教員からのご挨拶
年度内に間に合いませんでしたが、昨年度のゼミ活動の報告を行いたいと思います。
私が着任1年目で、立ち上がったばかりのゼミです。文学・アニメ・ドラマ・歌謡曲などのあらゆる〈作品〉が、観光や町おこしにどのように結びついていくか、または作品そのものの新たな魅力を発見することで、観光資源としての可能性を探ることを研究テーマとしています。
今年度のフィールドワークは、夏休みに京都の宇治に『源氏物語』の古跡を訪ねる文学散歩、後期学期中に大阪新世界で催されていた『キン肉マンproject』に関する取材、そして春休みにアニメ『花咲くいろは』の舞台となった金沢でゼミ合宿を行いました。以下、学生に活動レポートを書いてもらいました。
私が着任1年目で、立ち上がったばかりのゼミです。文学・アニメ・ドラマ・歌謡曲などのあらゆる〈作品〉が、観光や町おこしにどのように結びついていくか、または作品そのものの新たな魅力を発見することで、観光資源としての可能性を探ることを研究テーマとしています。
今年度のフィールドワークは、夏休みに京都の宇治に『源氏物語』の古跡を訪ねる文学散歩、後期学期中に大阪新世界で催されていた『キン肉マンproject』に関する取材、そして春休みにアニメ『花咲くいろは』の舞台となった金沢でゼミ合宿を行いました。以下、学生に活動レポートを書いてもらいました。
「源氏物語」の舞台を訪ねて
—国際観光学部2年西山和貴
八月八日、私たちはフィールドワークで京都府宇治市を訪れました。宇治市は源氏物語の「宇治十帖」の舞台となったことで有名で、このフィールドワークでは舞台となった三室戸寺や宇治上神社、平等院をはじめ宇治市内各所にある「宇治十帖」の舞台となったことを示す「古蹟」を巡りました。古蹟は手習(てならい)、浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)、宿木(やどりぎ)、橋姫(はしひめ)、夢浮橋(ゆめのうきはし)、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)の10個の古蹟がありそれぞれの古蹟に石碑と宇治十帖の内容を記した看板が立てられていました。
まず私たちは京阪三室戸駅を出発し手習と浮舟の古蹟、そして三室戸寺をめざしました。この古蹟のある場所は事前に地図やガイドブックで調べてはありましたが実際に歩いてみると交差点や細い路地など観光客が迷ってしまうと考えられるポイントに道路のタイルの一部を古蹟への案内図にするといったユニークな形で案内がされていました。しかし、その反面で道路の真ん中に案内図を設置することは少し危険が伴うのではないか?と疑問に思ったりしました。
古蹟巡りの途中、私たちは源氏物語ミュージアムに立ち寄りました。館内では映像を用いて源氏物語の内容や世界観を紹介していたり、その当時の人々の衣装や生活風景、調度品が復元展示されていました。源氏物語ミュージアムを後にして、さわらびの道を歩き総角と早蕨の二つの古蹟と与謝野晶子の「宇治十帖」の詩碑、そして宇治上神社、宇治神社を巡りました。その後宇治川を渡り平等院に行きました。平等院は元々藤原道長の別荘として建てられたものを後になって寺院へと改められました。平等院では庭園が綺麗に整備されていて境内も落ち着いた雰囲気がありここまで歩いてきた疲れを忘れることができました。そして何より目の前で有名な平等院鳳凰堂を見ることができ興奮したことを今でも覚えています。平等院を出て橋姫の古蹟がある橋姫神社、宇治橋にある夢浮橋の古蹟、京阪宇治駅横の椎本、東屋の二つの古蹟を巡ったところで源氏物語「宇治十帖」の古蹟巡りと舞台巡りを終えました。
今回のフィールドワークでは源氏物語の舞台となった宇治市を実際に自分の足で歩くことでその地の歴史を直接感じることができました。また普段から古典に触れる機会が少なかったですがこれを機に古典に目を向ける良いきっかけになったと思います。そして私たちが今回行ったようにある作品の舞台となった場所を巡るという観光は古典だけでなく現代のドラマや映画、アニメなどの作品を使っても可能であると考えています。実際にアニメの舞台となった町でそのアニメの舞台を巡ること(聖地巡礼)を目的で訪れる観光客が増加したという事例は増えているそうです。このフィールドワークをきっかけに舞台探訪といった形の観光を研究して発信していきたいと考えています。
古蹟巡りの途中、私たちは源氏物語ミュージアムに立ち寄りました。館内では映像を用いて源氏物語の内容や世界観を紹介していたり、その当時の人々の衣装や生活風景、調度品が復元展示されていました。源氏物語ミュージアムを後にして、さわらびの道を歩き総角と早蕨の二つの古蹟と与謝野晶子の「宇治十帖」の詩碑、そして宇治上神社、宇治神社を巡りました。その後宇治川を渡り平等院に行きました。平等院は元々藤原道長の別荘として建てられたものを後になって寺院へと改められました。平等院では庭園が綺麗に整備されていて境内も落ち着いた雰囲気がありここまで歩いてきた疲れを忘れることができました。そして何より目の前で有名な平等院鳳凰堂を見ることができ興奮したことを今でも覚えています。平等院を出て橋姫の古蹟がある橋姫神社、宇治橋にある夢浮橋の古蹟、京阪宇治駅横の椎本、東屋の二つの古蹟を巡ったところで源氏物語「宇治十帖」の古蹟巡りと舞台巡りを終えました。
今回のフィールドワークでは源氏物語の舞台となった宇治市を実際に自分の足で歩くことでその地の歴史を直接感じることができました。また普段から古典に触れる機会が少なかったですがこれを機に古典に目を向ける良いきっかけになったと思います。そして私たちが今回行ったようにある作品の舞台となった場所を巡るという観光は古典だけでなく現代のドラマや映画、アニメなどの作品を使っても可能であると考えています。実際にアニメの舞台となった町でそのアニメの舞台を巡ること(聖地巡礼)を目的で訪れる観光客が増加したという事例は増えているそうです。このフィールドワークをきっかけに舞台探訪といった形の観光を研究して発信していきたいと考えています。
新世界100周年「キン肉マンPROJECT」についての調査
—国際観光学部2年田中蒼一
11月26日(水)、ゼミ一同で新世界にあるマッスルショップに赴き、新世界町会連合会会長の大西幸次郎さんと、キン肉マンPROJECTの推進委員会事務局の纐纈一幸さんにキン肉マンPROJECTについての話を伺ってきました。事前に新世界100周年イベントについてインターネットで調べ、気になったことや聞きたいことをゼミ内で出し合ったり、少しでもキン肉マンの世界観に触れるために単行本を読んだりと、準備を進めた上での調査でした。
新世界・通天閣は2012年に100周年を迎え、100周年のイベントの公式キャラクターとしてキン肉マンが選ばれ、キン肉マンPROJECTが始動しました。キン肉マンが公式キャラクターに選ばれた経緯としては、キン肉マンの作家である「ゆでたまご」の嶋田隆司さんと中井義則さんが共に大阪出身、特に中井さんは浪速区出身ということもあり、とにかくインパクトが重要だと考えた末、キン肉マンとのコラボに至ったそうです。
今回の調査の主な目的は、キン肉マンPROJECTを通して街おこしにどれくらい影響が出たのか、についての調査であったわけですが、数字的な意味での成果はあまり出なかったものの、マッスルショップに立ち寄る人は多かったり、キン肉マンというネームバリューは強く、海外、特にヨーロッパからのキン肉マン目当ての観光客が増えたということを知ることができました。これらは、キン肉マンとのコラボが実現されなければ成し遂げられなかったことであり、十分な成果が出ていると私は思います。
新世界・通天閣は2012年に100周年を迎え、100周年のイベントの公式キャラクターとしてキン肉マンが選ばれ、キン肉マンPROJECTが始動しました。キン肉マンが公式キャラクターに選ばれた経緯としては、キン肉マンの作家である「ゆでたまご」の嶋田隆司さんと中井義則さんが共に大阪出身、特に中井さんは浪速区出身ということもあり、とにかくインパクトが重要だと考えた末、キン肉マンとのコラボに至ったそうです。
今回の調査の主な目的は、キン肉マンPROJECTを通して街おこしにどれくらい影響が出たのか、についての調査であったわけですが、数字的な意味での成果はあまり出なかったものの、マッスルショップに立ち寄る人は多かったり、キン肉マンというネームバリューは強く、海外、特にヨーロッパからのキン肉マン目当ての観光客が増えたということを知ることができました。これらは、キン肉マンとのコラボが実現されなければ成し遂げられなかったことであり、十分な成果が出ていると私は思います。
また、こうした街全体でのプロジェクトを行うにあたって、やはりどのようにして商店街の方々と理解し合えたのかという疑問があったのですが、商店街側は参加すれば無料でお店の宣伝をしてもらえてお客さんの増加が見込める、プロジェクト実行側はそうすることによって新世界全体が盛り上がる、というWin-Winな関係が出来上がり、プロジェクトは着々と浸透していったそうです。今年の8月までプロジェクトは続くそうで継続させるかどうか悩まれていたのですが、活性化の為にも是非続けて欲しいです。
まとめとして、なぜキン肉マンなのだろう、とかホントにキン肉マンとのコラボで街が盛り上がるのだろうか、という疑問を払拭させるような内容を聞くことができました。
調査に対する取り組みについては、アニメや漫画を用いた街おこしに対する初めての調査だったわけですが、質問の内容、意見の出し合いなどがまだまだ不十分だった感じは否めなく、現地での実際の質疑応答もあまりスムーズに行うことが出来なかった感じではあったのが反省点と思ったので、今後の活動・調査に活かせたらと思いました。
まとめとして、なぜキン肉マンなのだろう、とかホントにキン肉マンとのコラボで街が盛り上がるのだろうか、という疑問を払拭させるような内容を聞くことができました。
調査に対する取り組みについては、アニメや漫画を用いた街おこしに対する初めての調査だったわけですが、質問の内容、意見の出し合いなどがまだまだ不十分だった感じは否めなく、現地での実際の質疑応答もあまりスムーズに行うことが出来なかった感じではあったのが反省点と思ったので、今後の活動・調査に活かせたらと思いました。
金沢ゼミ合宿の報告(「花咲くいろは」実地見学調査)
—国際観光学部2年小倉千明・根津紗也香
3月18日から金沢に行ってきました。初日は、北陸新幹線で盛り上がる金沢市内の見学をしました。現地集合で、全員がサンダーバードを使い、13時半に金沢駅に着きました。集合してから、周遊バスを使い、金沢の町並みを歩いて観光をしました。観光地なだけあって、周遊バスの中のアナウンスはすごく丁寧で、バス停の近くにはレンタルの自転車もたくさん置いてあり、自転車を使って観光されている方も沢山いらっしゃいました。町並みは京都のような、上品な感じでした。次に、兼六園に行きました。兼六園の中は思った以上に広く、観光客も沢山いました。桜はまだ咲いていなかったけど梅の花は咲いていてとても綺麗でした。兼六園をでて、金沢城公園に入り、散歩をしました。そして、最後は近江町市場に行き、海鮮丼を食べ、1日目は終了しました。
金沢に行ったことがなかったので、ネットなどで調べて写真を見てから行ったのですが、写真以上に駅や町並みがすごく綺麗で、駅前には沢山ホテルがあったので、金沢全体が観光地となるように対策しているなぁと思いました。
金沢に行ったことがなかったので、ネットなどで調べて写真を見てから行ったのですが、写真以上に駅や町並みがすごく綺麗で、駅前には沢山ホテルがあったので、金沢全体が観光地となるように対策しているなぁと思いました。
2日目は朝金沢駅に集合して、バスで湯涌温泉まで行きました。バス停に着く時にはほとんど人はいませんでした。湯涌は雨が降っていたのもあり、肌寒く雪が積もっていました。道中にはアニメ「花咲くいろは」のポスターや看板などが設置されており、展示もしてました。その日、湯涌温泉は月一の定休日で残念ながら、入ることはできませんでした。そのせいもあり、人はすくなかったです。近くに足湯できるところがあり、寒い冬にはぴったりだと思いました。更に奥にいくと、湖がありました。悪天候のため霧がでていましたが、晴れていたら綺麗なところなんだろうなと思いました。バスの待ち時間の間に、バス停の近くにあった、売店のおばちゃんにいろいろお話しを伺いました。毎年ぼんぼり祭りになると、湯涌温泉にたくさんの人が訪れる。もともと湯涌温泉は、地元色が強く石川県内から、来る人は多かったが、それ以外の時期でも、春休みや夏休みを中心に県外から、「花咲くいろは」目当てにやってくる若者が増えた。だか、旅館の数が多くはないので、地方からくる人は石川県内に泊まりバスで訪れるというスタイルがほとんどだという。新幹線が開業したので、東京方面の人たちにもきてほしいと意気込んでいた。また、若者が増えたことは嬉しいが、今度この状態をどう維持していくかが課題だと話していた。そのあとは、観光協会の方に話を伺いました。ぼんぼり祭りの時は人が賑わうが、それ以外はあまり人が来ないということ、アニメのグッズのことなど、やはり、今後どうしていくかが課題だと、おっしゃっていた。そして、金沢駅に戻りみんなでお昼ご飯を食べて、各自大阪に戻りました。
地元金沢でのフィールドワーク —国際観光学部2年小野和佳
1日目では、現地集合ということで金沢駅で集まりました。新幹線が開通したことで、いつもは人通りもあまりない駅全体が、観光客の人々で溢れかえっているのに驚きました。無事全員集合したことで集合写真を門の前で撮り、私は生まれも育ちも金沢なのに凄い観光客気分でした。
一つ目の目的地として、東茶屋街に向かいます。この時の移動は金沢周遊バスを使いました。バス自体は見る機会は有りましたが、いつも使う方向とは逆なバスだったので、今回乗れたのがうれしかったです。
茶屋街では金箔が貼られた蔵や、通りの写真をみんなが記念に撮っているのをみていて、「お菓子などに使われるし、金箔はそこまで珍しいものではないだろうに」と、思っていると金沢は金箔の生産量の90%以上であり、学校の授業などで金箔貼りや、金箔を仕様した工芸品などの鑑賞するなど触れる機会が多かったので私のほうが感覚がずれているのかなと思いました。
一通りみて廻った後は兼六園に向けて歩くことにしました。浅野川沿いの桜はまだ花をつけていなかったので、これから川に沿って桜の開花していくのを見てみたいなと思いました。兼六園までの道は高校の通学路でもあったので、少し懐かしい気分です。皆が、途中に通ったコンビニが24時間じゃないことに驚いていましたが、田舎では9時以降出歩く人なんて街のほうだけですし、お年寄りの方が店主をしているのが多いので、県と府の差をみた気がしました。
兼六園についてチケットを買うと、少し歩きつかれたので休憩を取ることにしました。じつは母が兼六園の茶店で働いており、お団子をもらって食べました。おいしかったです。シンボルである琴柱灯篭の前で写真をとり、園をぐるっとまわりました。
兼六園の前には金沢城にいきました。皆が城かと指すものが長屋だったり、門だったりして、少し笑ってしまった。1月に来たときは雪が広場につもっていてきれいだったなと思いました。
最後の近江町市場に向けて、城の裏手から香林坊のところに降りていき、ちょっとした地理のお話では、いろんな疑問がでて楽しかったです。
これまで歩いてきて、”花咲くいろは”のモデルとなった背景のところなど案外わかりやすいところがあったなと感じました。近江町ではご飯を皆で食べて解散になりました。ごちそうさまです。
2日目はいろはの舞台でもある湯湧温泉に向かいます。
現地では、ぼんぼり祭りのポスターや宝探しのイベントなどで”いろは”の看板がささやかに設置してあるなど、溶け込んでいる様子が伺えました。また、花咲くいろはのアプリがありキャラクターが観光地に着くと案内をしてくれ、ポイントでは写真がとれるなど、舞台モデルとなった地域の魅力を感じれるものになっていました。
湯湧稲荷神社に向かう途中には白鷺の湯という足湯があるのですが、その日は月に一回の休業日でながれていなかった。神社の絵馬には、花咲くいろはの絵が描かれた物やが多くあり、アニメをみた人が本当にここにきたのだなと実感できました。モデルとなった旅館のあった場所は、霧が深く雪も多くつもっていたので行く事ができなくて残念でしたが、後で観光協会のところで写真を見れることができました。経営難はどんなところにも降りかかる最大の敵であるなとおもいました。
湯湧温泉観光協会には自分のアポイントがうまくいってなくて、飛び込みでインタビューしたので、次に挽回したいです。
お話を伺って分かったこと、花咲くいろはのイベントやグッズなどは、アニメの制作会社から提供されるだけであり、自分達から売り込むということはあまりないこと。舞台となったことで人気は上がっても、元々の宿泊施設が少ないことから波はあったが昨年とさほど変わらないこと、これを聞いて少し安心をしました。昔、祖母と来たときも、泊まりよりも日帰りで静かに温泉だけ入るというイメージが強かったからかもしれません。
新幹線が開通したことで、何か変わりはありましたかという質問では、時間が短くなることで、東京からのお客さんの声が多く掛かるそうになったそうですが、先にも言いましたが宿泊施設が少ないことから、この波に乗って増やしたとして、継続していく力がないとだめなこと、花咲くいろはだけでは、力が弱いことが分かりました。何事も続けれることが大事なことです。
また、金沢から東京に人が流れるのではないか、という答えをいただきました。これは金沢からの日帰り客を相手にしていた湯湧には痛手だろうなと思いこれからのアピールとして、”いろは”だけでなく様々な取り組みが必要になるなと思いました。私は東京に住もうとはあまり思わないですが、田舎の若者にとって東京は憧れの都だからと納得はできました。
帰る際、バスが手をあげて止まってくれたときは、不思議な感動が起きました。
花咲くいろはは、アニメが終わっても細々とした人気と地域との取り組みによって湯湧温泉を盛り上げていってほしいと思いました。
一つ目の目的地として、東茶屋街に向かいます。この時の移動は金沢周遊バスを使いました。バス自体は見る機会は有りましたが、いつも使う方向とは逆なバスだったので、今回乗れたのがうれしかったです。
茶屋街では金箔が貼られた蔵や、通りの写真をみんなが記念に撮っているのをみていて、「お菓子などに使われるし、金箔はそこまで珍しいものではないだろうに」と、思っていると金沢は金箔の生産量の90%以上であり、学校の授業などで金箔貼りや、金箔を仕様した工芸品などの鑑賞するなど触れる機会が多かったので私のほうが感覚がずれているのかなと思いました。
一通りみて廻った後は兼六園に向けて歩くことにしました。浅野川沿いの桜はまだ花をつけていなかったので、これから川に沿って桜の開花していくのを見てみたいなと思いました。兼六園までの道は高校の通学路でもあったので、少し懐かしい気分です。皆が、途中に通ったコンビニが24時間じゃないことに驚いていましたが、田舎では9時以降出歩く人なんて街のほうだけですし、お年寄りの方が店主をしているのが多いので、県と府の差をみた気がしました。
兼六園についてチケットを買うと、少し歩きつかれたので休憩を取ることにしました。じつは母が兼六園の茶店で働いており、お団子をもらって食べました。おいしかったです。シンボルである琴柱灯篭の前で写真をとり、園をぐるっとまわりました。
兼六園の前には金沢城にいきました。皆が城かと指すものが長屋だったり、門だったりして、少し笑ってしまった。1月に来たときは雪が広場につもっていてきれいだったなと思いました。
最後の近江町市場に向けて、城の裏手から香林坊のところに降りていき、ちょっとした地理のお話では、いろんな疑問がでて楽しかったです。
これまで歩いてきて、”花咲くいろは”のモデルとなった背景のところなど案外わかりやすいところがあったなと感じました。近江町ではご飯を皆で食べて解散になりました。ごちそうさまです。
2日目はいろはの舞台でもある湯湧温泉に向かいます。
現地では、ぼんぼり祭りのポスターや宝探しのイベントなどで”いろは”の看板がささやかに設置してあるなど、溶け込んでいる様子が伺えました。また、花咲くいろはのアプリがありキャラクターが観光地に着くと案内をしてくれ、ポイントでは写真がとれるなど、舞台モデルとなった地域の魅力を感じれるものになっていました。
湯湧稲荷神社に向かう途中には白鷺の湯という足湯があるのですが、その日は月に一回の休業日でながれていなかった。神社の絵馬には、花咲くいろはの絵が描かれた物やが多くあり、アニメをみた人が本当にここにきたのだなと実感できました。モデルとなった旅館のあった場所は、霧が深く雪も多くつもっていたので行く事ができなくて残念でしたが、後で観光協会のところで写真を見れることができました。経営難はどんなところにも降りかかる最大の敵であるなとおもいました。
湯湧温泉観光協会には自分のアポイントがうまくいってなくて、飛び込みでインタビューしたので、次に挽回したいです。
お話を伺って分かったこと、花咲くいろはのイベントやグッズなどは、アニメの制作会社から提供されるだけであり、自分達から売り込むということはあまりないこと。舞台となったことで人気は上がっても、元々の宿泊施設が少ないことから波はあったが昨年とさほど変わらないこと、これを聞いて少し安心をしました。昔、祖母と来たときも、泊まりよりも日帰りで静かに温泉だけ入るというイメージが強かったからかもしれません。
新幹線が開通したことで、何か変わりはありましたかという質問では、時間が短くなることで、東京からのお客さんの声が多く掛かるそうになったそうですが、先にも言いましたが宿泊施設が少ないことから、この波に乗って増やしたとして、継続していく力がないとだめなこと、花咲くいろはだけでは、力が弱いことが分かりました。何事も続けれることが大事なことです。
また、金沢から東京に人が流れるのではないか、という答えをいただきました。これは金沢からの日帰り客を相手にしていた湯湧には痛手だろうなと思いこれからのアピールとして、”いろは”だけでなく様々な取り組みが必要になるなと思いました。私は東京に住もうとはあまり思わないですが、田舎の若者にとって東京は憧れの都だからと納得はできました。
帰る際、バスが手をあげて止まってくれたときは、不思議な感動が起きました。
花咲くいろはは、アニメが終わっても細々とした人気と地域との取り組みによって湯湧温泉を盛り上げていってほしいと思いました。
1年間を振り返って
—担当教員からの一言
夏に立ち上がり、実質半年の活動でしたが、思ったよりいろんなことができたかなと思いました。メンバー間の仲も良く、小さいですが、まとまりのあるゼミでうれしく思っております。全体のゼミ活動から多くのことを学び、それぞれ各自が興味のあるテーマへと結びつけてくれればいいなと思います。(おまけですが、右の写真は、金沢駅で地元の高校の観光研究部からアンケートを頼まれた際のお礼(アメ)です。自分たちが調査に行ったのに、なぜか調査を受けるという貴重な体験をしました)。