また、東中・小坂地区は地域の暖かみを感じ取れることから、心の故郷ルートと名付けました。改善点として挙げられたのは「観光スポットに案内図や説明を設置する」「さるすべりのみならず四季折々の花を植樹することで、花を1年中見ることができるようにする」「フットパスを想定した場合は休憩所が必要になる」「京街道の空き家を有効活用する」などです。
 特に獣害対策のため策について重点的に考えました。地元住民の方々は日常生活で道を使用するために柵のゲートを自由に開閉しますが、観光客が地元住民の同伴なしで通行する場合は「獣害対策のための柵を勝手に開閉しても良いのかどうか」の判別がつかないことを指摘しました。そこで、観光客向けに開閉の自由を伝える旨を記した表示の設置を考え、デザイン図も考案しました。
 その後、プレゼンを見ていただいた方々から意見や感想を頂きました。その時の言葉を聴いていると、地元住民の方々が真剣に地域を活性化するために考えていることが感じ取れました。また、住民の方々と関わる以上、フィールドワークに生半可な態度で臨んではいけないと再認識しました。

但東町での発見
2年生 宮村 里沙

 私達は、9月の24日から3泊4日で兵庫県豊岡市但東町へフィールドワークに行きました。但東町の住民の方々と一緒に東中地区と小坂地区を回るルート、久畑地区、後地区、東中地区を回るルートの2つを歩きました。最初のルートでは、幾つかの神社を回りましたが、共通点は、どの神社でも農村歌舞伎の舞台がある事です。私の住んでいる地域や今まで訪れた神社では、見た事がなかったのでとても新鮮でした。また、ガイド役の住民の方から地域の方々は神社を大切に信仰していると教えて頂きました。そこからまた歩いて行くと、百日紅街道という百日紅の花が沢山咲いている道を歩き、草のアートで書かれた観光客や地元に帰って来る人などに向けた「おかえり」の文字やクマを捕らえる仕掛けなども見ることが出来ました。「おかえり」のアートは見る場所で文字の見え方が変わって楽しかったです。また、空き家を利用した地域の方々の憩いの場である「なかや」にもお邪魔させて頂きました。ここでは、地域の方々で集まり、団子を作ったり、年末には蕎麦を作ったりしていると教えて頂きました。
 2つ目のルートでの印象は、歴史がふんだんにあるルートと感じました。まず向かったのは、京街道です。今は空き家になった元商店が多くありましたが、ガイドの方に屋号や何の店だったのか詳しく教えて頂きました。京街道を通った後には、「忠魂碑」と戦争で亡くなった方々の名前が書かれた石碑を見に行きました。開拓をするためにソ連に渡った方々が中立条約を破棄したソ連の攻撃から逃れるため、逃げた末に開拓地のホラン河に集団入水したとガイドさんに教えてもらい、改めて戦争の恐ろしさを知る事ができました。その後、桂小五郎ゆかりの久畑関所跡に向かいました。そこでは、蛤御門の変で逃げてきた桂小五郎が商人である勘助の助けで久畑関所を通過することができ、城崎温泉に潜伏していたと言う話を聞きました。このルートは、色んな時代の足跡が残っているのだと感じました。
 次の日には、フィールドワークで得た知識を集め、地域の方々に向けてプレゼンをしました。緊張しましたが、京街道の昔の街並みを地図で表したり、フィールドワークをしてみて良かった点、改善点などを発表しました。
 最終日には、コウノトリを保護している場所を見たり、玄武洞を見たり、鞄で有名な豊岡市で沢山の鞄を売っている店、鞄を売る自動販売機を見たり、昔のレトロな建物を見て歩きました。豊岡市は鞄の産業が有名であり、その中でも私たちがお世話になった但東町では歴史と自然の両方が感じられることから、1つの市でも様々な表情があるものだと思いました。
 但東町でフィールドワークをして気づいたことは、地域のお年寄りはとても元気で、皆さんとても優しく、自然の空気や蕎麦の花の綺麗な風景が沢山あったことです。また、4月に訪れると、チューリップアートを見ることができると教えて頂いたので、また春に但東町に行きたいと思いました。

歴史や自然豊かなまち歩き
2年生 沖村 ほのか

 9月25日火曜日に、兵庫県但東町でまち歩きを行いました。午前と午後に分けて約6kmの距離を地域の方に案内してもらいながら散策しました。私がその中で印象に残った四つ点や場所、三つの改善点について報告します。
 まず一つ目は、私が最も気に入った場所である「京街道」です。昔は、商店街であったことがわかり昔の建物や、街並みが残っていました。そこに並んでいる建物には、防火用、火よけの壁とされていた「うだつ」が見られました。その他にも、上郷屋(薬局)や、丹波屋(料亭)などといった現代とは違った呼び方をする建物もあり、地域の方に案内してもらうことにより、昔の名残や風景に触れ想像しながらまち歩きを行うことができました。
 二つ目は、さるすべり街道です。8月~11月の3カ月間、さるすべりの花を見ることができ、地域の方々が手入れをしていることを聞きました。他にも但東町には、そばの花や金木犀、銀木犀などといった花が咲いており、とても美しかったです。三つ目は、「おかえりアート」です。芝におかえりという文字が描かれており、故郷へ帰って来られる方だけではなく、私も暖かい気持ちになり、このようなアートが他の場所でも多く広がってほしいと思いました。四つ目は、住民の方々がとても健康で仲が良いということです。地域を案内してくれた方の中には93歳の方もいて、但東町の東中地区にはがんで亡くなった方がいないという話も聞きました。但東町は、米が有名で、川の水や木になっている果物も綺麗なものばかりでとても自然豊かなまちでした。年末や年越しになると地域の方々で蕎麦打ちや、餅つき大会などを行うと聞き、このようなことが健康の秘訣ではないかと思いました。
 改善点として一つ目は、休憩する場所が少なく感じたので、ベンチなどを増やせばより楽しくまち歩きをすることができるのではないかと思いました。二つ目は、害獣対策として柵の設置がされていたのですが、その先へ入ってよいのかが分かりにくいため、標識などの設置をすれば判断をすることができると思いました。三つ目は、今回のまち歩きでは地域の方が案内をして下さいましたが、天神へ行くまでの道など案内なしでは分かりにくい場所があったので、パンフレットなどを作れば分かりやすくなるのではないかと思いました。
 実際に、但東町を歩いてみて新たな発見や癒しをみつけることができ、古くからの歴史や、自然が多く、人々がとても暖かい町だということがわかりました。このようなことを発信し、地域の魅力を伝えることができるように、年齢や目的にあったフットパスコースを考えていきたいです。そして、但東町が素敵な町だということを多くの方に知ってもらえ、地域により良い発展をもたらすことができるように、これからの私達の活動で貢献していきたいです。

感動あふれる但東町
2年生 市川 達哉

 私たちは今回ゼミで兵庫県但東町に行きフットパスをしました。午前と午後に分けてそれぞれのコースで3キロ歩き合計6キロ歩きました。但東町には私が住む大阪府松原市とは異なる風景が広がっており、フットパスを通して普段の生活では感じることのできない自然や人々の温かさを知ることができました。そのなかで印象に残っている場所や課題について報告します。
 まず1つ目は、私が最も印象に残っていることですが、東中に咲くさるすべりの花です。この花は8月から11月が一番の見どころで、地域の方がその花を大切に管理しているため、自分たちがさるすべりの花を見た時は道筋に綺麗に咲いていました。また但東町にそういったところは唯一そこだけにしかなくて、案内して下さった住民の方もこの但東町のさるすべりの花を世界の人々に知ってもらいたいと言っていました。 その話を聞いて、私は、この町の人々はこの町の魅力や歴史を世界中の人々に知ってもらいたいと思っているように感じました。
 2つ目は、車で移動している途中、景色を眺めていたら、遠くの方から芝生で作られた「おかえり」という文字のアートが目に飛び込んで来たことです。故郷の人だけでなく、私たちも暖かい気持ちになりました。
 3つ目は、京街道という昔の商店街に入りました。そこは昔、人で賑わっており、色々な職人さんなどの店がありました。今は店もなく、人はあまりいませんが、そのきれいな街並みが残っていました。京街道は、現在は賑わっていないため、せっかくの但東町の人々の温かさや魅力が感じられず、寂しい通りでした。そのため、もっと京街道をうまく改善していけば、よりよい旧街道になり但東町の良さを知ることができると思います。

 今回のフットパッスを通して、但東町の歴史や文化、人の温かさを知ることが来ました。また地域に暮らす93歳の男性が但東町の歴史について語ってくださいました。その話は、第二次世界大戦時のできごとで、この但東町の豊富な資源や食料などがほとんど戦争に使われ、さらに満州で自ら命をたった人々についてでした。実際に戦争の話を聞くと、やはり戦争は人々や自然を破壊するので、やってはならないものだと強く感じました。
 最後に、この但東町の歴史だけでなく、そこにしかない自然や人々の温かさを知ることができたことで、私たちがまだ知らない地域を知ることの大切さを感じました。そのような場所を調査して、その町に貢献できるように、これから結果を出していきたいと思いました。

但東町魅力発見
2年生 大林 一貴

 私たちは2018年9月24日から27日までの4日間、兵庫県豊岡市但東町にてフットパスを通じて町の魅力や観光資源の調査、地域の方々との交流、調査報告会を行いました。私は今まで大阪を出たことがほとんどなく、但東町を訪れたのも初めてでした。但東町の山に囲まれた大自然に圧倒され、関西なのに縦向きの信号機があり、道路の標識などにも「野生の動物に注意」というものがあり、大阪では見ることが出来ないものが多かったことに驚きました。気候もかなり涼しく、むしろ寒いぐらいだったことがとても印象的でした。私たちは25日に2つのグループに分かれてフットパスを使って但東町の観光資源や街並みを見学してウォーキングマップを作成し、最後に地域住民の方々に私たちがフットパスを行って気づいたことや魅力を発表しました。
 私たちが但東町でフットパスを行ったのは25日で私がフットパスを歩いて心に残っているのは、京街道には明治時代まであったとされる宿や居酒屋や金物屋などが立ち並んでおりとても活気があったのに対して、現在ではそのほとんどが空き家になってしまっていることでした。京街道の次に目に入ってきたのは、一面に広がるそば粉の元となる花や稲です。私は今までそば粉がそばの実からできている事すら知らなかったため、大きな驚きと学びになりました。そして但東町は野生の動物が畑を荒らしに来るため、畑を野生動物から守るために大きな柵が畑の周りを囲んでいます。それによって畑を荒らされる事はないですが、但東町に初めて来た人達はその柵の中に自分達が入ってよいのかがとても分かりにくいため、注意書きをして他の場所から来た観光客にも分かりやすいようにすればよいのではないかと考えました。
 但東町の様々な方が私たちのフットパスをしている時に、声をかけてくださったり挨拶をしてくれたりと、私たちに全力で但東町の魅力を伝えようとしてくださったのがとても印象的で、地域の方々との交流は貴重な体験になりました。

行ったらわかる楽しい但東町!
2年生 谷口 彰汰

 9月24日から28日に、私たち塩路ゼミ2年生は、兵庫県豊岡市にある但東町でフットパスを行いました。私たちと但東町の高橋地区の方々が集まり、午前と午後に2つのグループに分かれ但東町の高橋地区の久畑、後、東中、小坂を歩き、感じたこと、良かった点、改善点を話し合いました。
 私たちは、前半に東中から小坂を歩きました。そこで私たちが感じた良かった点として、さるすべりの花が綺麗であったこと、地域の方々が暖かかったことがあげられました。改善点として、小坂にある弌宮神社にあがる階段に手すりがないこと、休憩所が少ないことなどがあげられました。ここで私たちが考えた改善点はさるすべりの花がお盆から3か月程度しか咲かないため、1年中何かの花が見られるように季節ごとの花を植えること、休憩ポイントとしてベンチやお手洗いなどを設置することをあげました。
 後半は、後、東中、久畑を歩きました。ここで私たちが感じた良かった点は、京街道に昔の建物や商売をしていたあとがあったこと、天神から見るそばの花が全く同じ高さに揃えられていたこと、忠魂碑の隣の石碑に入水自決した方々の名前が彫られており、そういった戦争の悲しい記憶を忘れないようにしていることなどがあげられました。改善点は、階段が少し危ない状態であったこと、休憩所がなかったこと、獣害対策の柵の中に観光客個人が入って良いか分からなかったことなどがあげられました。

 地域の方々とも話し合いをしましたが、私たち観光客と地域の方々の生活との目線は全く異なっており、時間をかけて話し合いをした結果、入ってもよい場所には注意書きを張ることによって観光客でもわかりやすく、入ることができ、地域の方々も納得していただけるのではないかと思いました。
 今回、私たちが但東町を訪れて感じたことは、もう一度訪れたいと思いました。なぜなら、最初は但東町の名前を聞いたことがなく、とても不安がありましたが、いざ行ってみるとまだまだたくさん歩きたい場所があり、もっと但東町の歴史について知りたいと思いました。そして、但東町が日本だけでなく、海外からのフットパス観光客を呼び込むために、どのようにするべきか住民の方々と一緒に考えていきたいと思いました。

世界の但東町になるために!
2年生 武田 侑大

 9月24日から9月27日まで兵庫県豊岡市但東町にフットパスを実践しに行きました。フットパスとは、日本フットパス協会によると、英国発祥の「海沿いや森林など地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩くことができる小径」のことです。  
 私たちが但東町でフットパスを行うことで地元の方には当然すぎて気づかないことを発見することができます。但東町はスーパーやコンビニは少ないですが、三方面が山に囲まれ緑の多い場所でした。フットパス当日、あいにくの雨でしたが、雨が降っていることで自然の独特なにおいなどを経験することができました。
 午前中歩いた場所で印象深かったのは「なかや」という空き家を活用した公民館でした。そこでは年末などに地域の人々が集まり餅つきなどが行われるそうです。私が住んでいる地域では、近所の方と集まって何かをするということがないので但東町の方々は皆さん仲が良いという印象を持ちました。
 他にも、田んぼや畑が多く、熊、鹿などの動物が荒らしに来るのを防ぐために柵が至る所に設置されていました。その柵は地元の人にとってとても大切なものでした。柵がないと田畑が動物に荒らされてしまい地域の人々の生活に関わってきます。しかし、それらの柵は私たちのような初めて訪れた人は入っていけない場所だと思ってしまうようなものでした。本来なら入ってよいのですが、標識や案内板などがなくわからなかったので私たちは入っても良い場所だとわかるように標識を作るべきだと地域の方々に提案しました。
 昼食は但東町にある食堂で地域でとれた野菜を使ったお弁当をご馳走になりました。午後には戦争の際に亡くなった人の名前が彫られている石碑や満州開拓団で自ら命を絶った人の名前が彫られている石碑などが置かれていました。他にも、京街道という昔、酒屋や菓子屋など約20くらいの店が並んだ商店街のような街並みが残っていましたが、そのほとんどが空き家のまま放置されていて、何とかそこを活用して現代の「京街道」を創造すれば賑わうのではないかと提案しました。
 今回、但東町にフットパスを行いに訪れてみて感じたのは、地域の方々は戦争の悲しい記憶を引き継ぐために石碑を残していたり、私の地域では見ることのできない獣害対策の柵や地域の花として植えられているさるすべりの花など新鮮で貴重な体験をすることができました。今後も訪れたことのない場所に行きそこでしか経験できないことしていきたいと感じました。

但東町でフットパスをしてわかったこと
2年生 堀内 和真

 私たちは9月24日から27日までゼミ合宿を行いました。私はそこで初めてフットパスを経験しました。フットパスとは英国発祥の「小径を歩くこと」です。一般の小径や農道を歩き、昔ながらの景色を楽しみます。今回フットパスを行った舞台は、兵庫県豊岡市にある但東町です。
 行った日はあいにくの雨でしたが、2つのグループに分かれて行いました。私のグループは午前中に久畑、後、東中地区を回りました。但東町は戦争があった時代に満州へ渡った多くの人たちがいました。その人たちは戦場になることを恐れて逃亡しましたが、諦めて自殺をしてしまったそうです。その人たちを祀った慰霊碑がありました。
 また、京街道という道を歩きました。京街道は昔に賑わっていた商店街でした。所々に当時の面影が残っていました。酒屋では火事になったときに隣に燃え移りにくくする壁や、旅館には昔ながらの窓が残されていました。現地の人がそれぞれ家や商店の説明をして下さったのですが、ほとんどが空き家になっていました。

 その後、畑がある方へ歩きました。但東町は獣害被害が多く、鹿の足跡や、栗の木には熊が作った熊座や、食べかけの栗の実が落ちていました。そのため、畑には獣害対策のフェンスが多く設置されていました。フェンスの奥には天神神社があり地元の人たちによると願い事が叶いやすいそうです。昼食をとった後、東中と小坂を回りました。但東町ではサルスベリの木が道に沿って植えられており、お盆の時期になると花が満開になります。咲く期間が3か月と花としては長いですが、観光客もその期間だけというのはもったいないと感じました。
 但東町ではフットパスで町おこしを考えていました。サルスベリの花や数多くの神社など歴史的な建物が多くありました。しかし、説明板がなく地元の人が案内をしてくれないとそこで起こった出来事が分かりにくいと思いました。また標識や案内板がないのでどこに目的地があるのかもわからず迷ってしまいます。そのため、案内板や地図を作ることを提案しました。但東町の人たちとフットパスを行っていると、誰に対しても優しく、円滑なコミュニケーションがとられており、すれ違う全員が挨拶をしていて素敵な町だと思いました。それはこの町が戦争で多くの人々を亡くしたという悲しい出来事があったからではないかと思ました。