国際観光学部の奨励金採択学生による研究活動報告
国際学部 国際観光学科では、2024年度から2年生以上の学生を対象に「国際観光学部奨励金」(2年生以上なので旧学部名となります)の選抜支給を阪南大学後援会の援助で実施しています。初年度である本年は、学生の研究活動を奨励するもの(研究活動奨励部門)と広報活動を奨励するもの(広報活動奨励部門)に分けて募集を行いました。その結果、研究活動奨励部門では7名、広報活動奨励部門では3名の学生が採択されました。ここでは、研究活動奨励部門で採択された7名の学生が、それぞれ夏期休暇中に行った研究調査活動の中間報告をします。同7名は、今後、11月中に中間発表会、1月末から2月初旬に最終報告会を開催予定です。また、3年生以上の希望者は、本学の学生懸賞論文に応募することを予定しています。
国際観光学部2年生
鞆の浦の魅力を知る
国際観光学部2年生 數野 伊織
私は、広島県福山市にある鞆の浦の魅力をどのように発信するかについて研究しています。そのため、夏休みに鞆の浦で現地調査を行いました。私が、広島県福山市にある鞆の浦を調査しようと考えた理由は、高校3年生の時の文化祭の一環で行った企業体験にあります。地元の観光スポットである「鞆の浦」を文化祭でPRしてみようと動き出しましたが、成功はしたものの、金銭面や計画性で課題が残りました。自分の中では、すべてが中途半端に終わってしまい、いつか再挑戦したいと考えたからです。
私の地元である広島県福山市は、東を岡山県と接し、南を瀬戸内海と接しており、中四国地方の中では5番目の規模の都市圏を誇っています。福山市の海沿いには、古代から「潮待ちの港」として栄えていた鞆の浦があります。鞆の浦は、古代・平安時代から近世・江戸時代末期まで、海の交通の要所として栄えていた歴史もありますが、日本の歴史にも深くかかわっている場所でもあります。そこで、私は歴史的に価値のある鞆の浦のことを知らない人びとに鞆の浦の魅力をどのように伝えればよいか調査することにしました。
現地調査では、鞆の浦を案内されているガイドの方や地元住民に、鞆の浦の魅力を尋ねました。住民の中には、鞆の浦のことをもっと知って欲しいと言う方もいれば、京都のようなオーバーツーリズムは起こって欲しくないと言う方もおられました。
また、2009年に「鞆の浦埋め立て架橋計画問題」にかかわった方に話をうかがうことができました。「鞆の浦埋め立て架橋計画」は、鞆の浦の道路の大部分が江戸時代からほとんど変わっていないため、道幅が狭くなっており、自動車の円滑な通行に支障をきたす箇所が多く存在をしています。そのため、当時の広島県と福山市が県道バイパスの建設を計画しました。この建設計画は、港の両岸を埋め立て、橋梁によって結ぶため、沿岸の景観を破壊する可能性があり、地元住民が反対した問題になります。その方がおっしゃるには、「鞆の浦に住んでいる人の中には、観光客が訪れるための工事やホテルの誘致を良いと思っていない」と、現在進められているリゾートホテルの誘致計画にも反対の意見でした。
今回の調査を通して、鞆の浦の魅力を知らない人びとに伝える前に、自分自身が鞆の浦の魅力を知らないのではないかと考えるようになりました。そのため、冬休みにもう一度調査を行い、鞆の浦の魅力を改めて知ることから始めようと考えています。
沖縄の伝統工芸 “琉球ガラス体験” を通して
国際観光学部2年生 池田 真登香
私は、2024年の後期から沖縄の名桜大学に半年間国内留学しています。そこで大学内の学生生活だけでなく、大学外の地域や観光について知りたいと思い、沖縄県北部の名護市周辺の観光資源調査をすることになりました。この研究では国立公園に指定されている「ヤンバルの森」や北部周辺の島、地場産業などについて5回に分けて調査する予定です。
第一回の調査は、名護市にある琉球ガラス工房「森のガラス館」に行きました。この工房では人気のあるオリジナルグラス作りの他にアクセサリー体験、フォトフレーム体験、ジェルキャンドル体験などがあります。
1940年頃、ガラスは本土からの輸入で成り立っていました。しかし、運ぶ途中で割れることも多々あったそうです。そこで、沖縄にガラスの工場が作られましたが、戦争の影響により多くの工場はなくなってしまいました。しかし、敗戦後、駐留米軍兵士たちが飲んでいたコーラやビールの廃瓶からガラス製品を作ることができるのではないかと考えたところから琉球ガラスは始まりました。
琉球ガラスの体験では、ガラスに息を吹き込んだり、形を作ったりして世界に一つだけのオリジナルグラスを作ることができます。実際に行ってみると、国内外問わず観光客が多いことが分かりました。店内では、カラフルで素敵な作品の展示を楽しむことができます。
次に、実際に私が体験した様子を紹介します。最初に職人さんが熱したガラスに息を吹き込みます。軽く息を吹き込むとガラスが膨らみます。次に新しい持ち手のポンテ竿とガラスを接合して、それまでつけていた吹き竿を外します。
その後、一度窯の中に入れて再加熱した後、飲み口を整形しました。左手で棒を回しながら大きめのピンセットを閉じた状態で中に入れ少しずつ広げていきます。もう一度加熱し、オプションで飲み口をハートにして製作体験は終わりです。そこから冷まして数日後に受け取ることができました。色も形も可愛いのでとてもお気に入りのグラスになりました。
今回の調査では、沖縄で長い間大切にされてきた伝統工芸の歴史を知ることができました。また、琉球ガラスは地元の人にとどまらず、海外から来た観光客にも親しまれていることが分かりました。
文化財保存における「ユニークベニュー」の重要性
国際観光学部2年生 廣瀬 彩
私は、史跡などの文化財保存における「ユニークベニュー」について研究しています。「ユニークベニュー」とは、遺跡などの文化財や博物館、美術館などの場所で、本来の目的とは違った使い方でコンサートや祭りを開催したり、カフェや雑貨屋を行ったりする取り組みのことをいいます。このように活用方法を広げることは、近年、文化財や博物館、美術館などの魅力をより多くの人に知ってもらうきっかけになっています。取り組みを行ったことで、どのような効果や変化が起こっているのか興味を持ち、「ユニークベニュー」の実態について調査したいと思いました。
9月10日から9月12日まで2泊3日で、岩手県盛岡市にある史跡志波城において「ユニークベニュー」の現地調査を行いました。調査準備の事前学習では、志波城の歴史や「志波城まつり」について図書館やホームページで調べ、歴史文化遺産における「ユニークベニュー」についての質問項目を整理しました。 現地調査では、盛岡市教育委員会、遺跡学びの館の学芸員の今野公顕さんに「ユニークベニュー」に関するインタビューを行い、志波城跡・志波城古代公園を歩きながら当時の状況などを説明していただきました。「ユニークベニュー」の取り組みの必要性や「ユニークベニュー」を行うにあたっての地方と都心での考え方の違いを学び、遺跡などの文化財や博物館、美術館等を活用することの意味について考えました。
まず、志波城古代公園案内所で志波城の歴史について今野さんに伺うことから始めました。志波城が誕生した経緯、その前後の政府軍と統治が進んでいなかった東北の人々「蝦夷」との関係、胆沢城や徳丹城のこと、政府軍は役所として城柵を築いたことなど、多くのことを教えていただきました。国指定史跡・志波城は、貴重で価値のあるものだと改めて認識するとともに史跡を残すために保存をするだけでは近隣住民に史跡の重要性が伝わらないことも理解できました。
次に、志波城・志波城古代公園を歩き、外郭南門や政庁にのびる南大路、復元された竪穴住居など、史跡内を歩き、調査しました。その際、ライトやホースなどの設備も確認しましたが、これらは植物の中であまり目につかないように隠れた形で設置されていました。小さなことですが、このことは歴史的景観への配慮に基づくということが分かり、あらためて史跡への配慮の大きさを知ることができました。また、史跡内を歩きながら、志波城跡が国の重要な史跡であることを理解した地域住民の方々が志波城跡を盛り上げる取り組みを提案し、活用をしてくれていると聞きました。今野さんによると、公園内の草刈りや草花の管理は地域住民が主体的に行っているそうです。南大路では、地元の吹奏楽部の演奏や小さい子ども達による出し物、蝦夷にちなんだアイヌ民謡や反対の位置にある沖縄の那覇のうた、雅楽の演奏などのステージ発表などを行っています。ご当地キャラブームの際には、志波城古代公園・志波城跡のキャラクターの「しわまろくん」の友達のくまモンたちを呼んで、子どもたちが楽しめるようなブースを作ったそうです。
案内所に戻って、さらに今野さんにお話を伺いました。「ユニークベニューを実施したきっかけ」は、存在そのものの周知普及、地域住民や地域の子どもたちの史跡での経験、史跡への住民の参画機会の創造のため、ということでした。それに伴い、志波城まつりの企画内容について地域住民主体の手作りのイベントで、志波城ならではの地域性と歴史性を活かした企画を心掛けているそうです。老若男女がここでしか味わえない楽しいひとときを過ごすことを中心にイベント企画を考えたと話してくださいました。さらに、「志波城まつりの開催で得られた効果」や「開催してよかったと思う出来事」について伺うと、地域住民が主体の手作りのイベントとして開催してきたことで地域住民の意識の変化が見られたことを挙げられました。今野さんによると、初めは地元主催の催事スタッフとして意識が低い人がいたそうですが、志波城まつりを継続したことで意識の変化が見られ、自発的な動きが見られたそうです。地域の人たちで史跡を保存活用していく中で、主体的に取り組むことは、史跡の魅力を周りの人たちに伝えていくことにつながり、非常に良い効果のある「ユニークベニュー」になると感じました。
最後に、都心から離れた志波城跡と都心にある盛岡城跡公園の「ユニークベニュー」の取り組み方の違いについて比較しました。先程、「活用する場所と空間」の位置によって企画立案やターゲットが変化していくと述べましたが、志波城と比較して都心部にある盛岡城跡公園は、どのような「ユニークベニュー」の取り組みをしているのか調査しました。盛岡城跡公園は、盛岡駅からバスで10分、徒歩で15分と訪れやすい立地です。この立地条件では、駅から遠い位置に所在する志波城に比して、盛岡市観光などで市外から訪れる人が多いため、地域住民が主体で開催するイベントではなく、企業や行政が協力する形で音楽フェスや食のイベントなどを行い場所や空間を活用して多くの人に盛岡城を知ってもらう機会を作っているということです。
「ユニークベニュー」は、文化財保護側が史跡の歴史的価値を活用して歴史に無関心な人に知ってもらうためだけの取り組みではなく、文化財保護側ではない企業や行政の他部局が、史跡における空間としての場所を活用することである点が、本来の「ユニークベニュー」の目的だと話されました。つまり、その文化財についての歴史を知り、学ぶ機会を用意するだけではなく、空間としての史跡を主軸にしてイベントを作り出し、歴史を知らない人でも会場としての史跡の魅力や雰囲気を感じてもらい、地域の方の温かさも知ることができる取り組みだと思いました。「ユニークベニュー」で歴史や文化財に興味のない人にでも、それらを知ってもらうことができ、地域住民を主体にした保存に繋がる、より有効な活用手段であることがわかりました。
国際観光学部3年生
日本とベトナムの都市
国際観光学部3年生 浅野 春翔
私は、日本の地域や文化について広く学ぶ必要がある学問の観光学を学ぶ中で、都市の理解のされ方、とりわけ、大阪と東京の理解のされ方について興味・関心を抱きました。例えば、大阪は人情味があり、世話好きであたたかい方が多く住む都市で、東京はオシャレな人が多いが、少し冷たい感じがするなど、何となく理解されている特性があります。私自身、大阪に21年間住んでいて、大阪の人のあたたかさというものを身をもって感じています。また、よくTVなどで耳にする、「東京の人は冷たい」(もちろん、本当に冷たい訳ではないですが)ということに関しても、東京を訪れた時に何となく感じたことがあります。両都市は、大阪の方が・・・、東京の方が・・・など、何かと比較されがちです。
このようなことが、日本に特有なことなのか、海外の都市では確認できないのか、また、観光という観点から、都市のイメージに違いがあり、それに対する好みがあるのかを確かめてみたいと思い、ベトナムの都市であるホーチミンとハノイで調査を実施しました。なぜベトナムを調査地にしたのかというと、今回私と同行してくれた友人が去年の夏季休暇中にインターンシップとして一ヶ月間ベトナムで過ごしていました。その際に訪れた観光地などで観光客が多く集まる場所を教えてもらうことができ、さらに現地(ベトナム)の友人に話を聞くアポイントメントも取ってもらえるなど調査を円滑に進めるための環境が整っていたからです。調査は、8月23日から8月30日までの約1週間、前半の5日間はホーチミン、後半の3日間はハノイで実施しました。
調査は、事前に Google Forms で用意しておいたアンケートフォームのQRを、声をかけて了承を得た観光客の方々にお願いするという形式で実施しました。アンケート回答数の目標を50件とし約 100人程度の観光客に協力を促しました。その結果、無事に50件という目標を達成することが出来ました。なお、アンケート調査を行った場所は、ホーチミン(サイゴンポストオフィス、ベトナム戦争博物館、高島屋、統一会堂)とハノイ(ドンスアン市場、トレインストリート、ハノイ大聖堂、ハロン湾)です。
アンケートの項目は、①どこの国から来たか、②なぜベトナムに来たのか、③どこを訪れたのか(ホーチミンかハノイあるいは両方)、④どのような観光をしたのか、⑤訪れた中で一番良かった観光スポットはどこか、⑥日本に来たことがあるか(東京か大阪。それ以外)、⑦観光地としてどちらが好きか、⑧ホーチミン or ハノイに来た理由、またその決め手は何か、⑨どちらの方が好きか、という9つの項目です。今後、調査データを整理分析し、分かったことを発表したいと考えています。
今回の調査でアンケートの協力をお願いする際に、自分の名前、どこから来たのか、どこの大学なのか、どういった目的の調査なのか、という詳細を事細かく伝えることが大切だと感じました。ベトナムではタクシーやカフェ、色々な商売人が歩行者に声をかけ、集客することが主流なので、声をかける際、最初は何か買わされるのではないかと疑われることが多いため、説明することが重要だと気づきました。さらに、ホーチミンとハノイでは、ホーチミンの方が人との関係があたたかく大阪を思い出すような雰囲気でした。実際に、日本に留学経験があるベトナム人の友人に話を聞いたところ、大阪を訪れた際にホーチミンに近いと感じ、逆に、東京はハノイと近いと話してくれました。
私は、この調査により、調査を有益なものするための準備や下調べの大切さ、言語の壁や文化の違いで起こる現地での活動の大変さなどを知ることが出来ました。また、様々な国籍の方たちとコミュニケーションをはかり、目標回答数であった50件を達成することは出来ましたが、調査協力をお願いした半数ほどの人には信用されず、「怖い」「信用できない」などの声が聞こえてきました。海外で調査をする、理解してもらう難しさなどを知ることができ、相手に理解してもらえるように伝えることがいかに重要であるかがわかりました。
最後に、この調査を通して、あらためて自らの足で観光地を訪れ、その地域の文化に触れる大切さを学びました。この経験を糧にして、色々な国や地域に足を運び、何事にも挑戦していきたいと考えています。
業績を向上し続ける米マクドナルドの経営戦略
国際観光学部3年生 佐古 奈月
私は、アメリカのマクドナルドの業績回復のための経営戦略とインフレ真只中のアメリカで人々のマクドナルドに対する価値観の変化について研究を行っています。夏休みには、このテーマを調査するためにアメリカに行きました。
米マクドナルドは、2014 年から15年に起きた異物混入問題で商品の品質に対する信頼が失われて、業績が大幅に悪化したことや、2019年にはコロナの影響を受けて赤字になり大きいダメージを受けたものの、短い期間で業績を回復させていることがわかっています。また、コロナ時では回復するだけでなく、さらに成長を遂げました。なぜ、米マクドナルドの業績回復がこんなにも早いのか疑問に思い、どのような戦略が行われて、さらなる成長を遂げていったのか研究してみたいと思いました。
また、2024年に入り、長引くインフレの影響が表れコロナ期ぶりに売り上げが減少していることがわかっていて、2024 年は米国や他の主要市場で景気減速の深刻化が拡大して、食料品価格がレストランでの食事よりも安くなり、多くの人々が自宅で食事することを優先しているという情報をネットで知りました。そこで、私は、アメリカ人にとって、ファーストフードの価値が変わり始めているのではないかと考えました。
これらを明らかにするため、アメリカのマクドナルドではどのような経営をしているのかを実際に足を運んで観察し、マクドナルドに食事をしにきた人々に聞き取り調査を行いました。景気が良い時に比べて、ファーストフードを食べる頻度やマクドナルド(ファーストフード)に対しての価値観の変化について、実際にアメリカ人にインタビューをしました。
私は、9月11日から17日の約1週間、アメリカのロサンゼルスを訪れて調査を行いました。ロサンゼルス郊外のマクドナルド数店舗に行き、食事に訪れた方々に声をかけて、事前に用意したアンケート用紙に回答してもらいました。外国でインタビューをするのは初めての経験でとても緊張してしまい、最初の方はなかなか声をかけることができず戸惑っていました。しかし、勇気を出して1人目の方に声をかけた時に、私のままならない英語にもかかわらず、笑顔で優しくフレンドリーに対応してくれたので、そこから少し自信がつき、徐々に積極的に声をかけられるようになりました。中には、私がマクドナルドの店内でインタビューしているのを見て、現地の人の方から声をかけて頂いたりもして、日本人との違いを感じました。
私は外国人に対して、強くて怖い印象を持っていましたが、初めて海外でインタビューをしてみて、印象が180度変わりました。断られることも多いだろうと覚悟していましたが、声をかけた人のほとんどが嫌な顔をせずにアンケートに答えてくれて、現地の人々の温もりを肌で感じることができ、とても良い経験になりました。
今回、国際観光学部の研究活動奨励部門奨励金によって、米マクドナルドの業績と経営戦略についての調査のためにアメリカを訪れることができました。実際にアメリカに行って調査をしたことで、調査研究においてその結果を明らかにするためには、ネットや本の情報だけでなく、現地の意見も大切あり、実際に自分の足で調査に行くことの重要性を知ることができました。
国際観光学部4年生
鴻之舞金山を訪れて感じたヘリテージツーリズムのこれから
国際観光学部4年生 廣内 晴翔
私は現在、ヘリテージツーリズムを通して産業遺産の保存・活用の可能性について研究しています。2024年9月12日、ヘリテージツーリズムの現状、そして産業遺産の現状について知るため、北海道紋別市にある鴻之舞金山を訪れました。ヘリテージツーリズムとは産業遺産に訪れ、地域住民や元従業員などのインタープリターを通じて産業技術や文化があったことを学ぶツアーのことを指します。これまでにも大学生活の中でヘリテージツーリズムに参加したことがありましたが、今回訪れた鴻之舞金山は少し違うように感じました。
鴻之舞金山は金鉱山として1916年に操業を開始し、坑口を中心に住宅や映画館、学校などが集まる街が形成されていました。しかし、戦後から金の採取量が減少し、1973年に閉山、現在は金鉱関連の施設が残っていることを事前調査で知りました。
紋別市内から国道305号を40分ほど走ると、鴻之舞金山の街の中心であった鴻恩寺跡地があり、慰霊碑が建てられていました。慰霊碑には金山操業時のかつての街の地図が書かれ、周辺にはトロッコの橋桁が残っています。金山の関連施設を探すため、街の地図を見ながら散策しました。しかし、鉱山住宅や鉱山施設があった場所には住宅の基礎やコンクリートの残骸が残っているだけでした。また、慰霊碑の近くには発電所跡が残っていると記載されていましたが、発電所跡に続く道は閉ざされ、見学できませんでした。残っているものは少なかったですが、地図に書かれていた小学校や住宅、鉱山施設の跡地には看板が立てられ、道路からその場所がどのような用途で使われていたのか知ることができました。
鴻之舞鉱山の街の入り口には上藻別駅逓所の跡があり、現在は鴻之舞金山の資料館として使用されていました。駅逓とは江戸時代から明治時代にかけて建てられ、運輸と宿泊を一体化し、郵便局を兼ねていた建物のことです。旧上藻別駅逓所は1926年に開設し、北海道に残る駅逓所の中で唯一、当時の駅逓様式を残す貴重な資料として、登録有形文化財に指定されている建物です。訪れた際、この駅逓所内には2名のインタープリターがおられ、資料館内や当時の鴻之舞金山について解説していただきました。資料館内の展示物は、鴻之舞金山に住まわれていた人から寄贈された物が多く、当時の生活を知ることができます。また、資料館内は駅逓が宿泊所として利用されていた状態を残し、駅逓時代の資料も多く展示していました。鴻之舞金山が操業していた当時をご存じのガイドの方からの解説は、自身の経験や今に至るまでの街の変化など、その方にしかできないようなものが多く、鴻之舞金山についてより詳しく知ることができました。
現在、旧上藻別駅逓所の解説や維持は鴻之舞金山出身の方や有志によって行われ、駅逓所周辺の金鉱山跡地の管理や調査なども行われています。維持や管理の話の中で、コロナ禍以前は鴻之舞金山跡地に唯一残る遺構の発電所跡と大煙突に訪れることができていたが、老朽化により立ち入りを制限され、2024年6月に大煙突は撤去されたそうです。これまでに訪れた産業遺構では、時代を表すような遺構が残っていることが多かったのですが、鴻之舞金山はそのような遺構が残っていない産業遺構であり、その地域の歴史と技術を伝えるインタープリターの存在がとても大事であると感じました。現在はインタープリターの高齢化や後継者の育成が問題になっています。この問題の新たな解決策を考えなければならないと改めて思いました。
観光客の伝統的景観に対する意識の変化について
国際観光学部4年生 原 菜摘
私は、「訪問税の導入が竹富島のオーバーツーリズムの問題の解消にどのような効果をもたらすのか」を研究テーマとしています。この研究の一環として、2024年9月1日に竹富島(沖縄県)を訪れ、現地調査を行いました。なお、訪問税とは、観光施設などの入場料金に上乗せ課税し、その税収を文化財や歴史的景観の保全、観光インフラなどに充てる法定外税のことです。今後、我が国では著しい人口減少が想定されています。人口の少ない観光地の財政負担を補うためには、このしくみは不可欠ではないかという思いから、このテーマを選択しました。
そのため、竹富島のオーバーツーリズムの実態を把握することを目的に調査を実施しました。まずは、竹富島が選定されている「伝統的建造物群保存地区」の詳細や竹富島の伝統的な家屋の特徴について確認することからはじめました。竹富島の伝統的な集落には、白砂の道とグック(石積)、屋敷林に囲まれた屋敷に分棟形式の赤瓦屋根の民家が立ち並んでいるという特徴があり、特に島の中心部にある東、西、中筋の3集落は昔の農村集落の景観をとどめていることが認められました。
次に、オーバーツーリズムの実態を把握するための調査として「観光客が出すごみの増加と処理の問題」が取り上げられていたオーバーツーリズムに関する先行研究の着眼点を参考に、不法投棄のごみの有無と交通や観光施設の混雑状況を調査することにしました。調査①では、東集落を中心に集落内を走る白砂の道や浜辺にごみの不法投棄が行われていないか確認しました。調査②では、フェリーターミナルや観光センターなどの施設の混雑状況を10時と16時の1日に2回、観察しました。
調査①の結果は、まちの中を歩きながらポイ捨てされているごみがあるか確認しましたが、ごみが散乱している様子は見られませんでした。調査②の結果は、フェリーターミナルではオンシーズンだったこともあり、乗船下船の際には多少混雑はありましたが、人の流れは比較的スムーズでした。しかし、レンタサイクルが集落内の道の真ん中に一時的に放置されていたり、立ち入りが禁止されている場所に入ろうとしていたりとマナー違反を犯している観光客も目にしました。
一方、ごみの不法投棄や目立った混雑は、ほとんど確認できませんでしたが、このことは、伝統的景観を守るための島民の協力とその意識が観光客にも浸透しているからではないかと考えました。しかし、景観を守る意識が高まっている一方で、マナー違反など他の問題も発生しているため、マナー違反に対する対策も必要ではないかと考えました。さらに「伝統的建造物群保存地区」に選定されたことで、地域住民の生活にどういった変化があったのか、また、訪問税の導入に対して地域住民はどう思っているのかなど、地域住民へのインタビューを実施するべきだったのではないかとの反省点も見つけました。
今後は訪問税をすでに導入している宮島(広島県廿日市)の事例をもとに、その概要や導入によるメリット・デメリットについて詳しく調べたいと考えています。そしてこれらの調査をもとに、「訪問税」の導入が地域経済に与える影響や住民の生活満足度の向上にどう貢献するかを考察していきたいと考えています。