2024年度から、阪南大学経済学部では在籍教員の研究教育活動のより一層の進展をはかるべく、教員同士の研究会がスタートしました。
7月には3回目の研究会が開催されましたので、報告者の細川准教授より、報告内容について紹介してもらいます。
 Guten Tag(こんにちは)! 阪南大学でドイツ語を担当している細川裕史です。この記事では、今年度からはじまった経済学部研究会での、細川自身の発表について紹介いたします。
 私は、「統語構造における『話しことば性』の数値化—K.マルクスの『新ライン新聞』を一例として」というタイトルで発表しました。博士論文では、19世紀における新聞のドイツ語の「話しことば性」を扱っており、この発表はその成果を、ジャーナリストでもあった経済学者のマルクスと結びつけたものです。

マルクスの『新ライン新聞』

 「マルクス」という名前は、みなさんも、世界史の授業で聞いたことがあるかもしれません。1818年にドイツのトリーアに生まれたマルクスは、大学時代に哲学を学び教員になろうとしましたが、就職活動がうまくいかず、1842年から『ライン新聞』の編集部で働くことになります。このとき、さまざまな社会経済の問題に取り組んだことから、彼は経済学にも関心をもつようになりました。その後、1848年にドイツでおきた市民革命(「三月革命」)と連動して彼自身が立ち上げたのが、『新ライン新聞』です。同紙ははっきりと労働者階級の立場にたち、彼らに支配者階級との闘争を呼びかけたため、たった2年で廃刊に追いやられてしまいました。マルクスは、その後、イギリスに亡命して活動をつづけ、1883年に同地で亡くなっています。
  • 『新ライン新聞』

  • マルクスの生家

「話しことば性」の数値化

 ドイツ語の歴史に関して、先行研究では、19世紀末以降、書きことばが「話しことば化」してきた、と指摘されています。しかし、この「話しことば化」を証明するためには——「物価の上昇」を証明するために物の値段を調べないといけないように——まずは「話しことば性」を客観的な数値として表す必要があります。そのうえで、その数値を他の時代のものと比較しなければなりません。
 私は、先行研究の成果に基づき、「話しことば性」の目安として「文の短さ」と「文構造の単純さ」という観点を選びました。そして、『新ライン新聞』と同時期の他の新聞、そして現代のニュース・サイトの文章を比較しました。
 話が専門的になりすぎるので省略しますが、結論としては、マルクスの新聞は、19世紀なかばの新聞としては比較的「話しことば性」が高かったことが分かりました——もちろん、現代語とは比べ物にならないくらい低いのですが。この新聞では、読者にihr(君たち)と呼びかけるような文体が用いられているケースがあり、そのような姿勢が「話しことば性」の高さの原因だと考えられます。
 会場には、言語学者は私しかいませんでした。しかし、発表後には、さまざまな観点から質問や指摘をいただき、専門の違う同僚たちから多くの刺激を受けることができました。この経験を今後の研究だけでなく、(専門家ではない人たちに専門知識をとどける)授業にも繋げていければと思っています。