塩路ゼミ3年生が千里山・関西大学エリアをフットパス
本年度も国際観光学部 塩路研究室は、「フットパスと豊かな地域づくり」というテーマで主に吹田市を拠点としてキャリアゼミ活動を行います。また、引き続き、連携先である吹田歴史文化まちづくり協会の皆さんにご協力をいたただきます。本年度は、吹田市岸部エリアと千里山・関西大学エリアの2チームに分かれて、まち歩きを実施し、フットパスの視点から地域づくりについて考えていきます。2023年5月20日に、研究室3年生が吹田市千里山・関西大学エリアで、吹田歴史文化まちづくり協会の吹田まち案内人の方と一緒に1回目のまち歩きを実施しました。今回は、歩いた学生たちがその感想を報告します。なお、各チームは、6月に地域での学びを深め、学生目線で新しい発見をするために、同じエリア内で2度目のまち歩きを行い、7月にはその2回のまち歩きを踏まえて同協会の浜屋敷で市民の方々と交流会を開催する予定です。
千里山を歩いて歴史を知る
3年生 平田 玲子
5月20日、塩路ゼミ3回生で吹田市にて「関西大学・千里山コース」のフットパスを行いました。快晴に恵まれ、フットパス日和でした。阪急千里山駅に集合したのち、吹田まち歩き案内人の大平さんに案内していただきながら千里山第一噴水、千里山キリスト教会、千里山神社、千里寺、関西大学の順に5㎞のコースを歩きました。私自身、千里山方面を訪れ、実際に歩くことでさまざまな発見がありました。ここでは、私たちが訪れたスポットの説明はもちろん、私が感じたこと、考えたことも加えつつ報告していきます。
そもそも吹田には、山がないのになぜ“千里山”なのかを大平さんから説明していただきました。もともとは山だった土地を住宅開発したから山ではなくなったそうです。しかし、現在でも住宅街の中には多くの坂が残っており、自動車無しには暮らせません。ここから、訪れたスポット順に説明していきます。
はじめに、“千里山第一噴水”を訪れました。千里山住宅地のシンボルとなっています。どこかヨーロッパの雰囲気を感じさせる見た目が素敵でした。続いて、“千里山キリスト教会”を訪れました。現在の礼拝堂は、昭和37年に建設されました。教会内の天井は聖書に出てくる“ノアの箱舟”を模して造られています。聖書は辞書ぐらいの分厚さがあり、堂内は独特な宗教的な雰囲気を感じました。
次に、“千里山神社”を訪れました。1926年に大阪住宅経営株式会社専務取締役、矢野慶太郎氏が伏見稲荷から末広神社を勧請しました。吉本興業と親密になったことから、吉本興業創業者の吉本勢がろうそく立てを寄付しています。従って、“春姫大神”の石碑は吉本興業であり、吉本勢の名が刻まれています。住宅街の中にひっそりとたたずむ小さな神社ですが、高台にあるため、吹田のまちを一望できました。
さらに、有形文化財に指定されている“千里寺”を訪れました。本堂は、関西大学の武道館として使用されていた“威徳館”を移築したものです。天井には、鳳凰があしらわれたシャンデリアがあり、とても魅力的です。当日は、法事の為、中の見学はできませんでしたが、2回目のまち歩きで見学したいと思います。
最後に、吹田市で有名な私立大学である“関西大学”を訪れました。同大学の敷地内にある博物館の“簡文館”は、1928年に図書館として設立され、関西大学内にある最古の建築物となっています。1955年に増築された円形部分は村野藤吾によって設計されました。簡文館の目の前に植えられているクスノキは、吹田市最大級でとても迫力があり、立派でした。
全体を通して千里山と関大エリアを歩きながら感じたことは、どこかレトロな雰囲気を感じつつも、道もきちんと整備されており、綺麗な街並みであるという印象でした。特に、最後に訪れた関西大学に関しては、在籍人数も校内規模も自分の通う阪南大学と比較すると、圧倒されました。学食の充実度合いをはじめ、学内にあるスターバックスもうらやましかったというのが率直な感想です。
ガイドの大平さんが一緒にまち歩きをしてくださったことで、より充実したまち歩きとなり、千里山のまちをより深く理解することができました。
そもそも吹田には、山がないのになぜ“千里山”なのかを大平さんから説明していただきました。もともとは山だった土地を住宅開発したから山ではなくなったそうです。しかし、現在でも住宅街の中には多くの坂が残っており、自動車無しには暮らせません。ここから、訪れたスポット順に説明していきます。
はじめに、“千里山第一噴水”を訪れました。千里山住宅地のシンボルとなっています。どこかヨーロッパの雰囲気を感じさせる見た目が素敵でした。続いて、“千里山キリスト教会”を訪れました。現在の礼拝堂は、昭和37年に建設されました。教会内の天井は聖書に出てくる“ノアの箱舟”を模して造られています。聖書は辞書ぐらいの分厚さがあり、堂内は独特な宗教的な雰囲気を感じました。
次に、“千里山神社”を訪れました。1926年に大阪住宅経営株式会社専務取締役、矢野慶太郎氏が伏見稲荷から末広神社を勧請しました。吉本興業と親密になったことから、吉本興業創業者の吉本勢がろうそく立てを寄付しています。従って、“春姫大神”の石碑は吉本興業であり、吉本勢の名が刻まれています。住宅街の中にひっそりとたたずむ小さな神社ですが、高台にあるため、吹田のまちを一望できました。
さらに、有形文化財に指定されている“千里寺”を訪れました。本堂は、関西大学の武道館として使用されていた“威徳館”を移築したものです。天井には、鳳凰があしらわれたシャンデリアがあり、とても魅力的です。当日は、法事の為、中の見学はできませんでしたが、2回目のまち歩きで見学したいと思います。
最後に、吹田市で有名な私立大学である“関西大学”を訪れました。同大学の敷地内にある博物館の“簡文館”は、1928年に図書館として設立され、関西大学内にある最古の建築物となっています。1955年に増築された円形部分は村野藤吾によって設計されました。簡文館の目の前に植えられているクスノキは、吹田市最大級でとても迫力があり、立派でした。
全体を通して千里山と関大エリアを歩きながら感じたことは、どこかレトロな雰囲気を感じつつも、道もきちんと整備されており、綺麗な街並みであるという印象でした。特に、最後に訪れた関西大学に関しては、在籍人数も校内規模も自分の通う阪南大学と比較すると、圧倒されました。学食の充実度合いをはじめ、学内にあるスターバックスもうらやましかったというのが率直な感想です。
ガイドの大平さんが一緒にまち歩きをしてくださったことで、より充実したまち歩きとなり、千里山のまちをより深く理解することができました。
歩くことの大切さ
3年生 磯辺 佑介
2023年5月20日に私たち塩路ゼミ3年生は吹田市でフィールドワークを行いました。私が参加したのは千里山・関大コースで、千里山第一噴水、千里山基督教会、千里山神社、千里寺、千里山・佐井寺図書館、関西大学の順に歩きました。
まず、千里山駅から歩き始めた際に、吹田まち案内人の方から駅前近くにあったポストの説明がありました。そのポストの色が青色だということと、吹田市には、一個だけではなく青色ポストが複数点在しているということを学びました。今までで、赤色のポスト以外を見たことが無かったので驚きました。最初に千里山第一噴水を訪れました。この噴水は、木に囲まれた中心にあり、その空間は噴水から出る音と木の香りで空気が澄んだように感じました。この日はとても暑かったのですが、その場所は少し涼しいように思いました。
次に、きリスト教の千里山教会を訪れたのですが、結構な傾斜の坂を上った先には、広大な土地がありました。教会関係者の方々も快く受け入れて下さいました。実際に教会の中に入ってみると、とても神聖な場所だと感じました。教会といえば、ドラマなどでしか見たことがなかったのですが、自分の目で見ることで、その構造や教会内にどんなものがあるのかを知ることができました。また、千里山教会は一度火災にあい再建しているのですが、とても綺麗な建物でした。
そして、千里山神社と千里寺を訪れました。千里山神社は、千里山の最高地にあることから、眺めは町を一望できるほど絶景でした。しかし、神社に行くために上った坂はとても長く体力不足を感じました。続いて、千里寺を訪れたのですが、その時はあいにく寺の中には入ることができませんでした。少し覗いて見ると、暗くてあまり見えなかったのですが、立派なシャンデリアが吊り下げられていました。次は、予約を取って近くで見てみたいと感じました。また、この二つの建物を訪れる際に通った住宅街は、どれもが立派な家だったので関心を持ちました。見たことのない建築構造であったり、敷地面積の広さであったりなど、何人もの有名芸能人が住んでいてもおかしくないような住居ばかりでした。そこで、案内人の方にこの住宅街について尋ねてみると、吹田の街は富裕層が多いと聞き納得しました。
さらに、千里山・佐井寺図書館を訪れました。この建物は、千里第二小学校の木造校舎の一部を復元活用した建物ですが、とても素敵で上手く活用されていました。復元活用されていない校舎は立ち入ることは不可能だったのですが、覗くことはでき、自分の小学校時代を懐かしく思い出しました。最後に、関西大学を訪れました。関西大学は、ほとんどの建物が大きかったです。キャンパスは、時間の都合で回る場所を省かないといけないほど広かったです。なにより、大学内に学生専用のスターバックスコーヒーがあることは一番の驚きでした。他にも、学食のメニューの多さ、テラス席、久井忠雄や山岡順太郎などの偉人の像が置かれており、十分楽しいキャンパスライフが送れそうだという印象を受けました。
私はまち歩きはやったことがないに等しかったのですが、歩いてみることで様々な発見ができると感じました。知らない道を歩いてみることで、初めて見る建物があったり、絶景に繋がる道があったり、自分の知らないことを多く見つけられました。私は自分の地元について結構詳しい方だとは思いますが、今回のフィールドワークを通して地元の色々な所を歩いてみて、新しい発見をしてみようと思いました。
まず、千里山駅から歩き始めた際に、吹田まち案内人の方から駅前近くにあったポストの説明がありました。そのポストの色が青色だということと、吹田市には、一個だけではなく青色ポストが複数点在しているということを学びました。今までで、赤色のポスト以外を見たことが無かったので驚きました。最初に千里山第一噴水を訪れました。この噴水は、木に囲まれた中心にあり、その空間は噴水から出る音と木の香りで空気が澄んだように感じました。この日はとても暑かったのですが、その場所は少し涼しいように思いました。
次に、きリスト教の千里山教会を訪れたのですが、結構な傾斜の坂を上った先には、広大な土地がありました。教会関係者の方々も快く受け入れて下さいました。実際に教会の中に入ってみると、とても神聖な場所だと感じました。教会といえば、ドラマなどでしか見たことがなかったのですが、自分の目で見ることで、その構造や教会内にどんなものがあるのかを知ることができました。また、千里山教会は一度火災にあい再建しているのですが、とても綺麗な建物でした。
そして、千里山神社と千里寺を訪れました。千里山神社は、千里山の最高地にあることから、眺めは町を一望できるほど絶景でした。しかし、神社に行くために上った坂はとても長く体力不足を感じました。続いて、千里寺を訪れたのですが、その時はあいにく寺の中には入ることができませんでした。少し覗いて見ると、暗くてあまり見えなかったのですが、立派なシャンデリアが吊り下げられていました。次は、予約を取って近くで見てみたいと感じました。また、この二つの建物を訪れる際に通った住宅街は、どれもが立派な家だったので関心を持ちました。見たことのない建築構造であったり、敷地面積の広さであったりなど、何人もの有名芸能人が住んでいてもおかしくないような住居ばかりでした。そこで、案内人の方にこの住宅街について尋ねてみると、吹田の街は富裕層が多いと聞き納得しました。
さらに、千里山・佐井寺図書館を訪れました。この建物は、千里第二小学校の木造校舎の一部を復元活用した建物ですが、とても素敵で上手く活用されていました。復元活用されていない校舎は立ち入ることは不可能だったのですが、覗くことはでき、自分の小学校時代を懐かしく思い出しました。最後に、関西大学を訪れました。関西大学は、ほとんどの建物が大きかったです。キャンパスは、時間の都合で回る場所を省かないといけないほど広かったです。なにより、大学内に学生専用のスターバックスコーヒーがあることは一番の驚きでした。他にも、学食のメニューの多さ、テラス席、久井忠雄や山岡順太郎などの偉人の像が置かれており、十分楽しいキャンパスライフが送れそうだという印象を受けました。
私はまち歩きはやったことがないに等しかったのですが、歩いてみることで様々な発見ができると感じました。知らない道を歩いてみることで、初めて見る建物があったり、絶景に繋がる道があったり、自分の知らないことを多く見つけられました。私は自分の地元について結構詳しい方だとは思いますが、今回のフィールドワークを通して地元の色々な所を歩いてみて、新しい発見をしてみようと思いました。
千里山・関大の歴史を知る
3年生 江原 葵香
私たちは5月20日に吹田市の千里山と関西大学をめぐるフットパスを行いました。集合場所の阪急千里山駅周辺は商業施設や個人商店があり人通りも多い印象でした。
今回、私たちのガイドをしてくださった大平さんと合流し、千里山について伺いました。まず初めに、吹田市には山がないです。しかし、千里山という地名がついています。その理由は千里山の元である「ちさとやま」という地名から由来しているからです。ちさとやまは1889年に片山村と佐井寺村が合併して誕生したものです。千里山は駅名にもなっており、この一帯は明治時代、梅・桃・桜の名所でした。しかし大阪鉄道の開通や千里山住宅地の開発が始まったため大きく姿を変えました。
千里山駅周辺で印象に残っていることはポストです。千里山駅のポストは青と黒を基調としたポストがありました。これはガンバ大阪とのコラボラッピング郵便ポストでした。側面には、吹田市のイメージキャラクター「すいたん」とガンバ大阪マスコットの「モフレム」が描かれていました。吹田市には計10ヶ所設置されています。赤いポストとは印象が全く違い目を引く効果がありました。またガンバ大阪を身近に感じることができ、この効果で手紙やハガキの利用率向上を目指しているのではないかと思いました。
次に、千里山第1噴水を見に行きました。元々は5ヶ所設置されていましたが、今では2ヶ所のみ残っています。この千里山第1噴水は千里山住宅地のシンボルです。そのため住宅建設の歩みを刻む千里山開発記念碑が置かれています。周辺には木、植木鉢には多くの花が咲いていました。ベンチがあったので座って休憩している人や、花を眺めている人など噴水周辺はゆっくり過ごせるスペースであると感じました。
その後、千里山キリスト教会を訪れました。この教会は1948年に創設者の河辺氏の自宅にて礼拝を守ることから始まり、1962年に現在の場所に礼拝堂や諸施設を設けました。教会名には単立という言葉が着いており、どの教派にも属しないことによりクリスチャン達が共に集える教会にしたいという思いが込められています。協会内は木が主に使われており、「ノアの箱舟」がモデルです。想像以上に天井が高く見上げるほどでした。教会内に入ったことがないので、聖書や椅子、十字架など普段は見ることができないものを見ることができました。
さらに、千里寺を訪れました。千里寺は1929年西本願寺派の仏教会館として創立しました。そして本堂は昭和天皇の大嘗饗宴物として建設されました。本堂の内部が特徴的で、花模様の天井画が描かれた黒漆塗りの2重折上格天井と饗宴場時代の鳳凰が付く35燈の華麗なシャンデリアがあります。私たちが訪れた時は法事があり中に入ることは出来ませんでしたが、窓を覗いて見ると立派なシャンデリアが見えました。中は金色が目立ち煌びやかで、襖の絵も描かれておりぜひ近くで見てみたいと思いました。
最後に、関西大学に行きました。関西大学は1886年に関西法律学校として開校しました。1922年には大阪財界の重鎮であった山岡順太郎を総理事に迎え、学舎を開設しました。山岡順太郎は大学昇格に尽力した人物です。また山岡順太郎は千里山住宅地も作っており、千里山の発展に大きく関わっていることが分かります。
現在、関西大学は130周年を迎えました。その記念に西門が開かれました。西門は学生や地域住民の利便性、快適性を高めており安心・安全で人に優しいまちづくりを推進するための記念施設です。実際歩いてみると、関大前駅から直結しているため学生で溢れかえっていました。ほとんどの学生が西門を利用していることや、一般の人も利用していることが分かりました。
キャンパス内は広いため、自転車を利用する人も多く見受けられました。驚いたのは小学生以下の子供たちが大学に来て遊んでいる風景です。大学内に子供たちの遊ぶスペースがあり、家族連れの方や犬の散歩をしている人も見かけました。またスターバックスや食堂も利用でき充実感を感じました。
関西大学で最も驚いたのは学内に約1900本のサクラが植えられていることです。満開の時には一般の方へ向けたイベントも行っているそうです。私たちは約270本あるサクラの木がある屋上庭園に行きました。サクラは咲いていませんでしたが、緑が生い茂った自然を感じられる空間でした。冬にはイルミネーションも行っておりぜひ見に行きたいと思いました。歩いていて感じたのは花や木が多かったことです。サクラ以外にもツツジが咲いていました。また、キャンパス内には幹回りが合計約12mにも及ぶクスノキがありました。このクスノキは吹田市最大級のクスノキで、保護樹木に登録されています。秋にはイチョウやキンモクセイなどを見ることができ、大学内で四季を感じられる空間が作られていると思いました。
千里山を巡って感じたことは、坂道が多いというところです。基本的に上り坂ばかりで、住宅地も坂があるところに建てられていました。そのため自動車の利用が多いように感じました。住宅地なのに、歩いている人はあまり見かけませんでした。また、駅を離れるとスーパーなどの店はなくなり、家ばかりが立ち並んでいました。そのためスーパーや商業施設は駅周辺に固まっていると思いました。今回は施設や寺を巡ったので、次回は飲食店などを見つけたいと思いました。関西大学は時間が無く早歩きで巡ったためもう一度時間をかけて行きたいと思いました。全体的に緑が多く穏やかな雰囲気を感じることが出来ました。次は学生がどのように過ごしているのか、行けなかった大学博物館の見学や阪南大学との違いを見つけたいと思いました。
今回、私たちのガイドをしてくださった大平さんと合流し、千里山について伺いました。まず初めに、吹田市には山がないです。しかし、千里山という地名がついています。その理由は千里山の元である「ちさとやま」という地名から由来しているからです。ちさとやまは1889年に片山村と佐井寺村が合併して誕生したものです。千里山は駅名にもなっており、この一帯は明治時代、梅・桃・桜の名所でした。しかし大阪鉄道の開通や千里山住宅地の開発が始まったため大きく姿を変えました。
千里山駅周辺で印象に残っていることはポストです。千里山駅のポストは青と黒を基調としたポストがありました。これはガンバ大阪とのコラボラッピング郵便ポストでした。側面には、吹田市のイメージキャラクター「すいたん」とガンバ大阪マスコットの「モフレム」が描かれていました。吹田市には計10ヶ所設置されています。赤いポストとは印象が全く違い目を引く効果がありました。またガンバ大阪を身近に感じることができ、この効果で手紙やハガキの利用率向上を目指しているのではないかと思いました。
次に、千里山第1噴水を見に行きました。元々は5ヶ所設置されていましたが、今では2ヶ所のみ残っています。この千里山第1噴水は千里山住宅地のシンボルです。そのため住宅建設の歩みを刻む千里山開発記念碑が置かれています。周辺には木、植木鉢には多くの花が咲いていました。ベンチがあったので座って休憩している人や、花を眺めている人など噴水周辺はゆっくり過ごせるスペースであると感じました。
その後、千里山キリスト教会を訪れました。この教会は1948年に創設者の河辺氏の自宅にて礼拝を守ることから始まり、1962年に現在の場所に礼拝堂や諸施設を設けました。教会名には単立という言葉が着いており、どの教派にも属しないことによりクリスチャン達が共に集える教会にしたいという思いが込められています。協会内は木が主に使われており、「ノアの箱舟」がモデルです。想像以上に天井が高く見上げるほどでした。教会内に入ったことがないので、聖書や椅子、十字架など普段は見ることができないものを見ることができました。
さらに、千里寺を訪れました。千里寺は1929年西本願寺派の仏教会館として創立しました。そして本堂は昭和天皇の大嘗饗宴物として建設されました。本堂の内部が特徴的で、花模様の天井画が描かれた黒漆塗りの2重折上格天井と饗宴場時代の鳳凰が付く35燈の華麗なシャンデリアがあります。私たちが訪れた時は法事があり中に入ることは出来ませんでしたが、窓を覗いて見ると立派なシャンデリアが見えました。中は金色が目立ち煌びやかで、襖の絵も描かれておりぜひ近くで見てみたいと思いました。
最後に、関西大学に行きました。関西大学は1886年に関西法律学校として開校しました。1922年には大阪財界の重鎮であった山岡順太郎を総理事に迎え、学舎を開設しました。山岡順太郎は大学昇格に尽力した人物です。また山岡順太郎は千里山住宅地も作っており、千里山の発展に大きく関わっていることが分かります。
現在、関西大学は130周年を迎えました。その記念に西門が開かれました。西門は学生や地域住民の利便性、快適性を高めており安心・安全で人に優しいまちづくりを推進するための記念施設です。実際歩いてみると、関大前駅から直結しているため学生で溢れかえっていました。ほとんどの学生が西門を利用していることや、一般の人も利用していることが分かりました。
キャンパス内は広いため、自転車を利用する人も多く見受けられました。驚いたのは小学生以下の子供たちが大学に来て遊んでいる風景です。大学内に子供たちの遊ぶスペースがあり、家族連れの方や犬の散歩をしている人も見かけました。またスターバックスや食堂も利用でき充実感を感じました。
関西大学で最も驚いたのは学内に約1900本のサクラが植えられていることです。満開の時には一般の方へ向けたイベントも行っているそうです。私たちは約270本あるサクラの木がある屋上庭園に行きました。サクラは咲いていませんでしたが、緑が生い茂った自然を感じられる空間でした。冬にはイルミネーションも行っておりぜひ見に行きたいと思いました。歩いていて感じたのは花や木が多かったことです。サクラ以外にもツツジが咲いていました。また、キャンパス内には幹回りが合計約12mにも及ぶクスノキがありました。このクスノキは吹田市最大級のクスノキで、保護樹木に登録されています。秋にはイチョウやキンモクセイなどを見ることができ、大学内で四季を感じられる空間が作られていると思いました。
千里山を巡って感じたことは、坂道が多いというところです。基本的に上り坂ばかりで、住宅地も坂があるところに建てられていました。そのため自動車の利用が多いように感じました。住宅地なのに、歩いている人はあまり見かけませんでした。また、駅を離れるとスーパーなどの店はなくなり、家ばかりが立ち並んでいました。そのためスーパーや商業施設は駅周辺に固まっていると思いました。今回は施設や寺を巡ったので、次回は飲食店などを見つけたいと思いました。関西大学は時間が無く早歩きで巡ったためもう一度時間をかけて行きたいと思いました。全体的に緑が多く穏やかな雰囲気を感じることが出来ました。次は学生がどのように過ごしているのか、行けなかった大学博物館の見学や阪南大学との違いを見つけたいと思いました。