都市文化論シンポジウム2024
第2回シンポジウムレポート
第2回目のシンポジウム終了後、受講学生から以下の提案を受けました。
「3人の先生方による学生からの質問への回答を聴きながら、可能であれば、私たち学生も更なる質問で参戦できないだろうか?と考えたのですが。」
この提案を私たちは直ちに共有し、第11回目の授業中にも受講学生諸君の了解を得ると共に、授業終了後には3人でミーティングを開き、第15回目の最終回の授業を使って、第3回目のシンポジウムを開催することに決定しました。
これまでも、課題レポートには3回目のシンポジウム開催を学生から要請されていましたが、なんとなく先延ばしにしてきました。
けれども、上記のような積極的にして具体的な提案を受けて、15年目にして初めての挑戦をしてみようという結論に至りました。
授業は生き物です。受講学生からの意見を積極的に取り込みながら、可能な限り実現していくことも今日的な大学の授業の在り方だという点が担当者の合意点となりました。
ただし、そのためには授業計画を変更しなければなりません。その点もきちんと受講学生には理解してもらうことが重要となります。
幾つかの手続きを経て、第3回目のシンポジウムを実施いたします。
「3人の先生方による学生からの質問への回答を聴きながら、可能であれば、私たち学生も更なる質問で参戦できないだろうか?と考えたのですが。」
この提案を私たちは直ちに共有し、第11回目の授業中にも受講学生諸君の了解を得ると共に、授業終了後には3人でミーティングを開き、第15回目の最終回の授業を使って、第3回目のシンポジウムを開催することに決定しました。
これまでも、課題レポートには3回目のシンポジウム開催を学生から要請されていましたが、なんとなく先延ばしにしてきました。
けれども、上記のような積極的にして具体的な提案を受けて、15年目にして初めての挑戦をしてみようという結論に至りました。
授業は生き物です。受講学生からの意見を積極的に取り込みながら、可能な限り実現していくことも今日的な大学の授業の在り方だという点が担当者の合意点となりました。
ただし、そのためには授業計画を変更しなければなりません。その点もきちんと受講学生には理解してもらうことが重要となります。
幾つかの手続きを経て、第3回目のシンポジウムを実施いたします。
科目担当者コメント
「都市文化論2024」第2回シンポジウムを終えて
松本 典昭:都市文化論(ヨーロッパ)担当
プラトンの『饗宴(シュンポシオン)』を見てもわかるように、古代とルネサンスの哲学書のほとんどは対話形式をとっている。一人でうんうん考えるよりも、複数の人が話し合うほうがより遠くまで行けると知っていたのだ。対話者はなるべく離れた意見、あるいは反対の意見をもっている方が生産的である。
さまざまな意見の化学反応の過程をへて、より高次の真理に到達しうると彼らは考えていた。「話にならん」と他者を切り捨てがちな昨今、過去の叡智に学ぶことは多そうである。などと考えていると、学生が自分たちももっと質問をしたいと提案してきたのは、喜ばしい希望の光と感じる。
さまざまな意見の化学反応の過程をへて、より高次の真理に到達しうると彼らは考えていた。「話にならん」と他者を切り捨てがちな昨今、過去の叡智に学ぶことは多そうである。などと考えていると、学生が自分たちももっと質問をしたいと提案してきたのは、喜ばしい希望の光と感じる。
陳 力:都市文化論(中国)担当
他者とのコミュニケーションはとても重要だとおもう。特に学問において自分の考え方や好みと違う他者の意見は極めて重要だ。都市論という学問は学際的な学問なので、違う研究分野の研究者の話を傾聴するのは基本的な研究姿勢だとおもう。
学問の鑽研以外に他者の意見を傾聴することは、多様性が謳歌される今の社会では一層不可欠だとおもう。履修者の皆様はこのシンポジウムを通して、このような他者の意見を聞き出してその意見を思考するきっかけになれたらうれしいとおもう。
学問の鑽研以外に他者の意見を傾聴することは、多様性が謳歌される今の社会では一層不可欠だとおもう。履修者の皆様はこのシンポジウムを通して、このような他者の意見を聞き出してその意見を思考するきっかけになれたらうれしいとおもう。
神尾 登喜子:都市文化論(日本)担当
履修学生諸君のコメントや感想を見ていると、想像以上に同じ受講生から刺激を受けていることが分かります。そのいくつかを紹介します。
「『その視点』からの質問は想定外でした。」
「同じシンポジウムを聴きながら、見落としていた疑問に刺激されました。」
「社会人になっても質問できる私自身でありつづけたいと思います。」
「『質問→回答→再質問→自分の見解→さらなる疑問解明』永遠に続くこのスパイラルこそが、学びに刺激を与えることを知りました。」
どのレポートを見ても、受講生諸君が自らの中に「学びの種」を蒔いている言葉です。その言葉にもっと強烈な刺激を受けている私がいます。
「『その視点』からの質問は想定外でした。」
「同じシンポジウムを聴きながら、見落としていた疑問に刺激されました。」
「社会人になっても質問できる私自身でありつづけたいと思います。」
「『質問→回答→再質問→自分の見解→さらなる疑問解明』永遠に続くこのスパイラルこそが、学びに刺激を与えることを知りました。」
どのレポートを見ても、受講生諸君が自らの中に「学びの種」を蒔いている言葉です。その言葉にもっと強烈な刺激を受けている私がいます。
「都市文化論」第2回シンポジウム・学生コメント
浦田 茉依
大学生活の中で「シンポジウム」を経験する機会は少なく、貴重な体験ができてためになった。また、一回目のシンポジウムでの課題に「受講生からの質問」があり、それをふまえて二回目のシンポジウムで先生方が回答して下さるという方式によって、より深く知ることができた。同じ質問でも先生それぞれの回答があって聞いていて面白かった。私は奈良県出身ですが、神尾先生が言っていた牛乳を固めた「蘇」という伝統的なお菓子について聞いたことも見たこともなかったので、今度見かけたら買って食べてみようと思った。
梶並 笑顔
第2回のシンポジウムでは、「質問を考える難しさと質問することの重要性」について考えることができました。
自分は、前回のシンポジウムで質問欄に何も書きませんでした。けれども、質問をしないというのは、相手に興味が無いと示してしまっていることにもなりうるし、逆に質問をすることで相手に興味を持っているということを示すことにもなります。また、質問することで、物事に対する新しい視点が増え、自分自身の価値観や世界観なども広がります。さらに、「質問を考える=問題点を発見する」ことにもなり、問題を発見する能力を身につける為にもどのような科目であっても「質問」という課題から逃げないようにしていきます。なによりも、他の受講生の質問のお陰で、都市文化論においての視野が広がりました。
自分は、前回のシンポジウムで質問欄に何も書きませんでした。けれども、質問をしないというのは、相手に興味が無いと示してしまっていることにもなりうるし、逆に質問をすることで相手に興味を持っているということを示すことにもなります。また、質問することで、物事に対する新しい視点が増え、自分自身の価値観や世界観なども広がります。さらに、「質問を考える=問題点を発見する」ことにもなり、問題を発見する能力を身につける為にもどのような科目であっても「質問」という課題から逃げないようにしていきます。なによりも、他の受講生の質問のお陰で、都市文化論においての視野が広がりました。
村田 清春
授業を受ける上で話を「聞く」のではなく、『「訊く」「聴く」』ことが重要であると再認識した。それは耳に入った情報をメモに書き留め、既に会得している知識との類似点・相違点を明確化し、疑問点を師に質問する行為である。これは社会人になったとき、必須とされるスキルだろう。上司から伝えられた職務命令及び指南を遂行する際、ただ話を聞くだけではいけない。聞いた話を精査してやるべき業務に適切な順序付けを行い、「自分が行った仕事の先のゴール」を想像し、相手の意図を汲むこと。これが「社会人」があるべき姿と言える。
また、現在執筆をしている卒業論文が今後、社会人になったときに思考方法の源泉になると理解した。大学を卒業したら卒業論文は終わりではなく、執筆した内容が時を経て、どのような変遷を辿るのかを考えたり、仕事において卒業論文で培った知識・論理的思考術が活きて来たりする場面があると分かった。それ故に、中途半端に取り組むよりも真摯に打ち込み、実りのあるものにしたいとより強く決心させるきっかけになった。
また、現在執筆をしている卒業論文が今後、社会人になったときに思考方法の源泉になると理解した。大学を卒業したら卒業論文は終わりではなく、執筆した内容が時を経て、どのような変遷を辿るのかを考えたり、仕事において卒業論文で培った知識・論理的思考術が活きて来たりする場面があると分かった。それ故に、中途半端に取り組むよりも真摯に打ち込み、実りのあるものにしたいとより強く決心させるきっかけになった。
大谷 雄真
真の学びとは、与えられた情報を受動的に受け取ることではなく、対話を通じて能動的に知を紡ぎ出すプロセスなのだという結論に至りました。特に、質疑応答は、その触媒となる重要な場であり、知的成長の原動力となり得ることを体感しました。
寺本 大輝
質疑応答では、過去の文化的背景が現在や未来にどのように活かせるかという視点も議論されていました。これにより、歴史的知識を単なる過去の事実として捉えるのではなく、現代の都市計画や文化政策に応用する可能性を探ることの意義を認識しました。次に、各都市の歴史や文化に関連する質問から、異なる地域や時代の文化を比較する視点が強調されていました。議論を通して、単なる事実の交換に終わらない対話的な姿勢を意識していくことが重要であると感じました。
植田 凜
本日のシンポジウムでは、先生がたの経験を通して何歳になっても挑戦を続けることができると実感し、疑問を持ち続けることが重要であると再認識した。先生がたが何十回もシンポジウムに参加し、毎回新たな発見を得ていることから、学びは一度で完結するものではなく長期的なプロセスであることが分かる。疑問を持ち続け、それに時間をかけて取り組んでいくことが、人生を豊かにする学びとなる。質疑応答を通して、参加者同士で考えを深め合い、新たな視点や理解が得られることが分かった。今後どんな課題にも疑問を持ち、それを深めていく姿勢を大切にしたい。
樋口 望音
他人の発表を聞いた後何か質問したいことがあっても「そこまで調べていなかったら申し訳ない」と考え、つい簡単な質問をしてしまいがちだが、シンポジウムで先生がたがお互いに質問を繰り返し、試行錯誤をしながら結論に近づいていく姿勢をみて、質疑応答とはお互いの思考を広げるものであると感じた。自信を持って自分の考えを発言し、考えを共有することで新しいアイデアが出ることは、互いにとって貴重な体験になるはずだ。ちょうどゼミの発表で質疑応答の機会があるので、疑問に感じたことを勇気を持って質問してみようと思う。
チュンミン ニャト
今回の授業で印象深かったのは、先生が仰っていた「知る人生を楽しむ」という事である。私はこの言葉に知るという事の意義と価値を感じると共に、人は知る事ができる生き物であると改めて理解できた。さらに「失敗を恐れない」という言葉を聞いて、かつての偉人であるアルバート・アインシュタインのこんな言葉を思い出した。「一度も失敗をしたことがない人は、何も新しいことに挑戦したことがない人である。」つまり、大いなる成功を遂げた人は誰もが失敗の経験が1回以上あり、その上で何度も挑戦をする人であると。
泉 柚那
今回の授業は、前回のシンポジウムの質問の回答をみんなで見ていった。先生たちが回答をすることで、前回、習ったことを発展させて理解できたのが良かった。また、先生たちが卒論を一生ものにしている姿を見て、卒論は単に卒業するためのものではなく、生涯にわたって研究していくものなのだなと感じた。今後、教育実習に行った時に自分の意見を述べるだけでなく、生徒の意見を聞くことで自分自身の新しい発見に繋げると同時に、生徒自身も意見を聞くことで学びの理解を深めるよう授業づくりに活用していきたい。質疑応答で様々な人の話を聞くことで自分とは違う意見を知り、そして人々は自分と同じ意見ではなく、異なる意見を持っているのだなと理解することができる。多くの人が相手の意見を積極的に聞くことで、多様な世界が見えてくるはずだ。
松並 千尋
最初シンポジウムとはなにか、頭の中では難しいものだと考えていたが、大学での学び方、学ぶ姿勢など基本的なことも今回知ることが出来て、とても身に付くものだったと感じた。
先生方は15年間シンポジウムをしていても、まだ様々なことに学びがあるとおっしゃっていたことはとても興味深いものだった。
質問をするということはとても大事だということを再確認することが出来た。私自身小学生から現在まで、質問というものは少し恥ずかしいものであり、人前で聞くなどということは少し難易度の高い行為であった。だが、疑問を持つということは良いことだということを今回理解することが出来た。また、松本先生の「学びすぎることはない」という言葉はとても深いものだと感じた。学びすぎることはないというのは、学んでも学んでも、まだまだたくさんのことを学ぶことが出来る。またそれを楽しむことが出来るということからとても深い言葉であると感じた。
私は大学3年生後期から、長年の夢だったアメリカへ留学をした。陳先生、松本先生のお話を聞き、自分のしたことは間違いではなかったのだと考えることが出来た。自分がしたかったことを出来たことに感謝し、誇りをもっていこうと感じた。
卒論がこれから先の原点であるとおっしゃっていましたが、私は来年から卒論を書くことが始まるため、そこを頭に入れて内容選択をしたいと感じた。
先生方は15年間シンポジウムをしていても、まだ様々なことに学びがあるとおっしゃっていたことはとても興味深いものだった。
質問をするということはとても大事だということを再確認することが出来た。私自身小学生から現在まで、質問というものは少し恥ずかしいものであり、人前で聞くなどということは少し難易度の高い行為であった。だが、疑問を持つということは良いことだということを今回理解することが出来た。また、松本先生の「学びすぎることはない」という言葉はとても深いものだと感じた。学びすぎることはないというのは、学んでも学んでも、まだまだたくさんのことを学ぶことが出来る。またそれを楽しむことが出来るということからとても深い言葉であると感じた。
私は大学3年生後期から、長年の夢だったアメリカへ留学をした。陳先生、松本先生のお話を聞き、自分のしたことは間違いではなかったのだと考えることが出来た。自分がしたかったことを出来たことに感謝し、誇りをもっていこうと感じた。
卒論がこれから先の原点であるとおっしゃっていましたが、私は来年から卒論を書くことが始まるため、そこを頭に入れて内容選択をしたいと感じた。
杉井 愛里紗
先生方が卒論研究からは変わりはない、原点=原点と聞いて、もうすぐ卒論の時期なのでこの聞いた言葉を大切にして自分がどのようなことをしたいのかと考えつつ今後活かしていければと思いました。
質疑応答は一問一答だと今まで思っていましたが、今回のシンポジウムを通して答えるだけでなくその答えをさらに深めることは大事だなと感じさせられました。深めることによって自分が気にしていなかったことも知れて、さらに疑問まで浮かび上がると思いました。
質疑応答は一問一答だと今まで思っていましたが、今回のシンポジウムを通して答えるだけでなくその答えをさらに深めることは大事だなと感じさせられました。深めることによって自分が気にしていなかったことも知れて、さらに疑問まで浮かび上がると思いました。
Tran My Duyen
まず初めに、前回と同様それぞれの都市文化について講義するのかと思っていましたが、まさか生徒からの質問に対して答えていくスタイルでなかなか面白いなと感じました。教授たちがおっしゃっていたように、「質問とはその分野に興味があるというメッセージであると捉える」という言葉にすごく共感しました。普段から、何に対しても「なんで?」と疑問を抱き、それに対してのエビデンスを探るのが好きだったのですが、最近ではすっかり意識することを衰えていました。問いを踏まえて新しい視点で物事を考えることで新しい知識や何かを身につけることを意識していこうと改めて思います。
今回のシンポジウムで取り上げられた話は、おそらく私たちがネットで調べようとしても出てこないであろう内容ばかりでした。一人の教授がただ講義するのではなく、三方がお互い質問を投げ合っている光景も含めとても楽しく講義を受けることができたなと感じます。楽しい講義をありがとうございました。
今回のシンポジウムで取り上げられた話は、おそらく私たちがネットで調べようとしても出てこないであろう内容ばかりでした。一人の教授がただ講義するのではなく、三方がお互い質問を投げ合っている光景も含めとても楽しく講義を受けることができたなと感じます。楽しい講義をありがとうございました。