オーストラリアのブリスベンに留学した古澤李怜(ふるさわりり)さんがレポートを書きました。コロナ禍以前に渡航したものです。慣れない英語にとまどい、学校の生活習慣も日本と異なり、大変そうですが、ホスト・ファミリーに恵まれ、友達もでき、楽しい留学生活を送ってきたようです。以下、全文を掲載し、李怜さんが異文化になじんでゆく過程を紹介します。

国際観光学部 渡辺和之

リリのオーストラリア留学体験記
国際観光学部4年 古澤李怜

1.新しい暮らしのはじまり   

2019年9月14日の夕方、私は関西空港を出発し、途中シンガポール空港で乗り継ぎをして、ブリスベン空港まで行きました。留学を決めてから出発の日まで、全く焦りや不安がなかったのですが、関西空港からシンガポール空港に向かう飛行機の中で、隣の席の外国人に話しかけられて、そこで初めて緊張と不安が込み上げてきました。乗り継ぎも不安でしたが、無事にでき、15日の朝にブリスベン空港に到着しました。

ブリスベン空港にはホームステイ先まで送迎してくれる人がいました。私は、英語が喋れないのと緊張で、送迎されている間、一言も喋れませんでした。そうこうしているうちに、ホームステイ先に到着しました。家の前でホストマザーと双子のPoppyとMaxが温かく出迎えてくれました。

家に入り、おそらく最初に家の案内や説明をしてくれたのですが、まったくわかりませんでした。しばらくしてホストマザーに、「私達は今からサウスバンクに行くけど一緒に行く?それとも疲れているから部屋で休憩しとく?」と聞かれ、すぐに「一緒に行く」と答えました。一緒に車で駅まで向かい、電車でサウスバンクに行きました。サウスバンクには人工ビーチや公園があります。
まだ春で、まだオーストラリアは春になったばかりで、私は寒くてパーカーを着ていました。しかしオーストラリアの人達は、水着を着てはしゃいでいました。PoppyとMaxは公園で遊んでくれました。PoppyとMaxは全然話しても通じない私と、手を繋いだり、競争をしたりしてくれました。私はその時ホスト・ファミリーともっとたくさん会話できるようになりたいと思いました。帰り道に学校の行き方などを説明してくれました。 9月16日、学校初日。朝一緒に車で家を出発し、PoppyとMaxを小学校に送り届けてから、私とホストマザーはフェリーでそれぞれ学校と仕事に向かいます。これは毎日の日課になります。 初日は8時15分に学校に行かなければならないのに、フェリーを降りた時点で8時半前になっており、走って学校まで向かいました。しかし、学校に着いてみると、全然みな揃っていませんでした。そこで初めて日本人の子達と会いました。日本人なのに何故か話すのにとても緊張しました。学校案内、スピーキングやリスニングなどのテストが終わって、クラスが決められました。その教室に向かうと、日本人は私だけでした。 こうして、不安が山積みのなか、バスに乗り帰っていると、気付いたら迷子になっていました。全然みたことのない風景。その上、携帯もまだSIMカードを変えていなかったため、Wi-Fiがなければ使えない状況でした。本当にここで死んでしまうかと思いました。しかし、バスの運転手に聞いたりして、なんとかわかる道まで来て無事に帰れました。
そして、次の日からは8時半登校でした。しかし、8時半になってもクラスの半分は来ていませんでした。それに先生も時間になっても来ない日があります。そこで初めて海外の時間のルーズさを知りました。本当に日本では考えられないことだと思いました。
あっという間に1週間が過ぎました。日本人の友達もでき、その子と初めてシティに行き、色んなところを案内してもらい、そこでやっと携帯が使えるようになりました。夜はホスト・ファミリーと回転寿司を食べに行きました。日本では100円の寿司が、オーストラリアでは鉄火巻きがAS$3.50(約260円)で、驚きました。他には餃子など、変わったものも流れていました。
オーストラリアに来てはじめての週末は、クラスで出来た韓国人と台湾人の友達一緒にご飯とカラオケに行きました。友達を作るのも英語を話すのも必死でした。みんなで必死に英語を使って話して、とても楽しい時間でした。しかし、日本人の友達もクラスの韓国人の友達もその日で学校が最終日でした。留学をしている間、先に帰国してしまう子達との別れもたくさん経験しました。

家では、PoppyとMaxと折り紙で鶴や手裏剣などをたくさん作ったり、写真を撮ったりして過ごしました。
他には一緒に子供の見る番組をみていましたが、何を言っているかわからないので、まったく内容を理解出来ませんでした。この時はこうして朝から一緒にテレビを見たり、放課後も学校から帰ってから寝るまでホスト・ファミリーといると、英語の勉強になると思って、なるべく彼らと一緒に過ごすように心がけていました。

2.うまく伝わらない日々の悩み

オーストラリアに来て2週間しか経っていないのに生活の変化に身体がついていかず、疲れて毎日どんどん朝起きる時間もどんどん遅くなり、自分の部屋に居る時間が増えたりもしました。私は食べる事が大好きなのに、ご飯が食べられなくなることもありました。ホスト・ファミリーも心配してくれましたが、うまく説明が伝わっているのかわからず、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。 9月28日には、ホストマザーがグランドマザーの誕生日会に参加させてくれました。そこにはホスト・ファミリーの家族がたくさんいました。皆が話しているのを聞いて、ニコニコすることしか出来ませんでした。そのかわり、子供達と遊んだり、プレゼントを渡したり、大きなケーキを食べたり、夜にはブリスベンでは年に2回しか上がらない花火を見たり、日本では経験できない素敵な時間を過ごせたと思っています。
10月の上旬には、ブリスベンの生活もクラスにも少し慣れ、また学校に新しい生徒が入ってきて、日本人の友達がたくさんできました。ローンパインという動物園で、コアラを抱っこしたり、ゴールドコーストに行ったり、毎週末日本の子達と過ごして、観光客気分になって過ごしました。
その反面、せっかく留学に来たのに、こんなんでいいのかと悩んだりもしました。

そうしている間に、10月21日の月曜日からクラスがレベルアップしました。新しいクラスの先生は発音が悪いと「Pardon?」とすごい強くいってくる先生でした。ただでさえ私はレベルアップしたてで、授業についていくだけでも必死だったので、何回も心が折れました。レベルをもう一度下げるか、違う先生のクラスに変えてもらうか、何回も考えました。
ある日、その先生と帰りのバスが一緒でした。私は喋りたくありませんでした。けれども先生が色々なことを聞いてきてくれました。気付いたら、ホームステイ先での悩みなど、沢山のことを話せていました。バスを降りる時には、「またなんかあったら相談のる」と言ってくれました。次の日から先生に対する思いが変わり、先生のことが大好きになり、授業も楽しく受けられるようになりました。

あの時クラスを変えなくてよかったと、心から思いました。
そしてそのクラスで新しい友達も出来ました。そこから日本人、タイ人、韓国人で過ごすことが増えました。そのなかでも、やはり私は1番喋れなくて、悩みました。周りの子は思った事をすぐ英語にできるのに、私は全然出来なくて、ホームシックにもなりました。しかし、週末に遊んだり、お好み焼きを作って、他の国の子達に食べさせてあげたり、逆に韓国人の子達が辛いラーメンを作ってくれたりしました。

こうして、他の国の子達といると、自然と英語が必要になるし、それにみんなの優しさに改めて触れて、すごく楽しかったです。一緒に初めて映画で英語を見たり、ヨガやズンバといった日本では絶対にしない運動もしました。
ブリスベンから日本の家族や友達に手紙を出したりもしました。
ハロウィンには子供達と近所の家を回ったり、日本では出来ないこともしました。オーストラリアに来てタイの友達にタイ料理屋さんに連れてってもらい、人生で初めてタイ料理を食べたり、$10(¥740)でステーキを食べたりもしました。メルボルンカップの日には学校でBBQをして、ハンバーガーを食べ、ホースレースというオーストラリアの伝統的なゲームをしました。その後、みんなでメルボルンカップを観戦しました。改めて海外って自由で素敵な場所だなと感じました。
2ヶ月経つぐらいで、ようやくホスト・ファミリーの会話を少し聞き取れるようになりました。また、夢を英語で見るようにもなりしました。聞き取れると実感して、本当に嬉しかったです。

ところが、その時期からホスト・ファミリーとの夜ご飯の時間が苦痛になり始めました。毎日ご飯がカレーかマカロニなのです。考えただけで本当に嫌でした。毎日言い訳を考えて、「夜ご飯いらない」って言って、1人でリンゴ食べたり、親が送ってくれたカルパスを食べたりしていました。夜ご飯の時間は、ホスト・ファミリーとコミュニケーションを取る唯一の時間でした。そのため、毎日夜ご飯を一緒に食べないうちにホスト・ファミリーとコミュニケーションを取るのにも、抵抗を感じるようになっていました。
他の人の話を聞くと、その人は自分と比べ物にならないくらい頑張っています。なので、その人と自分を比べてしまって落ち込みます。けれども、だからといって勉強する訳でもありません。本当にこの時期は色々な事に悩んで、気持ちが疲れました。気づいたら、土日が息抜きする日になっていました。友達のホスト・ファミリーの家で友達の誕生日会に呼んでもらって、一緒に祝ったりもしました。この時は友達のホスト・ファミリーが羨ましくなりました。
こんな感じで自己嫌悪もありながら、クリスマスシーズンになりました。

3.ブリスベンで年を越ごす

オーストラリアでは、クリスマスが日本のお正月のようなもので、親戚が集まります。PoppyとMaxは夏休みになります。なので、おばあちゃんとおばあちゃんの妹がその間シドニーから来ました。私の学校では、昼からの授業がなくなり、クリスマス・パーティーをし、街は一気にクリスマス一色になります。そして、クリスマスホリデーという一週間の休みになります。この時期を区切りに、帰国する人が多かったです。留学では、日本にいたら絶対仲良くならないタイプの人と仲良くなったり出来て、そういった面でも留学に来て良かったと思いました。そして、クリスマスホリデーを利用し、メルボルンに行きました。
行く前、Poppyは寂しそうに何回も「何日間行くの?」「次会えるのはいつ?」って聞いて沢山ハグしてくれました。Maxも「絵を描いて」って頼んできたり、とても嬉しかったし、少し寂しくなりました。

メルボルンには3泊4日で行きました。1日目は着いてすぐ寝て、次の日は朝からグレートオーシャンロードのバスツアーに参加しました。とてもいいツアーでした。ツアーガイドの2人はこの仕事を楽しんでしているのがとても伝わってきました。その日は43度で、とても暑かったです。けど、グレートバリアリーフの絶景を見れたので、良かったです

3日目はライブラリー、刑務所、ビクトリア・マーケット、フリンダー・ストリート・ステーションなど、観光地をまわりました。その日は2日目より20度くらい気温が低かったです。けど、メルボルンではそれが普通だそうです。建物も街並みも全て素敵でした。夜は、観光客は行かないようなローカルなお店でラザニアを食べて、いい思い出になりました。最終日には、オーストラリア発祥のバニラ・スライスというケーキを食べたり、本当に素敵な旅行になりました。けど、留学先はBrisbaneを選んで良かったって思ったし、帰ったらPoppyが走って来てくれて、この家族のホスト・ファミリーになれて良かったなと感じた旅行になりました。
それから年越しまではクリスマスイヴ、クリスマス、ボクシングデーがあり、学校の友達の送別を兼ねて、クリスマス・パーティーをしたり、ホスト・ファミリーとパーティーをして過ごしました。オーストラリアの伝統的なクリスマス・プディングというケーキも食べました。プレゼントも貰えて、はじめての海外でのクリスマス、一生の思い出に残るサマークリスマスになりました。ホスト・ファミリーからのプレゼントは、まさか自分にもあると思ってなかったので、心の底から嬉しかったです。
年越しは、シティでは花火があがりますが、私の家からシティは少し遠くその日は雨だったので、年越しは家で過ごしました。記憶の中で、初めて寝正月というものをしました。2日からは普通に学校があり、全く正月感がありませんでした。いとこからテレビ電話が掛かってきて、出たらおばあちゃん家に親戚が勢揃いしていて、正月という事を忘れていた私には、とても嬉しかったです。

ブリスベンの人工プール

年が明けて、残り2ヶ月ないくらいになりました。私は残りの期間でやりたい事を全て書き出して、世界で2番目に大きい砂島に行ったり、Brisbaneの街を一望できる夜景を見に行ったりしました。クリスマスから年明けまでの間おばあちゃん達が居て、少し気まずかったけど、おばあちゃんも帰り、ホストマザーに誘われて、PoppyとMaxと4人でプールに行きました。子供達がプールで遊んでいる間、ホストマザーと沢山話せて、少し気まずく感じていた私は嬉しかったし、ホッとしました。子供達が夏休みに入ってから、一緒に家にいる時間も増え、更に馴染めた気がしました。
その次の日からホスト・ファミリーは1週間旅行に行ったので、私は1人で家で過ごしていました。その時、毎日ご飯があるありがたみ、ホスト・ファミリーの存在の大きさを改めて実感しました。週末には、Movie Worldとサーフィンに行きました。両方とても楽しかったです。
そして、前から飼うかもしれないと言っていた犬がいました。名前はチャッキーです。ちなみに書き忘れていましたが、クリスマスに家に来たチャッキーは、年が明けてすぐ、みんなが家に時間に家に置いているパン、ワイン、ココアの粉を部屋中に撒き散らかし、最後には2階のホストマザーの部屋の網戸を突き破って脱走したため、飼う前の持ち主の元へと返されました。

4.留学を振り返る

最後の1か月には外国人の友達と2人でも気を遣わずに遊べるようになったり、あの時相談に乗ってくれて大好きになった先生にマレーシア料理を食べに連れていってもらったり、海外の友達が誕生日にバースデイカードをくれたり、その子の国のお菓子をくれたり沢山いいことがありました。

振り返ったら数え切れない程たくさんの思い出が出来ていて最初はあんなに日本に帰りたいって言っていたのが嘘のように、最後には日本に帰りたくないって毎日言って楽しんでいました。最後はホストマザーが空港まで送ってくれて笑顔でお別れができました。

留学をして初めは本当に語学力なくてもちろんコミュニケーションなんてとれるわけもなくつらかったし泣きながら学校に行った日もあったし、英語と関わりたくない日って思った日もありました。
けどつらさをなくして楽しませてくれるホスト・ファミリーや友達というかけがえのない存在がオーストラリアにもいたし、留学を後押ししてくれて留学中も励ましてくれた母に成長した姿を見せようと決めていたので何度もくじけたけどその度に頑張ろうと思えました。
友達とは未だに電話したり、ホスト・ファミリーとはSNSを通して連絡をとったりしています。英語以外もたくさんのことを学んで経験できました。これで私の半年のオーストラリア留学についてのお話は終わりです。