大阪の近代を感じる観光資源をめぐりました

 今回は、12月21日にリリースした「大阪の歴史を学ぶフィールドワークを実施しました(前編)」の続きをお伝えします。12月20日(日)に大阪の近代を感じる観光資源をめぐる2つのチームが現地調査に挑みました。
 午前中に調査を行ったチームは、中之島から堺筋を経てミナミに向かいながら、中之島図書館や中央公会堂、三井住友銀行大阪中央支店、大丸心斎橋店、大阪松竹座などを歩いてめぐりました。午後からスタートしたチームは、通天閣に登って大阪市内を見学したり、内国勧業博覧会やルナパークについて学んだりした後、中之島へ移動し、近代建築物群を調査しました。後半のチームが調査を終える頃には、光の響宴のイルミネーションを見ることもできました。
 以下で、当日の様子やフィールドワークを通して得たことなどを参加した学生が報告します。(森重昌之)

当日のフィールドワークの様子

  • (午前チーム)難波橋の写真を撮影する様子

  • (午前チーム)中之島図書館での調査の様子

  • (午前チーム)大丸心斎橋店での調査の様子

  • (午後チーム)通天閣での調査の様子

  • (午後チーム)中之島図書館内での調査の様子

  • (午後チーム)光の響宴イルミネーションでSAと記念撮影

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参加した学生の報告

大大阪時代を築く近代建築
 国際観光学部1年 黒河内菜実

 大阪の近代の歴史について調べていた中で近代建築に関心を持ち、調査することになりました。12月20日に現在でも多く近代建築の建物が残されている中之島や堺筋周辺を訪れました。
 まず、フィールドワークに行く前に近代建築について知るために、歴史やどのような特徴がある建物であるのかを調べ、準備を行いました。そして、たくさんある近代建築の建築物の中から私たちが興味を持ち、実際に見に行きたいと思う建築物として難波橋・大阪府立中之島図書館・大阪市中央公会堂・三井住友銀行大阪中央支店・生駒ビルヂング・大丸心斎橋店・大阪松竹座の7つ選び、発表用のパワーポイントに概要を調べながらまとめました。
 大正後期から昭和初期にかけて、東洋の商都として大阪が栄えていた時代を「大大阪時代」と呼んでいました。このような華やかな時期にヨーロッパの建築様式の影響を強く受けた近代建築が多く建てられ、現在も残されています。豊臣秀吉が大阪城を築城して以来、大阪市の中心部の道路は東西方向を「通り」、南北方向を「筋」碁盤の目のように整備されていました。大阪の中心を横断する「御堂筋」と並行して走る「堺筋」は、現在マイナーなイメージですが、御堂筋の拡幅工事が完成するまでモダンなビルヂングが立ち並ぶ大大阪時代のメインストリートでした。難波橋の端には、ヨーロッパの有名橋にならってライオン像が設置されており、「ライオン橋」の愛称で愛されています。大阪府立中之島図書館と大阪市中央公会堂は、どちらも寄付でできた建物です。三井住友銀行大阪中央支店は、銀行建築らしい重厚で格式のある様式になっています。生駒ビルヂングは時計塔や彫刻、ステンドグラスなど趣溢れる歴史を感じます。大丸心斎橋店は、ネオ・ゴシック様式の外壁を再利用し、内装も壮麗な装飾で埋め尽くされています。大阪松竹座は、西洋劇場として親しまれており、ネオ・ルネッサンス様式で正面のアーチの窓が目を惹きます。
 近代建築と言ってもさまざまな様式で建築されており、実際に見てみると様式によって特徴が異なり、美術品のようで興味深く感じました。機能性や合理性を重視して設計されている近代建築は、鉄やガラス、コンクリートで使用しているため、立派で迫力のある建造物でした。建築様式から当時の時代背景を学ぶことができ、結びつきを知ることで、建物の見方も大きく変化します。それに加えて、設計者の想いについても考えると、より近代建築を身近に感じました。近年では近代建築が注目されるようになり、お洒落なレストランやカフェとして利用され、昔ながらのレトロな建物は現在に合った形で受け継がれています。素晴らしい構造技術と華麗なデザインで大大阪時代を彩ってきたことがうかがえます。魅力ある大阪の景色として、今後も注目していきたいと感じました。

保存され続ける近代建築
 国際観光学部1年 小林美月

 12月20日にフィールドワークに行きました。行先は中之島周辺から心斎橋付近です。大学入門ゼミの授業で大阪の歴史について調べるとともに、フィールドワークの行先を決定しました。私たちのグループは近代の大阪について調べ、近代建築に興味を持ちました。近代建築とは、その名の通り1868年~1945年の近代に建てられた建築物を指します。これらの外観の特徴、他のビルや建物との違い、それぞれの位置関係を確かめることを目的に、フィールドワークへ向かいました。
 当日、地下鉄堺筋線の北浜駅に集合し、北改札から出ました。出口の階段を上るとすぐに、大きなライオンの石像が現れました。「難波橋」です。1つ目は難波橋に訪れました。難波橋は2つの川にまたがっていて、「ライオン橋」の愛称で親しまれています。この愛称の通り、橋の両端には大きなライオンの石像が設置されています。それは想像よりも大きく立派で、とても迫力がありました。
 次に「大阪市中央公会堂」と「大阪府立中之島図書館」に訪れました。この2つは隣接しており、難波橋が架かっている川に沿って歩くと現れました。中央公会堂は、赤レンガに白の円柱を基調とした、まるで海外の城のような外観の建物です。建物の真ん中上部はアーチ状になっており、模様の入ったステンドグラスの窓があります。一方、中之島図書館は外観が白で統一されており、4本の大きな円柱が特徴的な建物です。図書館とは思えないほどの豪華さで、私が今まで見た中で一番立派な図書館でした。この2つの建物はどちらも市民の寄付によって建てられたものであり、国の重要文化財にもなっています。
 さらに、堺筋から本町方面に向かって歩くと、「三井住友銀行大阪中央支店」に辿り着きました。この銀行も大きく立派な外観で、前の2つとは異なった綺麗な四角の建物でした。そこから少し歩くと、「生駒ビルヂング」が見えてきました。このビルは生駒時計店の本社で、建物上部にある大きな時計が特徴的です。外壁は茶色のタイルで造られており、レトロな雰囲気が漂っていました。
 最後に心斎橋付近へ向かい、「大丸心斎橋店」と「大阪松竹座」に行きました。大丸心斎橋店は近畿圏最古の百貨店で、何度かリニューアルされてきました。その中でも、御堂筋側の外壁は最初に建てられた時の状態をほぼ保持しているそうです。その外壁は、茶色のタイルや石造りのもので、星形模様のようなデザインがありました。大阪松竹座は関西初の洋式劇場で、入り口上部はアーチ状で窓がついており、繊細なデザインが施されていました。
 今回、さまざまな近代建築を見ましたが、どれも洋風でレンガ造りや石造りのような外観の建物でした。周辺にある他のビルと比べると、圧倒的に目立っており、豪華で華やかな印象を持ちました。実際に近くで見ると、迫力があり、繊細な模様やデザインが美しいと感じました。また、どれも離れた場所にあるわけではなく、いくつか隣接していることが多かったです。このような建物をつくり上げた人びとは、海外の文化の影響を直接的に受けたのだと思います。その影響を受け、いかに立派なものに仕上げることができるか考え、建設した結果が形となり、今もなお残り続けていることはすごいことだと感じました。

古くから残るルネッサンス建築
 国際観光学部1年 安本律希

 今回のフィールドワークで、私たちのグループは大阪の近代について学ぶことにしました。近代について学ぶことで、第二次世界大戦までの大阪の文化や建築物など、さまざまな歴史の変化を学ぶことができます。今回はグループのメンバー3人と先生、ステューデントアシスタントの方々の協力のもと、フィールドワークを行いました。
 まず、私たちが近代のどの部分についてまとめ、フィールドワークを行ったのかについて紹介します。近代に入って海外からの文化の刺激を受けたルネッサンス様式などの建築物を見学することにしました。それらを通して、当時の日本の歴史を学ぶことを目標にしました。
 最初に訪れたのは中之島周辺でした。はじめに見たのは大阪市中央公会堂です。私は以前、中之島イルミネーションに行った経験があり、ルネッサンス様式が施され、その長所を生かしたイルミネーションに感激したことを覚えています。そうした経験もありますが、昼間に初めて見た大阪市中央公会堂は、近くで見ると迫力があり、まさに海外旅行に行ったような気持ちになりました。スマートフォンでフィールドワーク用の写真を撮ろうと思いましたが、意外に難しく、なかなかフレームに収まり切りませんでした。中之島が誇る大阪市中央公会堂は、改めて自分の心を動かす建築物であると感じました。
 続いて、中之島図書館に訪れました。ここは前を通ったことがあるくらいでしたが、目の当たりにすると大阪市中央公会堂と同じく、ルネッサンス様式としてとても迫力がありました。ちょうど休館日で入ることができませんでしたが、中にレストランもあるなど、さまざまなサービスが提供されていることを知りました。
 その後、堺筋から心斎橋へと移り、大丸心斎橋店や大阪松竹座へ行きました。入り口や天井など、あらゆる場所にルネッサンス様式の模様やステンドグラスが施されていました。百貨店にもルネッサンス様式が残されており、歴史を感じさせる点に、とても感動しました。
 たくさんのルネッサンス様式の建物を訪ねるうちに、自然と歴史が思い浮かぶようになりました。今まで暮らしている中で、このような歴史的な建築物がたくさんあることに気づきませんでした。そして、改めてこのフィールドワークでたくさんのルネッサンス建築を見学し、日常生活の中にもいろいろな場所にルネッサンス建築があるかもしれないと思いました。これからは、このようなことも意識しながら暮らしていきたいと感じました。

通天閣の魅力と歴史
 国際観光学部1年 飯田崚斗

 今回のフィールドワークでは、近代の大阪について学ぶために通天閣に行きました。私は大阪出身ですが、通天閣に登るのは初めてでした。通天閣の真下には、大天井画と呼ばれるたくさんの花の絵が描かれた天井画がありました。こんなに鮮やかな色の天井画があるとは、思いもしなかったです。通天閣の中に入ると、まず目についたのがさまざまな国の言語でつくられたパンフレットです。日本語をはじめ、韓国語、フィリピン語、中国語、英語、フランス語と6ヶ国分並べられていました。それだけ通天閣は海外の観光客に人気の観光スポットであることがわかりました。パンフレットの残部を調べると、韓国語と中国語のパンフレットの数が圧倒的に少なかったので、韓国と中国からの観光客が多いのではないかと感じました。また、通天閣周辺の観光スポットがわかる大きなマップにも、韓国語、中国語、英語と多言語で案内が書かれていました。
 上の階に上がると、遊び心が詰まった仕掛けがたくさんありました。例えば、小さいコップの中にコインを落とし、コインがコップの中に入ると幸せになると言われるような仕掛けがありました。子どもから大人までの幅広い世代が楽しめるような仕掛けがたくさんあり、ここに来ると小銭をほとんど使ってしまうぐらい、楽しむことができます。この階には、ボロボロになった資料が置いてありました。中身はほとんど計算式ばかりで、何が書いてあるのかもわからないものでした。しかし、それらの計算式がすべてこの通天閣をつくる時に計算されたものだと知り、仰天しました。こんなに複雑な計算の上に成り立っていることに、とても驚きました。
 展望階からの景色は、想像していたものよりも壮大でした。あべのハルカス、天王寺動物園、大阪城、IKEA、ユニバーサルスタジオジャパン、太陽の塔などの大阪の名所を眺めることができました。展望階では、有名なビリケンさんも拝むことができました。ビリケンさんは1つだけでなく、さまざまな種類のビリケンさんがいることを知りました。デベソのビリケンが可愛らしかったです。
 通天閣に登って一番驚いたことは、現在の通天閣は2代目で、それ以前に初代通天閣が建設されていたことです。また、ルナパークと呼ばれる大娯楽園があったことにも驚きました。ルナパークの映像を見ると、現在のUSJのような絶叫アトラクションもあり、近代大阪の発展のすごさを、昔の映像を見ながら理解することができました。戦争の影響で初代通天閣はなくなってしまいましたが、その後の時代の方々が復興に尽力したおかげで、私たちは現在も通天閣を眺めることができていることを忘れてはいけないと思いました。

近代大阪の豊かさ
 国際観光学部1年 岩本みお

 12月20日にフィールドワークで通天閣と中之島に訪れ、近代に発達した大阪の様子について調査をしました。近代の大阪は、海外貿易のために開港する動きが見られ、それに伴って外国人のために居留地がつくられたそうです。その際に当時の人にとっては珍しい西洋の食や文化があふれ、大阪が発展したと言われています。
 最初に訪れた”通天閣”は、火災で焼け落ちてしまったため、現在は2代目の建物となっています。初代通天閣はパリの凱旋門にエッフェル塔の上半分を乗せた様子をイメージして建設されていましたが、現在の建物は形が大きく変わっています。また、初代通天閣の周辺にはルナパークと呼ばれる場所がありました。ここには映画館や演芸場、飲食店、さらにロープウェイなどのさまざまな施設が立ち並んでいたようです。これらのことから、かつて人びとにとって、通天閣は今のテーマパークほどのスケールの大きさで親しみやすく、1日中楽しめる遊園地のような存在であったのだと感じました。また、近代の人びとは通天閣やその周辺のルナパークを通じて、海外の文化をもの珍しいと楽しみながらも、これから迎える国際交流の盛んな未来に胸を躍らせ、期待していたのだと思いました。
 次に、中之島を訪れました。中之島の”中之島図書館”と”大阪市中央公会堂”は当時の姿のままでしたが、”栴檀木橋”は残念ながら架け替えられたものだそうです。”中之島図書館”の中央ホールの天井はドーム型になっており、その中心はステンドグラスが用いられ、円形窓から光が差し込み、中間部には八人の哲学者の名前が刻まれていました。これらはギリシャのローマ神殿を踏襲したデザインとなっているようです。他にも、”大阪市中央公会堂”はネオ・ルネッサンス様式の取り入れられた煉瓦造りであるなど、海外文化を積極的に取り入れようとしたことが感じ取れました。建物を見ていると、当時の日本人建築家たちによる海外文化を取り入れようする姿勢や、水準の高い技術が伝わってきて、建物であるという域を超えて、芸術作品を見ている気持ちになりました。また、この2つの建築物の素晴らしさを残すためにも、周辺にある”栴檀木橋”やこの辺りの通りはレトロな雰囲気が漂う街並みに統一されているのでないかと感じました。
 このフィールドワークを通して近代の大阪の発展について追ってきましたが、この時代の根底には新たな時代に向けさまざまな海外文化を取り入れることで、自らで積極的に時代を切り開こうとする近代の人びとの熱意が感じられました。また、これからの時代を引っ張っていく私たち世代も、当時の人びとのように熱意を持つべきであると思いました。

大大阪の時代
 国際観光学部1年 中田杏奈

 12月20日、大学入門ゼミの授業でフィールドワークを行いました。今回のフィールドワークでは「近代」の大阪に着目し、その場所の歴史を知ることを目的として調査しました。「近代」は1868年から1945年の約80年間の時代であり、当時の大阪は「大大阪」の時代といわれるほど発展していました。訪れた場所は大阪人のシンボルでもある「通天閣」と、近代建設が多く並ぶ「中之島」の主に2つです。
 最初に訪れた「通天閣」は、下から見たことはありましたが、通天閣からの景色を見たのは初めてでした。今まで通天閣はただの展望台だと思っていましたが、各階のフロアには約100年前の新世界のジオラマや映像、当時の写真など、さまざまなものが展示されていました。また、お菓子のポッキーやグリコがデザインされたゲーム感覚で楽しめるブースもありました。
 通天閣の誕生は1912年でした。初代通天閣はフランス・パリにあるエッフェル塔をイメージしてつくられたそうです。高さは75mで、当時は日本一の塔として知られていました。当時、大阪の新世界にあった遊園地ルナパークと通天閣は赤いロープウェイで結ばれていて、観光客がルナパークの入り口へ向かう際に空中の景色を楽しめるように設計されていました。しかし、1943年に近くの映画館が炎上し、初代通天閣は解体することになりました。その後、通天閣を復興しようとの地元の声をきっかけに1955年、2代目の通天閣が誕生し、現在に至ります。
 次に訪れた「中之島」では、「栴檀木橋」、「大阪府立中之島図書館」、「大阪市中央公会堂」の3つの場所の調査を行いました。
 「栴檀木橋」は、中之島にあった蔵屋敷へ行き来するために架けられたと考えられ、当時市中と中之島を結ぶ橋の上からは生駒連山を背景に大阪城を望み、天満・天神・難波の三大橋を眺めることができたそうです。「大阪府立中之島図書館」は1904年に建てられ、国指定重要文化財にもなっています。私が訪れた時は休館日でしたが、今でも貴重な蔵書が多く、利用者が絶えないそうです。「大阪市中央公会堂」は1918年の完成以来、ヘレン・ケラーの講演会、クラシックコンサートなど、近代大阪の文化や芸術の発展に多大な役割を果たし、今もさまざまな催しが開かれています。また、2002年に保存再生工事を終え、リニューアルオープンとともに、国指定重要文化財になりました。
 今回のフィールドワークを通して、「大大阪」の時代の歴史について詳しく知ることができました。通天閣の展望台チケット売り場では、外国人観光客に向けたパンフレットが用意されていました。外国人観光客にも通天閣を楽しんでもらうことはもちろん、通天閣の歴史を伝えるための工夫がわかりました。中之島の近代建設は国指定重要文化財が多く、今も愛され続けている建物であるということを実感することができました。このように、昔から今も残されているものはこれから先も守っていくべきであり、歴史を大切にすることが必要だと思いました。