第46回研究フォーラムを開催しました

心の癒やしとしての音楽の力—「音の輪」の国際交流と被災地支援

本研究フォーラムでは、音楽を通じて日米の異文化交流を実践されている アキラ・タナ氏 (TanaReid Productions,サンフランシスコ州立大学ほか講師) をお招きして、その実践を通して見えてくる、日米の民間レベルの交流と「音楽の力」について、ご講演いただいた。大変ありがたいことに、タナ氏が日系アメリカ人ジャズメンと結成されたバンド Otonowa (音の輪)メンバー全員と、歌手のサキ・コウノ氏、「音の輪」の活動をドキュメンタリーにされたサラ・ペティネラ氏も来学してくださり、非常にアットホームな雰囲気の中で、ペティネラ氏制作のドキュメンタリー上映も行うことができた。研究フォーラム参加者(45名)は、本学学生と教員が大半だが、大阪府内や奈良県からの参加者もみえ、東北でのツアーを終えたばかりの「音の輪」の皆さんとの活発な質疑応答があり、充実した時間となった。
2011年3月に起きた東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故の後、多くのボランティアが国内外から来訪して東北の被災地で活動したことは周知の通りである。ただ、震災の直後から、多くの団体が支援活動を行ってきているものの、「音の輪」のように、音楽を通じて草の根の国際交流を現在も続けるグループはまれである。
震災後の様々な支援活動について、日米の研究者が様々な分野で研究しているが、その中で、被災者が精神的なトラウマをどう乗り越えられるかが大きな課題であるとしばしば指摘される。「音の輪」は、日本の童謡や民謡、歌謡曲をジャズ風にアレンジして演奏するほか、高校や大学などで講演やジャズクリニック(演奏指導)を行ってこられた。最初は手探りで、知人のネットワークを通じて東北での演奏ツアーを開始し、老若男女を問わず交流するうちに、文字通り音楽を通じた人と人の「輪」が広がっていった。

「音の輪」 の演奏ツアーは、優れたエンタテインメントとしての要素と、聴衆の懐かしい思い出を呼び覚ます要素を兼ね備えている。東北ツアーで築かれた「輪」は、タナ氏自身を含めて「音の輪」メンバーが日本語・英語のバイリンガルであるというだけでなく、毎年、素晴らしい演奏のために来日され、ともに苦しみや喜びを語り合ってこられたという信頼関係によって成り立つ。日本人の聴衆になじみの深い曲を、プロのミュージシャンとしてジャズ風にアレンジして披露することで、被災地の人々に癒やしをもたらしたのである。ドキュメンタリーには、未だに地震の爪痕が残る中で生活される被災地の様子や、そこで暮らしておられる方々が、「音の輪」のメンバーと親しく交流する様子が映り、音楽がもたらした癒やしの「カ」を語っておられる。また、「音の輸」メンバーの方々も、東北へ通い続ける中で、自分自身にも精神的な変化が見られると語ってくださった。そうした交流を通して、「音の輪」の方々は、震災から5年経って「風化」が始まっているかのような現状に危倶を抱いており、自身のツアー活動には、風化させないという重要さを伝えることもあるという認識を新たにしたと話されていた。

フロアから出たたくさんの質問の中に、4月に起きた熊本地震について何か活動をしているかというものがあった。これに対し、「音の輸」がすばやく対応していたこともお話しくださった。「ジャズ・カツ」(JazzKatsu)という、串カツとジャズを楽しみ、その売り上げを寄付するという、アメリカらしいユニークなイベントである。これは、「音の輸」メンバーのケン・オカダ氏が2011年から友人と続けておられるものであるが、今年のジャズ・カツは「音の輪」としても熊本地震復興支援のためのプロジェクトを行い、これまでで最高額を集めたという(http://www.jazzkatsu.org/jp) 。 「音の輪」の支援活動は、自らの生活の延長として行っているといえる。 つまりプロのミュージシャンであるメンバーが、自分のもつ才能を活かして、被災地の町の方々と草の根の交流をするからであり、とくに支援者-被支援者という関係性ではないことが、重要な特徴である。このような、肩肘張らない顔の見える活動から、我々は深い人間性と倫理性をもった国際交流と被災地支援のあり方を学ぶことができたといえるだろう。