阪南大学創立50周年記念学術シンポジウム・天王寺 真田幸村博「大坂の陣合戦地域フォーラム」を開催しました
地域の輪をひろげるフォーラム
慶長19年(1614)におこった大坂冬の陣から数えて400年の節目にあたる今年、2月15日(土)に天王寺区役所で大坂の陣400年祭の口火となる「大坂の陣合戦地域フォーラム」を阪南大学と天王寺区役所の共催で行いました。阪南大学は「創立50周年記念学術シンポジウム」、天王寺区役所は「天王寺 真田幸村博」の一環として、共に力を合わせて開催する運びとなりました。また、民間で組織する「大坂の陣400年祭実行委員会」がサポートし、大阪城甲冑隊もフォーラムを大いに盛り上げました。来村ゼミでは4回生・3回生・2回生の学生たちが受付と案内に当たりました。案内の学生たちは紙製の甲冑を身にまとい、大阪城甲冑隊とともに会場の雰囲気づくりに貢献してくれました。
大坂の陣は冬の陣・夏の陣をあわせて、関ヶ原の戦いをしのぐ戦国最大の戦いとなりました。1603年に徳川家康が江戸幕府を開きましたが、世には戦国時代の気風と勢力が残り、安定社会の実現をするには、高いハードルを越えなければなりませんでした。この戦いで徳川家が豊臣家を滅ぼし、ようやく戦国時代にピリオドを打ち、天下泰平の近世社会を生み出せたのです。しかしながら、大坂城の落城とともに庶民たちも被害に遭い、討死した武士も含めて20万人とも言われる犠牲者が出ました。大坂の陣400年祭実行委員会は戦没者の慰霊を旨としながら、再び戦国の力を感じ、地域の活性化に生かすことを目指しております。このたびの合戦地域フォーラムは大坂の陣で戦場となった地域からそれぞれの「語り部」を招き、最後の激戦地である天王寺区に集まっていただくことで合戦の歴史的意義を考え、同時に活動の輪を作ることをめざしました。
大坂の陣は冬の陣・夏の陣をあわせて、関ヶ原の戦いをしのぐ戦国最大の戦いとなりました。1603年に徳川家康が江戸幕府を開きましたが、世には戦国時代の気風と勢力が残り、安定社会の実現をするには、高いハードルを越えなければなりませんでした。この戦いで徳川家が豊臣家を滅ぼし、ようやく戦国時代にピリオドを打ち、天下泰平の近世社会を生み出せたのです。しかしながら、大坂城の落城とともに庶民たちも被害に遭い、討死した武士も含めて20万人とも言われる犠牲者が出ました。大坂の陣400年祭実行委員会は戦没者の慰霊を旨としながら、再び戦国の力を感じ、地域の活性化に生かすことを目指しております。このたびの合戦地域フォーラムは大坂の陣で戦場となった地域からそれぞれの「語り部」を招き、最後の激戦地である天王寺区に集まっていただくことで合戦の歴史的意義を考え、同時に活動の輪を作ることをめざしました。
大盛況のなかでの開演
会場とした天王寺区役所の3階講堂は披露宴にも使えそうな格式のある内装で、かなりの広さがありますが、席数を考えて定員は200名としました。ところが、応募が殺到して260名を超える聴者が集まり、職員の方々が椅子の確保に追われるほどの大盛況となったのです。大坂の陣に対する関心の高さがうかがえます。会は13時30分に開演し、辰巳浅嗣学長による開会の挨拶で始まりました。「あべのハルカスに阪南大学のキャンパスを開設するに先立ち、その地で地域連携の輪を広げることの意義は大きい」との学長の説明に「なぜ阪南大学と天王寺区の共催なのか」という来場者の疑問は解けたようです。それに続き、大阪城天守閣前館長の中村博司氏に40分間の基調講演をしていただきました。「大坂冬の陣・夏の陣〜400年の節目を迎えて」と題して、大坂の陣にいたる家康の思惑を解き明かされた中村氏の講演に、起こるべくして起こった合戦であったと、改めて感じさせられます。
第二部は「大坂の陣合戦地域の歴史と説話」と題し、11ヶ所の合戦地域から1名ずつ講師をお招きして、講話を綴りました。それぞれ10分の講演時間しかお持ちいただけず、窮屈な時間のなかで、「これだけは」という話に絞って語っていただきました。先陣を切っていただいたのは、玉造稲荷神社の鈴木一男宮司です。大阪市中央区を代表して語っていただきました。神社には豊臣秀頼の胞衣塚もあり、秀頼公の立派な銅像も建てられています。ドラマなどでは、気丈な淀殿の陰に隠れて目立たない秀頼公ですが、体格のよい立派な青年であったそうです。2番手は「天王寺 真田幸村博」実行委員会副委員長の岡田安弘氏です。天王寺区商店会連盟の会長を務めておられます。ご自宅にある大坂の古絵図を紹介されました。元禄4年(1691)に描かれた地図で、大和川付け替え以前の川筋などが描かれた貴重な資料です。3番手は城東区を代表して城東歴史探偵団の守本一志氏が登壇され、講談師のような流暢な語りとユーモアで会場を沸かせました。
ここから先は大坂夏の陣に関わる地域の話となります。4番手は大和郡山市教育委員会主任の山川均氏。夏の陣の前哨戦で被害に遭った大和郡山城の話を学術的かつわかりやすくまとめられました。5番手は堺観光ボランティア協会副理事長の川上浩氏です。派手な羽織姿と絶妙のトークで聴者をひきつけます。前哨戦で堺を焼いた豊臣方の大野治房に「なにすんねん大野はん」と一言。会場から笑いの声が出ます。6番目は泉佐野市を代表して市民との絆理事長の戸野茂氏に登壇していただきました。泉佐野市でも樫井川をはさんで激戦が繰り広げられました。そのときの武者の勢いが「さんや踊り」という、下駄を踏み割る激しい盆踊りとなって今に伝えられています。
第二部は「大坂の陣合戦地域の歴史と説話」と題し、11ヶ所の合戦地域から1名ずつ講師をお招きして、講話を綴りました。それぞれ10分の講演時間しかお持ちいただけず、窮屈な時間のなかで、「これだけは」という話に絞って語っていただきました。先陣を切っていただいたのは、玉造稲荷神社の鈴木一男宮司です。大阪市中央区を代表して語っていただきました。神社には豊臣秀頼の胞衣塚もあり、秀頼公の立派な銅像も建てられています。ドラマなどでは、気丈な淀殿の陰に隠れて目立たない秀頼公ですが、体格のよい立派な青年であったそうです。2番手は「天王寺 真田幸村博」実行委員会副委員長の岡田安弘氏です。天王寺区商店会連盟の会長を務めておられます。ご自宅にある大坂の古絵図を紹介されました。元禄4年(1691)に描かれた地図で、大和川付け替え以前の川筋などが描かれた貴重な資料です。3番手は城東区を代表して城東歴史探偵団の守本一志氏が登壇され、講談師のような流暢な語りとユーモアで会場を沸かせました。
ここから先は大坂夏の陣に関わる地域の話となります。4番手は大和郡山市教育委員会主任の山川均氏。夏の陣の前哨戦で被害に遭った大和郡山城の話を学術的かつわかりやすくまとめられました。5番手は堺観光ボランティア協会副理事長の川上浩氏です。派手な羽織姿と絶妙のトークで聴者をひきつけます。前哨戦で堺を焼いた豊臣方の大野治房に「なにすんねん大野はん」と一言。会場から笑いの声が出ます。6番目は泉佐野市を代表して市民との絆理事長の戸野茂氏に登壇していただきました。泉佐野市でも樫井川をはさんで激戦が繰り広げられました。そのときの武者の勢いが「さんや踊り」という、下駄を踏み割る激しい盆踊りとなって今に伝えられています。
大阪城甲冑隊のサプライズで会場が戦国ムード
戸野氏の講話が終わると、突然部屋の明かりが消え、会場のうしろから大阪城甲冑隊が現れました。サプライズです。隊を率いるのは創設者の河井計実氏。これまで阪南大学のイベントに少なからずご協力をいただいています。大坂の陣400年祭の仕掛け人でもあります。真田幸村の赤備えで会場に潜む家康を探します。司会者に「お前か」と詰め寄り抜刀すれば、ゴミ拾いのはさみが現れました。大阪城公園の地下に眠る戦没者の供養にと、清掃に励む大阪城甲冑隊の活動主旨を説明。続いて隊員3名による演武が披露され、会場は戦国の空気に変わりました。
演武のあとは7番目、8番目の講話として八尾市観光ボランティアガイドの会理事の田村直行氏、東大阪文化財を学ぶ会会長の南光弘氏が登壇。八尾市から東大阪市にかけては「八尾・若江の戦い」が繰り広げられました。激しい消耗戦となり、木村重成をはじめ、数々の勇将が命を落としました。戦跡も各所に残され、大坂夏の陣の激しさを今に伝える地域です。そして、もう一つの激戦が河内平野の要となる地域で繰り広げられました。玉手山で後藤又兵衛が激闘の末に果てた「小松山の戦い」、続く「道明寺の戦い」、そして伊達政宗と真田幸村が対戦した「誉田の戦い」を合わせて「道明寺合戦」と総称されます。小松山の戦いがあった柏原市からは柏原市健康推進財団(サンヒル柏原)理事長の笠井和憲氏、道明寺の戦いがあった藤井寺市からは藤井寺市市民生活部副理事の浅野吉計氏、誉田の戦いがあった羽曳野市からは誉田八幡宮の中盛秀宮司が登壇され、11名による講話を締めくくられました。サンヒル柏原からは道明寺合戦の戦場が一望できます。道明寺天満宮のダンジリは大坂の陣を物語る迫真の木彫で飾られています。誉田八幡宮の拝殿は秀頼が亡くなって、天井板が張られないまま今に至っています。いずれも合戦の歴史を伝える遺産です。
演武のあとは7番目、8番目の講話として八尾市観光ボランティアガイドの会理事の田村直行氏、東大阪文化財を学ぶ会会長の南光弘氏が登壇。八尾市から東大阪市にかけては「八尾・若江の戦い」が繰り広げられました。激しい消耗戦となり、木村重成をはじめ、数々の勇将が命を落としました。戦跡も各所に残され、大坂夏の陣の激しさを今に伝える地域です。そして、もう一つの激戦が河内平野の要となる地域で繰り広げられました。玉手山で後藤又兵衛が激闘の末に果てた「小松山の戦い」、続く「道明寺の戦い」、そして伊達政宗と真田幸村が対戦した「誉田の戦い」を合わせて「道明寺合戦」と総称されます。小松山の戦いがあった柏原市からは柏原市健康推進財団(サンヒル柏原)理事長の笠井和憲氏、道明寺の戦いがあった藤井寺市からは藤井寺市市民生活部副理事の浅野吉計氏、誉田の戦いがあった羽曳野市からは誉田八幡宮の中盛秀宮司が登壇され、11名による講話を締めくくられました。サンヒル柏原からは道明寺合戦の戦場が一望できます。道明寺天満宮のダンジリは大坂の陣を物語る迫真の木彫で飾られています。誉田八幡宮の拝殿は秀頼が亡くなって、天井板が張られないまま今に至っています。いずれも合戦の歴史を伝える遺産です。
エイエイオーの三唱で全員が一丸となりました
短い時間では語りきれない話もあって、しだいに時間はのび、当初予定していた座談会は時間を短縮せざるをえなくなりました。それでも中村氏と11名の講師が壇上に着席し、大阪城甲冑隊が背後に並びました。これほどの面々が揃うと、壮観です。地域の輪ができたことを視覚的に感じます。ここで柏原の郷土史を探る会事務局長の桝谷政則氏が全体の感想と今後の抱負を語って講演会の総括をされ、続けて天王寺区の水谷翔太区長が中央に立ち、閉会の挨拶をされました。そして最後はエイエイオーを三唱。壇上と客席が一丸となり、会場は大いに沸きました。地域の輪を作るフォーラムの目的は達成され、成功裏に終了しました。ご協力をいただいた関係者、天王寺区役所職員ならびに阪南大学職員の方々に心から感謝の意を表します。なお、フォーラムをサポートしてくれた学生は、国際観光学部4回生の泉田真美子さん・今福義明君・北山亜純さん・孔シュさん・河野充宏君、3回生の植林明日香さん・王欣さん・ラッターナアムポン=ターウィトリーさん、2回生の掛尾敦史君・谷山奈々美さん・西原まどかさん・平池晴菜さん・牧野千佳さん・三谷岳史君の14人です。学生たちもよく頑張ってくれます。このうち、掛尾君のレポートを以下に掲載します。(来村)
甲冑姿でフォーラムをサポート
国際観光学部2回生 掛尾敦史
※この学生教育研究活動は阪南大学学会の補助を受けています。
2月15日(土)に天王寺区役所の3階講堂で「大坂の陣合戦地域フォーラム」が行われました。私たち来村ゼミの学生は、会場の設営、来場者の誘導、受付などの業務を手伝うため、当日の11時半までに天王寺区役所に集合しました。大坂の陣が行われた1614年から数えて、今年で400年目の節目を迎えます。合戦のあった地域ではそれぞれに記念行事が開催される予定です。そのうち大阪市の天王寺区は真田幸村が活躍した場所として知られます。冬の陣では真田丸に立て籠もって善戦し、夏の陣では茶臼山に本陣を構えて激闘しました。その活躍を称えるため、天王寺区は「天王寺 真田幸村博」と名づけて、大坂の陣を記念する行事を今年から本格的に始めます。このたびのフォーラムはその序章となる重要なイベントでもあったのです。阪南大学も3月から「あべのハルカスキャンパス」を開設します。そのことを知ってもらう機会でした。
合戦のことを語るフォーラムですので、会場も内容に合わせて戦国の雰囲気を出さなければいけません。私たちも紙で製作した甲冑を着用して会場への誘導を行いました。国際観光学部の黄色いジャケットを着ての活動は何度か経験がありますが、このたびは様子が異なります。甲冑は2010年と2011年に国際観光学部が総力をあげて応援した河内長野市の「烏帽子形城模擬合戦」イベントで使用したもので、先輩たちが制作したものです。紙とはいえ硬質で、実物の甲冑を思わせる作りになっています。最初はどう着用していいのかもわからず、少々戸惑いましたが、着てみると、戦国武者になった気分になり、気持ちにも張りが出ます。これまでにない貴重な体験でした。会場の入り口には、文楽の芝居絵で知られる山下孝夫画伯の絵が2枚展示されていました。合戦で活躍した主な武将の似顔絵が豊臣軍と徳川軍に分けて描かれ、精悍な顔が並んで大迫力です。絵は荒々しさと繊細さを兼ね備え、目には内面の力を感じます。なかには真田幸村や徳川家康といった、誰もが知っている有名な武将の顔もあり、来場者が足を止め、感心しながら鑑賞されている姿が印象的でした。
2月15日(土)に天王寺区役所の3階講堂で「大坂の陣合戦地域フォーラム」が行われました。私たち来村ゼミの学生は、会場の設営、来場者の誘導、受付などの業務を手伝うため、当日の11時半までに天王寺区役所に集合しました。大坂の陣が行われた1614年から数えて、今年で400年目の節目を迎えます。合戦のあった地域ではそれぞれに記念行事が開催される予定です。そのうち大阪市の天王寺区は真田幸村が活躍した場所として知られます。冬の陣では真田丸に立て籠もって善戦し、夏の陣では茶臼山に本陣を構えて激闘しました。その活躍を称えるため、天王寺区は「天王寺 真田幸村博」と名づけて、大坂の陣を記念する行事を今年から本格的に始めます。このたびのフォーラムはその序章となる重要なイベントでもあったのです。阪南大学も3月から「あべのハルカスキャンパス」を開設します。そのことを知ってもらう機会でした。
合戦のことを語るフォーラムですので、会場も内容に合わせて戦国の雰囲気を出さなければいけません。私たちも紙で製作した甲冑を着用して会場への誘導を行いました。国際観光学部の黄色いジャケットを着ての活動は何度か経験がありますが、このたびは様子が異なります。甲冑は2010年と2011年に国際観光学部が総力をあげて応援した河内長野市の「烏帽子形城模擬合戦」イベントで使用したもので、先輩たちが制作したものです。紙とはいえ硬質で、実物の甲冑を思わせる作りになっています。最初はどう着用していいのかもわからず、少々戸惑いましたが、着てみると、戦国武者になった気分になり、気持ちにも張りが出ます。これまでにない貴重な体験でした。会場の入り口には、文楽の芝居絵で知られる山下孝夫画伯の絵が2枚展示されていました。合戦で活躍した主な武将の似顔絵が豊臣軍と徳川軍に分けて描かれ、精悍な顔が並んで大迫力です。絵は荒々しさと繊細さを兼ね備え、目には内面の力を感じます。なかには真田幸村や徳川家康といった、誰もが知っている有名な武将の顔もあり、来場者が足を止め、感心しながら鑑賞されている姿が印象的でした。
開演は13時半からでしたが、我々は2時間前に集合し、まずは会場に椅子を並べる作業を手伝いました。定員は200名でしたが、250名を超えるだろうということで、背もたれのあるパイプ椅子だけでなく、円い座席の簡易な椅子まで追加しなければならない事態となりました。天王寺区役所と阪南大学の職員の方々、そして我々学生が力を合わせても、かなりの時間を要しました。会場の設営が終わると、いよいよ甲冑を着用し、案内の持ち場につきます。学生たちは区役所の入り口、一階フロア、エレベーターの乗降口、そして会場の入り口に分かれて来場者を迎えます。会場には次々と申込者が訪れ、用意した椅子が瞬く間に埋まってゆきます。トイレや自動販売機の場所を聞かれる方も多く、そのつど案内をしました。甲冑を着けていると、記念写真の被写体になり、記者の方のインタビューも受けました。大坂の陣をはじめ、大阪には長い歴史があり、数多くの史跡も残されています。そのような魅力を感じていただけるフォーラムに参加し、雰囲気づくりに貢献できたことをありがたく感じています。