文:和泉樹美果 撮影:田原優月葉
 
 今回は、レノファ山口FCに所属している経営情報学部卒業生の奥山洋平選手にインタビューさせていただきました。奥山選手は一般入試で入学して、サッカー部では一番下の「8軍」のチームからスタートしてプロサッカー選手になった方です。

プロ1年目で先発メンバー 移籍後怪我で出場なし

——:サッカーを始めたのはいつ頃ですか?
奥山:8歳の頃です。
——:これまで所属したチームを教えてください。
奥山:旭操少年スポーツチーム、操南中学、西大寺高校、阪南大学、いわてグルージャ盛岡、FC町田ゼルビアです。
——:それぞれのチームでのポジションを教えてください。
奥山:小学生の時はいろいろなポジションをしていましたが、ミッドフィルダーでサイドからの攻撃が多かったです。中学の時はミッドフィルダーの真ん中のポジションでした。高校の時は前線でいろいろなポジションをしていて、サイドの攻撃が多かったです。阪南大時代は右サイドハーフが多かったです。いわてグルージャ盛岡時代はシャドーといってセカンドトップの位置をやっていました。FC町田ゼルビア時代は、フォワード(FW)が多かったです。レノファ山口では、FWをやっています。たまに右サイドハーフをすることもあります。
——:いわてグルージャ盛岡時代、途中出場が続いていましたが、シーズン終盤になると先発出場が増えました。新人が1年目から先発メンバーに定着した要因や努力について教えてください。
奥山:途中交代の時に、結果にこだわって自分が出るとチームにどう貢献できるか考えて行動したことだと思います。
——:プロになって初めてゴールを決めたときの状況や気持ちを教えてください。
奥山:モンテディオ山形戦のことですかね。自分のミスから失点が出ていた試合だったので、自分で取り返すことができてほっとしたという感じです。自分の力不足も感じた試合でした。
——:町田ゼルビア時代は試合に出ていないのはなぜですか?
奥山:一年目は怪我が続いたこともありましたが、ウィークの部分の底上げが足りなかったというのも理由の一つだと思います。
——:試合に出られないときはどのような気持ちでしたか?
奥山:長期間、試合に出られないというのは初めてだったので、メンタル的にしんどかったですね。でも、今できることをやるしかなかったのでその一心で練習していました。
——:そのときどのように過ごしていましたか?
奥山:FWをちゃんとやったことがなかったので、高橋大悟選手と一緒に練習して前からの守備を教えてもらっていました。この経験は今でも活きていると思います。

レノファ山口FCに移籍

——:町田ゼルビアからレノファ山口FCへ移籍した経緯を教えてください。
奥山:ゼルビアで試合に出られていないなか、レノファ山口が声をかけてくれました。
——:2024年後半から、レノファ山口FCに期限付移籍していますが、期限付移籍の際どのような気持ちで試合に臨んでいましたか?
奥山:レノファ山口FCのエンブレムをつけて試合に出るからには全力で勝利に貢献しようという気持ちでした。
 
担当教員注:奥山選手は2025年シーズンからレノファ山口FCに完全移籍
——:レノファ山口FCでの役割を教えてください。
奥山:FWとして点を取ってアシストを狙い、前線からのプレスをかけて相手に自由にさせずミスを逃さないという感じです。
——昨年9月の天皇杯準々決勝の横浜Fマリノス戦では同点ゴールを決めていますが、どんな経緯で得点したのでしょうか?
奥山:ディフェンスからのロングボールに裏抜けして、それをキーパーがミスしてボールを奪い、ゴールしたという流れです。
——:その時どういった気持ちでしたか?
奥山:J1の相手と公式戦で戦えるのは貴重なのですごく楽しみで、その中で絶対点を取りたいと思っていたのでゴールを決められてすごくうれしかったです。
——:レノファ山口FCの選手紹介ではMFとして登録されていますが、天皇杯準決勝のゲキサカの記事ではFWとして紹介されています。このような起用は、いわてグルージャ盛岡時代にもあったのでしょうか?
奥山:グルージャの時はシャドーだったので少し違います。FWの経験は町田時代の方が多かったです。町田時代のFWの経験が生きていると思います。
——レノファ山口FC公式サイトのQ&Aに、「今季対戦が楽しみなチームは?」という質問に対して「ファジアーノ岡山」と答えられていますが、それはなぜですか?
奥山:岡山が地元だからです。地元の友達が見てくれますしね。
——:日ごろから健康管理で意識していることはありますか?
奥山:野菜を食べることを意識しています。
——:どんな野菜を食べますか?
奥山:鍋でキノコ、白菜、トマト、ブロッコリーを食べてます。
——:試合中に意識していることはありますか?
奥山:スタメンの時はまず守備から入ることを意識しています。
——:あこがれの選手はいますか?
奥山:エムバペ選手ですかね。
——:それはなぜですか?
奥山:スピードも技術もあるからです。

高校は進学校でサッカー部はインターハイ予選2回戦負け

——:出身校と学科を教えてください。
奥山:岡山県立西大寺高等学校の普通科です。
——:高校のサッカー部時代の戦績を教えてください。
奥山:2017年のインターハイ予選で2回戦負けでした。
——:奥山選手以外に西大寺高校サッカー部からプロ選手は輩出されていますか?
奥山:いないです。
——:サッカー部同期にスポーツ特別推薦で大学に進学した人はいますか?
奥山:いないですね。
——:サッカー部同期の大学進学実績を教えてください。
奥山:山口大学、愛媛大学(以上国立大)、岡山理科大学、川崎医療福祉大学、龍谷大学あたりですかね。
——:高校時代、部活と勉強をどのように両立していましたか?
奥山:高3の時は自習室とか塾で勉強していました。
——:高校時代サッカー以外に力を入れていたことはありますか?
奥山:みんなで楽しく高校生活することですかね(笑)。高3の時は勉強を頑張っていましたが、1、2年生の時はそこまで意識していませんでした。

滑り止めで受けた阪南大学 経営情報学部とサッカー部の一般入部があったから入学

——:阪南大学の入試区分を教えてください。
奥山:一般入試の前期3教科型です。
——:阪南大学経営情報学部の志望理由を教えて下さい。
奥山:正直、滑り止めでした(笑)。でも阪南しか受からなくて、浪人して自分の第一志望だった大学を目指すか、阪南に行ってサッカーをやるかと迷って、阪南に行くことにしました。あと、経営情報学部があったことも阪南に行くことにした理由です。
——:阪南大学のサッカー部に入ろうと思った理由は何ですか?
奥山: サッカーを大学でも続けるならレベルの高い環境でやってみたかったので、阪南大学のサッカー部はうってつけでした。それと、他のサッカー部が強い大学では一般入部を受け入れていないことが多いですが、阪南大学サッカー部は一般入部があったというのも理由の一つです。
——:スポーツ推薦入試の人はどのくらいいましたか?
奥山:大半が推薦の人でした。一般入部は少なかったです。それと、先に練習生として入っている人が多かったですね。入学式の後に入ったのは2、3人だったと思います。

担当教員注:サッカー部関係者によると、阪南大学サッカー部の入部条件は、本学の学生であることで、入試形態での制約は設けていないということです。スポーツ特別推薦入試以外の専願制入試(指定校推薦等)で合格した学生で、事前にクラブとして入部の意思を把握している新入生は、スポーツ特別推薦組と同じタイミング(例年2月頃から)でトレーニングに合流します。奥山選手の言う「一般入部」は、4月以降に入部した部員のことを指しているのではないか,とのことです。
——:高校のサッカー部と比べてサッカーの技術はどれくらい違っていましたか?
奥山:全然違いますね。ドリブルが簡単に取られますし、速度もレベルが違いました。
——:高校と比べて、部員のサッカーに対する意識はどのくらい違いましたか?
奥山:完全に違いましたね。大学までサッカーする人はサッカーにウェイトを置いているので。
——:入部前に思っていた阪南大学サッカー部の雰囲気と入部後の雰囲気はどう違いましたか?
奥山:サッカーの強豪ということもあって縦社会が強いのかなと思っていたのですが意外とそうではなかったですね。
 

8番目のチームからトップチーム、そしてプロ

——:入部当時はプロを目指そうと思っていましたか?
奥山:目指していましたね。強いところに入るならプロになろうと決めていました。
——:阪南大学のサッカー部には複数のチームがあると聞いていますが、いくつチームがありましたか?
奥山:8チームです。
——:1回生で入部した時はどのチームに所属していましたか?
奥山:8番目の阪南大FCという、社会人リーグのチームに所属していました。
 
担当教員注:阪南大学サッカー部には、関西学生サッカーリーグ1部に所属するトップチーム以外に、JFL昇格を目指す関西社会人リーグ1部に所属する阪南大クラブ、学生サッカー連盟が各チームの戦力底上げの為に設立したIリーグに所属するチーム(複数)、大阪社会人リーグに所属するチーム(複数)があります。これは、全ての部員に公式戦出場機会を提供するための取り組みです。
——:一番下のチームからトップチームに上がっていくまでの経緯を教えてください。
奥山:1回生の7月くらいまで一番下のチームでやっていた時に、Cチーム(上から6番目)の北條コーチから、授業の関係で出場できない選手が多いから練習試合の人数が少ないということで呼んでもらいました。試合が終わった後に、北條コーチからCチームに誘っていただいて、まずCチームに入りました。そして、1回生の12月くらいに阪南大クラブという2軍(上から2番目)に位置するチームに入れてもらって、3回生の最後くらいまで所属していました。
——:トップチームに上がれたのはいつですか?
奥山:3回生の1月か2月くらいでした。
——:その躍進ぶりに周りからの反応はどのような感じでしたか?
奥山:祝福されるというより「まじ?」みたいな感じで驚かれました。
——:レギュラーになれたのはいつですか?
奥山:4月からリーグ戦が始まって、前期はレギュラーで出ることは多かったですが、後期はサブに回ることも多かったです。ずっとレギュラーというわけではなかったですね。
——:実力を伸ばすために工夫したり努力したりしたことは何ですか?
奥山:その日できたことできなかったことや、周りに教えてもらったことを1回自分の中に入れて、自分に活きるなと思ったら実践するということですかね。

阪南大学じゃなかったらプロになれていなかった

——:いわてグルージャ盛岡入りが決まったのは4回生のいつ頃ですか?
奥山:1月のセレクションに合格した後、2月のキャンプで決まりました。
——:プロ入りが決まるのは通常12月までだそうですが、焦りはありましたか?
奥山:焦りを通り越して、どうなるんやろう、みたいな感じでした。
——:プロ選手になれた時はどんな気持ちでしたか?
奥山:くらいついて何とか残れたので、プロになれたという感覚はなかったですね。
——:高校時代は無名で、一般入試で入学した自分がプロ選手になれた一番の理由は何だったと思いますか?
奥山:阪南大学だったからだと思います。僕の特徴に目を向けてくれて、足りないところがあった中、長所を引き延ばしてチャンスをくれました。阪南大学じゃなかったらプロになれていなかったと思います。
——:阪南大学サッカー部の中田悠有選手によると、サッカー部では入部した時毎年必ず
「(プロになる選手の多くは、入学直後からトップチームに入るが)奥山選手は一番下のチームから始めてトップチームに上がりプロになった。だからお前たちも諦めるな。」
という話をしているそうです。プロになることを目標にサッカーをしている人達に向けてアドバイスをお願いします。
奥山:そんな風に言ってくれてたんですね(笑)。とりあえず、一つ誰にも負けない武器を見つけるといい選手になれると思います。

大学は勉強あってのものなので、サッカーと勉強のメリハリが大事

——:大学で所属されていたゼミを教えてください。
奥山:北川ゼミです。
——:北川ゼミを選んだ理由は何ですか?
奥山:一応就職活動も意識していたので、就職に強い北川ゼミを選びました。
——:北川ゼミだとビジネスプランコンテストの取り組みがあると思うのですが、どんなテーマで取り組みましたか?
奥山:チームメンバーと一生懸命考えたのですが、北川先生からコンテスト応募OKが出ませんでした(苦笑)。
——:卒論のテーマは何ですか?
奥山:「ゲーム分析と阪南大学サッカー部の特徴と改善点」です。
——:どのような内容ですか?
奥山:パスの成功率が試合にどう生きるかといったものです。
——:プロサッカー選手になるにあたって役立った科目はありましたか?
奥山:フットサルの授業です。先生がサッカー部ヘッドコーチの朴成基さん(現監督)で、「無難なプレーはするな」「誰に何言われてもガリガリ行け」「自分の特徴を活かして取り組め」と言われたことが大きかったです。
——:サッカー以外で履修してよかった科目は何ですか?
奥山:1回生の時に受けた「経営学入門」です。色々な経営者の取り組みの映像を見るのですが、何かに真剣に取り組む姿が見られるのが面白かったです。
——(担当教員):奥山選手のGPAは2.81で、2018年度入学生平均GPAの2.41よりかなり高く、成績表を見るとSやAが多いです。「基礎数学」「簿記・会計学入門」「経営統計学」のような、履修を避けたり脱落してしまう学生が多い科目も良い成績で単位を取っていますね。奥山選手が学生時代,こういった科目も履修してきちんと単位を取ったのはどんな理由でしょうか?
奥山:経営情報学部に入ったときに簿記ができた方がいいと考えていたのと、単純に授業が楽しかったからだと思います。
——:部活に熱心な学生の中には勉強に熱心ではない人もいるようですが、奥山選手が一般学生に比べてもしっかり単位を取った理由は何ですか?
奥山:スポーツ一本で生きてきたわけじゃないので、勉強が苦じゃなかったからだと思います。
——:部活と勉強を両立させるためにあたって工夫したことは何ですか?
奥山:区別をしっかりすることです。サッカーはサッカーの時間に集中し、授業の時はちゃんと授業に集中することを意識していました。
——:部活と勉強をうまく両立できていないアスリート学生へのアドバイスをお願いします。
奥山:大学は勉強あってのものなので、サッカーと勉強のメリハリが大事です。
——:最後に、これからの目標を教えてください。
奥山:今できることを一つひとつしていってサッカーの実力を上げて、チームに貢献することです。
——:本日はお忙しいところ、取材にご協力いただきありがとうございました。

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取材後記

お忙しい中、貴重なお時間を割いて取材にご協力いただき、ありがとうございました。奥山選手のプロ選手になるまでのストーリーには深く感銘を受けました。
初取材で緊張していましたが、奥山選手が落ち着いて笑顔でお答えしてくださっていたのでとても取材しやすかったです。これからのさらなるご活躍を心よりお祈り申し上げます。
和泉樹美果

この度はお忙しい中取材にご協力いただき、ありがとうございました。
特に、大学時代の話をされているときの表情が印象的でした。思い出を振り返りながら笑顔で話される姿がとても楽しそうで、撮影した私自身も楽しい時間を過ごせました。
今回は取材のために山口県まで伺いました。実際に現地でお話を聞くことで、記事や映像だけでは伝わらない雰囲気や熱意を感じることができました。目標達成のため努力する姿勢に、私自身大きな刺激を受けました。
田原優月葉

ゼミ指導教員コメント

総合情報学部・経営情報学部 北川 悦司

奥山君は、部活動を一生懸命行っているのに、授業中の態度や課題も非常にしっかりしており、「文武両道」のイメージが強い学生でした。大学に在籍期間中にプロのチームに練習生として参加しているときも、オンラインでしっかりと課題も提出しており、他のゼミ生にもとてもいい影響を与えてくれていました。 私自身もプロサッカー選手になった奥山選手の試合結果をいつもチェックしており、いつも応援しています。今後より一層の活躍を期待しています。

サッカー部監督コメント

朴 成基

奥山洋平選手は、入学当初の印象が、「非常に純朴な青年」でした。何をするにも直向きで、真っ直ぐ過ぎて壁にぶつかる事も多かったと記憶しております。
しかし課題や困難な状況から決して逃げ出さず、自ら突破口を見出していきました。
抜群なスピードを活かせる工夫と、その脅威となるスピード突破を数多く繰り返す事が出来るよう、様々なアプローチでアドバイスを送りました。彼はそのアドバイスをしっかり取捨選択しながら自分自身の武器へと磨き上げて、夢の扉をドンドン拓いていったと思います。
入学入部当初から、トンデモナク脚の速い選手がいると報告を受け、本人の成長に合わせて少しずつ段階的にカテゴリーを上げていき、見事その時々に置かれたチームで成果を上げ、大学サッカー終盤にはゲームキャプテンを任せてた事もあるほど成長を遂げてくれました。
奥山洋平選手は、まだまだ成長途上の選手と考えます。
陰ながら応援し続けます。
学生広報委員会では、「じぇむ」の記事を書いていただける方・撮影をしていただける方(総合情報学部生)を募集しています。興味のある方は担当教員(濱、中條)か、教務課までお問い合わせください。

阪南大学経営情報学部 学生広報誌「じぇむ」