2024年度より、阪南大学経済学部では在籍教員の研究教育活動のより一層の進展をはかるため、教員同士での研究会を実施しています。
 昨年12月に第4回目の研究会が開催されましたので、報告者の今城徹准教授より、報告内容について紹介してもらいます。

2024年度 第4回経済学部研究会

執筆者 経済学部 今城 徹

 こんにちは。経済学部で日本経済史と金融史を担当する今城徹です。今回の経済学部研究会では、現在取り組んでいる、大阪の商工業者と金融機関がどのような取引関係を結んでいたのかを検討する研究の一部を報告しました。
【問題意識】
 まず、歴史とは関係なく、企業と金融特にここでは金融機関との関係をみておきましょう。企業規模の大小を問わず、金融機関は企業活動にとって欠かせません。金融機関は新しい取引先を開拓するとともに、すでにある取引先の企業活動で発生する収入と支出の管理、経営維持や新規事業の立ち上げなどに必要となる資金の貸出、一方で経営不振時の金融面からの支援を行います。金融機関が企業に果たす役割は過去も現在も、またどの国においても同じであり、金融機関は企業の成長にとって必要不可欠です。
 また、金融機関にとって企業の成長は重要です。金融機関の主な収益源は貸出であり、成長企業は常に新たな資金を求めるからです。金融機関はこれに応えることで収益の拡大を図ります。また、成長企業の増加は新たな企業の創出を促します。金融機関は新規企業と取引を開始して、さらに収益拡大を目指すことができます。このように、地域経済ひいては一国経済の成長は企業と金融機関の両方の成長に支えられているのです。
 以上を踏まえた上で、なぜ大阪の商工業者と金融機関の取引関係に注目するのか。その理由は、戦前から戦時期、戦時期から戦後復興期、高度成長期、バブル期から現在について大阪の金融機関による地元企業への金融のあり方を検討することで、大阪の繁栄と停滞の歴史、さらには今後の大阪を明らかにできると考えたからです。「金融からみた大都市の歴史研究」といっても良いでしょう。
 
【分析と結論】
 歴史研究の場合、分析の前に資料を発掘し、データベースを作る必要があります。今回は、昭和14年時点における大阪の商工業者の取引銀行名がわかる『大阪商工名録 昭和15年版』を使います。この資料に掲載された全業者の30%-40%にあたる4、143件の情報を取引銀行名とともに入力し、さらに『帝国信用録 昭和15年版』と『同 昭和12年版』から得られる昭和14年および11年時点の信用情報を追加します。これによって、たとえば、「昭和14年の今城商店は三菱UFJ銀行と取引しており、同商店の純資産は昭和11年から昭和14年で5万円、年商は10万円増加した」というように、昭和14年時点の個別業者の取引銀行と、昭和11年と昭和14年の信用の変化が可視化できます。
 このデータベースを用いた分析からさまざまなことが分かったのですが、大阪の商工業者と大阪に本店を置く三和銀行、住友銀行、野村銀行の関係について以下のことが明らかになりました。
 1つ目は、大阪における三和銀行の存在は大きく、商工業者の取引銀行の中心であったことです。三和銀行は現在の三菱UFJ銀行の前身であり、三十四銀行、山口銀行、鴻池銀行が合併して昭和8年に設立されました。繊維業で発展したイギリスのマンチェスターになぞらえて「東洋のマンチェスター」と呼ばれた大阪には繊維業関連の商工業者が多く、三和銀行はこれらを中心に幅広い産業の商工業者を取引先としていました。
 2つ目は、3行の取引先に階層性が見られたことです。地域経済の金融の主力はその地に本店を置く銀行であり、それは大都市においても同様です。三和銀行の取引商工業者の資産状況を基準とすると、現在の三井住友銀行の前身である住友銀行は三和銀行のワンランク上位層を取引先としていました。一方、りそな銀行の前身である野村銀行はワンランク下位層を取引先としていました。特に、三和銀行や住友銀行に遅れて銀行業に進出した野村銀行は、後発ゆえの競争力の弱さを、本来ならば銀行と取引するには信用不足の取引先を積極的に開拓することでカバーしたと考えられます。これは結果的に、より多くの大阪商工業者が決済機能を持つ銀行にアクセスすることを可能にしたと推測されます。
 3つ目は、産業別にみて3行の取引先に違いがあったことです。三和銀行と住友銀行は大阪の主力産業の繊維関係業者との取引を中心としつつ、戦時期の成長産業である機械や金属関連業者との取引を増やしました。一方、野村銀行は戦時期において機械や金属、他に木材関連の業者を主要な取引先としていました。ただし、この違いが持つ意味については今後の検討課題です。
 
【これからの課題と展望】
 今回の研究報告によって、戦前から戦時期にかけての大阪商工業者と大阪本店銀行の取引の特徴は明らかになりました。しかし次の解明すべき課題は、商工業者と銀行の関係がどの程度の深さであったのか、言い換えれば、商工業者と銀行がメインバンク関係にあったか否かを明らかにすることです。
 企業にとってメインバンクとは、単発の取引がある銀行ではなく、決済と資金調達で中心的な役割を担い、経営悪化時に金融支援を行う銀行のことであり、銀行が取引先のメインバンクとなるためには、担保力を高めながら、段階を踏んだ一定期間の取引を行う必要があります。今回の分析からは、これまでの想定よりも小規模の商工業者が三和銀行、住友銀行、野村銀行といった主要銀行と取引をしていたことが明らかになりましたが、これらの業者と3行の取引が本当の意味でメインバンク関係であったか否か、取引相手を検索するためにも用いられた『大阪商工名録』において、商工業者が3行との取引を明示する意味をさらに検討していきます。
 最後に、「金融からみた大都市史」研究は、「歴史から現在を考える」ものであるとともに、「過去から現在までを明らかにする」ものにしていきたいと考えています。

阪南大学経済学部【阪南経済NOW】