文:飯銅航太 写真:馬場かれん
 
 今回は、2022年度冬季開催の北京オリンピックにショートトラックスピードスケート日本代表として出場された経営情報学部2回生の宮田将吾(みやた しょうご)さんにインタビューさせていただきました。
  • 写真提供:阪南大学総務企画課(宮田選手は51番)

ショートトラックを始めたきっかけは従弟からの誘い

——:ショートトラックスピードスケートはスピードスケートとどう違うのですか?
宮田:大きな違いとしてリンクの大きさがあります。ショートトラックでは一周111.12メートル、フィギュアスケートやアイスホッケーのリンクとだいたい同じ大きさなのですが、スピードスケートになるとそれよりも大きな一周400メートルのリンクが必要になってきます。
——:ショートトラックとはどのような競技なのですか?
宮田:ショートトラックは4~8名の着順によって結果が決まり、予選・準々決勝・準決勝・決勝と勝ち抜いていくトーナメント方式の競技です。
——:同じ競技に見えてかなり違う競技なのですね。
宮田:はい。道具なども変わってくるので、自分たちのようなショートトラックの選手でも急にスピードスケートは出来ないですね。
——:ショートトラックの魅力とは何ですか?
宮田:0.01秒という僅かな時間差を争う競技ですが、人数が多いこととレーンが分かれていないため転倒や接触などのハプニングがあるので、ゴール寸前まで逆転が可能だという部分がショートトラックという競技の魅力であり、一番面白い部分ですかね。結構危ない競技でもあります。
——:宮田選手のショートトラックとの出会いはいつ頃で、きっかけは何でしたか?
宮田:6歳の時に門真市にある「なみはやドーム」、現在の「RACTABドーム」で行われていたスケートの体験教室に従弟に誘われて参加したことがきっかけです。
——:6歳の頃からはすごいですね。その時からスケート選手を目指そうと思ったのですか?
宮田:いや、その時はコーチに怒られたくない一心でやってました。(笑)
ただ、子供の頃に周りで滑っていた阪南大学のOBの人たちの姿を見て、幼いながらに憧れをもってそれを目指していたのかなとは思います。
——:宮田さんがショートトラックの選手を目指そうと思い始めたのはいつですか?
宮田:小学校低学年の時から周りに日本代表の選手がいたこともあり、いつかオリンピックに出たいなと思っていました。
——:オリンピックを目指すようになったきっかけは何ですか?
宮田:高校一年生の時に出場した世界ジュニアという大会で、日本代表に選出されたことです。世界レベルの選手と滑ったりすることが楽しく、もっと上のレベルの環境で滑りたいと思ったことで、次の北京オリンピックの出場を目指すようになりました。

阪南大学スピードスケート部OBの姿を見て入学を決意

——:宮田選手が阪南大学に入学した理由は何ですか?
宮田:まず練習環境が整っていることです。阪南大学専用のリンクはないのですが、関西には多くのリンクがあり、色々なリンクで練習することが出来ています。
あと小学生の頃から阪南大学の杉尾憲一監督にショートトラックを教わっており、阪南大学のスピードスケート部OBの人たちとも長い間一緒に練習してきたこともあって、阪南大学への入学を決意しました。
——:大学の授業で役立っている科目は何ですか?
宮田:キャリアデザインの授業です。今まで将来について考えることが無く、なんとなくスケートを続けて行けばいいと思っていたのですが、自己分析や将来を考え抜いた末、改めてスケートを続けるはっきりとした目的に気づきました。
——:普段の練習ではどのような事をされていますか?
宮田:主にウエイトトレーニング、リンクを使える時は氷上練習、使えない場合は陸上でスケートの動きを練習したりしています。大学の体育館や人工芝の上でもトレーニングしています。
——:宮田選手が日常生活の中で気を付けていることはありますか?
宮田:食事管理ですかね。体重が重ければ思うように体を動かすことが出来ないため、できるだけ脂質を抑えた食事をするなど、競技をする上で万全な状態に持っていけるよう努力しています。
——:宮田選手の憧れの選手は誰ですか?
宮田西谷岳文選手です。
冬季オリンピックにおける史上最年少金メダリストであり、阪南大学の先輩でもあります。
西谷選手は、19歳という自分と同じ年齢でありながらも、オリンピックの舞台で金メダルを獲得されています。自分自身もオリンピックの舞台に立ったからこそ、それがどれだけ難しいことか実感しました。
西谷選手は私の目標というか憧れの存在です。

オリンピック出場までの道のり

——:小学生の時からショートトラックをされていると伺いましたが、その中で辛かったことは何ですか?
宮田:やっぱり中学生の時の勝てない時期ですかね。中学生というのはちょうどジュニアとシニアの境目で、大人の方とも一緒の試合に出ることが多くなり、勝てない試合が続き、とても辛かったですね。
——:そういった時期にモチベーションを維持するために意識されていたことはありますか?
宮田:できるだけマイナス思考にならないことです。オリンピック出場など大きな目標から直近の目標まで目指すところを見失わずに、ずっと練習し続けることを心がけていました。勝てない時期があったからこそ、自分の中の勝ちたいという意欲も高まりました。その意欲があったからこそ、今の自分があるのだと思います。
——:ショートトラックをされてきたからこそ経験できた嬉しかった出来事は何ですか?
宮田:全日本レベルのレースで初めて一位を取った時は、今でも忘れられないほど嬉しかったですね。次の日もレースを控えていたのですが、嬉しさのあまり夜眠れなくなってしまいました。
——:今までで一番印象深かった試合を教えてください。
宮田:いやー、いっぱいありますね(笑)
一つ挙げるならば、高校一年生の時の世界ジュニア選考会での1500メートルの試合でしょうか。世界ジュニアの代表として選ばれるレースだったこともあり、優勝して日本代表に選出されたときは、中学生の時に勝てていなかったことと初めての日本代表だということの二重の意味で嬉しかったです。
——:オリンピック代表を決めた時のお気持ちを教えてください。
宮田:やっぱり嬉しい気持ちもあったんですけど、すぐにオリンピックで勝つことだけを考えるようになりました。決まってすぐに準備に取り掛かるなど、今思えば切り替えが早かったんじゃないか思います。
——:オリンピック出場に関してプレッシャーなどはありましたか?
宮田:いえ、自分はプレッシャーを感じないタイプだったこともあって、あまり感じてはいなかったですね。どちらかと言えば、もし今回が無理だとしてもまだ挑戦することが出来るといった心持で重く考えすぎず、リラックスした状態でレースに挑んでいこうと考えていました。
——:実際にオリンピックの舞台に立った感想を教えてください。
宮田:小さい頃からの夢だったオリンピックの舞台にやっと立てたなぁといった気持ちと、思いっきり楽しみながらレースに取り組んでいこうという気持ちでいっぱいでした。
——:宮田さんのこれからの目標について教えてください。
宮田:それはもちろん2026年のミラノオリンピックで金メダルを取ることです‼
そのために今の段階から練習を始めています。
——:最後になりますが、今後様々なことに打ち込んでいく学生にメッセージをお願いします。
宮田:自分に自信をもって色々なことにチャレンジしてみてください。
失敗してもいいので、その失敗をしっかりと次に繋げていけるように頑張ってください。

取材を終えて

 まず、オリンピックへのご出場おめでとうございました。宮田選手は2回生ということで私と同じ学年だったにも関わらず、目標をしっかりと見据え、取り組む姿に大変感銘を受けました。2026年のミラノオリンピックでの金メダル獲得とともに、今後の宮田選手のご活躍を心よりお祈り申し上げます。今回はお忙しい中取材を受けていただきありがとうございました。
飯銅航太

 
 この度はお忙しいところ取材に応じてくださりありがとうございました。また北京オリンピックお疲れ様でした。「緊張することは少ない」とおっしゃっていたことが印象的で、その強い気持ちが勝利にもつながっているんだなと感じました。これからのご活躍も期待しています。
馬場かれん

スピードスケート部監督より

 宮田選手が、北京オリンピックの出場権を獲得した時は、非常に大きな喜びを感じました。そのとき、1998年長野オリンピック500mにおいて冬季オリンピック最年少で金メダルを獲得した西谷岳文(当時19歳)と同じ年齢で、オリンピック日本代表となった事が頭に浮かびました。
 宮田選手が北京オリンピックで、金メダルを獲得すれば、本大学卒業生の西谷岳文を10日間超えて宮田選手が冬季オリンピック最年少となるチャンスを獲得した事と、阪南大学2個目の金メダル獲得ということになりますから、気持ちが非常に高まりました。結果はメダル獲得にはなりませんでしたが、私たちに大きな期待を感じさせてくれた事には感謝しています。
 これからの宮田選手は、人格としてもより成長して行ける、逸材の一人だと考えております。運動能力はもちろん、気持ちが人一倍強い選手でもありますので、大学生活でより成長してくれると願っております。宮田選手は、4年後イタリア・ミラノで開催されるオリンピックへ向けて大きく成長した姿で、より期待できる選手となって、次こそ金メダルを獲得してくれる事を信じています。

杉尾憲一

ゼミ指導教員より

 スピードスケート部の顧問も務めている身として、宮田君の成長と活躍には大いに期待しております。昨年度のオリンピック前も、学業を決しておろそかにはせず、可能な限りの尽力を行ってくれました。まだ短い期間の交流ではありますが、しっかりと自己を持ちつつ、周りの人に丁寧に配慮できる面は、人間としても尊敬しております。皆のあこがれるスポーツ選手として、今後さらなる飛躍をされることを心より祈念しております。

竜 浩一
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